まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

似て非なる民族の「利」なれと゛ 08  6/13 再

2023-02-10 01:16:02 | Weblog


      中華人民共和国成立 天安門楼上



大学教養という錯覚学

新聞の正しい論というコラムに、大学教授が昨今の東アジアの新しい潮流、「イデオロギーから実利主義へ」と題して健筆を振るっていた。

その章に、「政治から経済への転換・・」、そして、「イデオロギーないし原理主義から現実主義ないし実利主義への転換・・」と、章をつないでいる。

よく政治家を観察評していたとき、「あの政治家は人品骨柄が卑しい」と評論家が語っていたことがある。まずは政治家が主役で手を挙げて選ばれる政治家への評としてはその通りだろうが、政治の目的とする側からみれば、「近頃は人品骨柄が卑しいものしか政治家になろうとはしない」と返したことがある。

大学教養とは、自らの特徴を発揮して自己を明らかにすることだ。特徴を発見して目的を明確にして方向を定めるのは、それ以前の問題であり官学制度からすれば中学か高校生の作業だ。
また、己を活かす存在を認知する、つまり「自分」の「分」である全体の中で役割を知るのは、感応する意識が敏感な思春期に行われるべきことで、動物界とは似て非なるバーバリズムを、「知の囲い」が緩い少年期の素朴、純真の残像がのこる少年期におこなうことでもある。

妙な言い回しだが、「知の囲い」は、情報という言葉に代えられ、その伝達方法が時の速さとなり、拙速かつ浅薄に「知」の充足感となっているようでもある。

冒頭に戻るが、イデオロギーから実利ではなく、実利のためにイデオロギーを「用」とすると観るのが彼の民族を考えるには適切と考えるのは如何だろうか。
それなら「実利」とは如何様なものだろうか。
学術的(アカデミック)なグランドでは忌み嫌われそうな文言だが、その根底は、「色」「食」「財」を以って人を随わせるという、至極明快な「利」がそこにはある。

それは、「利」についての諺、あるいは多様な意味を含んだ文献や俗諺が多く存在していることでも分かる。我国に当てはめてみると、言いようのない気分にさせられる。はたして他国を語れるか、と。

【言論界、マスコミは、政治家は】
利は智を昏からしむ」      《利のみ考えると智が偏狭になる。走狗に入る知識人》


【ビジネスはどうか】
小人、利に集い、利薄ければ散ず」   《小者は利に集まり、薄くなれば離れていく》

【金融家は】
小人は身を以って利に殉ず」(荘子)   《利の為なら道理も無く死んでもよい》

【これを推し進めている親はどうか】
小人の学は利にすすむ」(文中子 天地)   《小者は地位名誉、食い扶持のために学ぶ》

【選挙スローガンは】
君子は義に喩り、小人は利に喩る」(論語)   《指導者は道理を重んじ、小者は損得に走る》

【警察はどうか】
禁ずる処、利あり」   《禁止する法律を作れば罰金、賄賂、天下り、権限が増える》

【公務員はどうか】
およそ私するところ、みな利なり」   《公益なく総て私欲な状態》
利は貪なり」(広雅)    《利の心は貪るようになる》

【社会の真の富とは】
利をみて義をおもう」(論語)

【国益とは】
国は利を以って利となさず、義を以って利となす
《目先の利が本当の利ではなく、国家の良識に随った利が本当の利である》

【国家社会の有り様】
尭桀の分、利義に在るのみ」(漢書)
《治世の善悪の分かれ目は、目標を「利」に置くか、「義」に置くかで決まる》

【国民の欲望の自制が無いと】
上下、こもごも利を征(と)れば、国危うし」   《政治家、知識人が利をとれば民も追従する》

【本来ある「利」の在り方とは】
利は裁制」   
 《利は行き過ぎを押さえ、足りない点を補い、ほどよく切り盛りをしながら育て、活かす作用がある》

【そして当然ながら「利」の姿として】
利は義の和なり」(易経)     《正しいことの総和が本来の利である》

これが、「色」「食」「財」の欲求に関した「実利」の多様な姿であり、実態である。
スローガンだが、彼の国は「ハナシ」と視る。
それは孔孟でもその具となる。漢籍好きの御仁には酷な例えだが、漢字影響圏においては孔孟も実利の具となる。なぜなら彼らの身近には「道教」という実利が存在している。
砂のようにまとまりの無い民族といわれ、その集約には「利」と、狭い範囲の「情」が必須なものとして存在し、かつ為政者の専制強権が必要となる。

在中国二十年の師が香港で毛主席の先生と称する人物と会ったとき、
毛サンはマルクスレーニン主義を掲げる共産主義をあまり知らないようだ。ただ砂のように纏まりの無い民を率いるには中国的解釈の共産党独裁でなければ治まらない。スローガンは何でもいい、専制、つまり力の有るものが善という考えだ。また北方の熊の衣を着ていれば暫くは熊も来ない。中国の敵はいつも北からだ。毛さんはよく中国人を知っている。」

専制で国内にいる内はいいが、西洋の自由だ民主だとなったら為政者の制御も無くバラバラになってしまう。国家なんて無い、住む場所は天と地の間ならどこでもある。世界中が住処になる。みんなで国を食い荒らし、自由と勢いがあれば世界中に飛び出していく。その意味では欲望に従順で、しかも際限が無い。ただ分かり合える人情は世界一だ。それは人の観察に長けているからだ。

力からいえば個人は虎だが、集団になったら猫のように弱い。日本はその逆だ。また、その際限の無い欲望は外来のものを同化させる力がある。元、清も今は無い。日本は早く帰ってよかった。俺たちにとっても日本は大切な国だ、残しておきたい。」

イデオロギーは「ハナシ」と見ている民族は、ト小平の四つの近代化「四化」を同音で「四つの話」と呼んで、「あれはハナシ」とみている。「化」と「話」は同じオンである。また「小平」と「小瓶」が同じオンなので、小瓶を壁にぶつけて割ったりして憂さを晴らしていた。まず警察と国家は悪いことをして苦しめるという潜在的な怨嗟がある。

日本からすれば賄賂、汚職と騒がれるが、賄賂は「人情を贈る」と文化になっている。西洋もチップで生活する人もいるが、人情の潤いとまではいかないようだ。

ともあれ似て非なる民族の性癖の上に成り立った実利主義である。またスローガンを飲み込む柔軟さと許容が歴史にはある。ただ欲望に自然に向かうか、控えめに向かうか、どうも近頃の日本は同化しつつあるようだ

中国に進出した日本人の欲望の同化を憂慮して「日本は大切な国だ、残しておきたい」と言った古老の言葉を待つまでも無く、「真の日本人がいなくなった」と側近の山田純三郎に述懐した孫文の意を、どう隣国との交誼に活かすか、まさに、「真の実利」を再考しなければならない時機だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする