まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

十年前の「瞳と音声」   07 6/19の稿改

2016-11-04 10:47:56 | 郷学

先ごろ、巷では元職だが高級官僚といわれる御人の呟きで風変りな座談が行われた
切っかけは十年前と同じ銀座のライオンビヤホールだった。
以後、月に一回筆者も交えて5.6人で準備会を始めている。
何の準備かと云えば、勉強会である。
もちろん官学制度にはないカリキュラムだが、以前、安岡正篤氏からの督励作興した会のようなものだ。
当時は中央官庁の現職や高校生や自営業者など多士が参集してもその中から代議士もでた。
安岡氏は和綴じの芳名帳表紙に「布仁興義」と記し、初ページに自署して、「これはと思う人物がいたら面会を請うて、最後に署名してもらったらよい」と渡された。

面会のあとに芳名帳を差し出すと、態度豹変して迎合する者、女房に硯を用意させ堂々と記す者、色々だったが、薄学の小僧が差し出す芳名帳の威力は絶大だった。多くは安岡氏が学問の堕落と称した附属価値に装われている老生学徒だった。まさか小僧が安岡氏の名刺代わりの身元保証?を持参するとは考えてはいなかったようだ。

そのつど情景をお伝えすると、「人物観を養うには・・」と平気な顔で微笑んでいた。
それからは同縁をたどって地方に出向くときも「あそこは豪傑が多い、気を付けるように」と云われたが、要は酒豪のことだ。
大学に行くのか??」と云った手前、社会の下座観から虚飾のエリートを眺める独特な教科を促されたようだ。

そして「郷学を作興しなさい」「それには無名の観察だ、有名は無力だ」「デモクラシー変じてデモクレージーだ」など、厳命と妙意など、先ずは附属性価値にとらわれない人物観を養うことを諭された。傍らには愛煙ピースと虎屋の羊羹だった。

その「郷学」を再復する機会が今回訪れた。
招来したのではなく、某エリートの呟きに感応した変わり者が集ったのだ。
規約は、「それぞれの良識に任せる」のみだが、掲げる名称も決まってはいない。
これが伝来した高麗の種(米)のように、津々浦々の変わり者に活かされればと思っている。

なによりも参加者は眸と音声にあの頃と同様な薫りがする。


※ ちなみに、変わり者参集窓口は、当ブログコメント欄に連絡先を記入してください。







2007 6 19 掲載ブログ

6/18 銀座酔譚が行われた

老舗ライオンビヤホールの入母屋という小座敷での無名な若者との酔譚だった。
合理を求める世の中で、一見不合理と思われる座談だったが、既存の合理性と謳われている制度や生活の繰り方の問題意識を仮作して、かつ人間に非合理な部分を今までの思考外(気がつかなかった可能性の意識)を表現した。

此の手の座談は一風特殊で、言い方を変えれば雄の子の童心を披瀝するものでなくてはならない。ことさら既存の問題を批判するだけでなく、潜在している無垢な良心によって世俗を観察するところにある。

ともあれ縁ある人間が、その縁の及ぼす触れ合いを愉しむことでもあった。
また、普段の生活において、ふと想い起こす顔と言葉の実感は、復の再会と縁の拡張を呼び起こすだろう。

集いの名称なし、さしたる取り決めも無い悠々とした集まりだが、独立した気概は何れの蘇りに功あることを予感させる。

なぜかって? 瞳と音声が心地よいハーモニーを奏でているからだ。

コメント
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