「散るべき時を知ることこそ人である」と古人が詠んだが、ここでは巷の世事であるが「退(ひ)く」ことによって我欲を散らせた若者の真情を残したい
ことは男女の問題だが、その先があった。
それは世間から離れた「稼業」にいる若者の語りだった。しかも問わずの語りだった。
それは彼の七年前のことだった。
その世界でいう「足を洗った」矢先だった。
妻は十代、歳がはなれた夫婦だったが夫は板前として懸命に励んだ。真面目だった。
新しい生活への意気込みが緊張感を伴って、めきめき腕を上げた。
子供も授かった。
酔客とトラブルが起きた。手に持った包丁は道具となった。
稼業戻りは塀の中では加算される。
聴かされた年期は2年、若い妻は夫の咎(とが)を責めなかった。
そして二年間通ってくれた。男のおもいも膨らんだ。新しい生活が待っていると・・・
塀の中のトラブルは否応もないものだった。そして半年、先に延びた。
面会に訪れる妻の変化があった。
だが、喜ぶべき我が子との再会、新しい生活、待ち遠しかった。
しかし、戻る場所はなくなっていた。妻は待てなかった。
年期が延びたところで、何かが変わった。
見たものは妻の新しい生活だった。男は怒ることはなかった。いや、本当は押し殺したといってもいいだろう。いつも男はそうだった。それが男の優しさと思っていた。
男は怒りの矛先を己に向けた。ただ、断ち切れないおもいが募った。
血を分けた我が子だった。
そんな気性だから、いつも愚かな邪心が許せなかった。たとえ、悪だ、罪だといわれても貪りと邪心は許せなかった。世間は野暮だ、古臭いと嘲っても、それを通せる狭い世界に営みを持った。男は曲げられない気性がいつの間にかできあがっていた。
ことさら居心地が良い訳ではなかった。ただ、わが子に会うときのことを、いつも想像していた。それまでは・・・・。
不器用だがそれが男の生き方だった。
石にかじりついても
縁も間もない頃、男は語りはじめた。今まで他人に語ることがなかったが、どうして語ったのか、「わからんですょ」と呟く。
「男が退くときは己を捨てられるときだ」と、聴くほうも呟いた。
歳のはなれた妻、乳飲み子、己の存在、怒り狂うか自暴自棄がその常なる姿だが、退くことで大きな責めを負った。
゛女は弱いもの゛というが、それは男のマザーコンプレックスとか言葉の虚飾という。格好つけのヤセ我慢だとも。逆に、男が意志を出すべきだというが、その男が退くと、当てどころのない相手は離れる。それを相手のためと考えるのも男だと・・・
退くのは男の許容の専売ではない。海のように譬えられる母の器量と、秤の均衡を測ろうとする父の度量は、大小甲乙を論ずる類のものではない。
気性を包み込み、愛しいとおもうことは何処にもある。
深くなれば歓喜も悲哀も寄り添ってくる。嫉妬もあるだろう。
逃げるのではない、歳の差があれば、そっとしておきたいと思うのも一つの情だ。
健やかに育って欲しい、いつかまた我が子を抱きしめたい。
「その願いは叶う」と、若者に酒を注ぎながら、ふと己の人生も浮かぶ可笑しさもある。