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まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「孫文」は歴史の必然として活かされる

2016-11-12 16:03:32 | Weblog

                    

     ≪中華人民共和国習近平主席は孫文生誕150年式典で、孫文を前面に台湾を「分裂を許さない」と牽制≫

 

恩師である佐藤慎一郎先生は、小生の拙書「天下為公」(別題「請孫文再来」)の作成中に幾度となく『必然として活かされる』と激励をいただいた。

明治の日本人と中国近代革命の領袖孫文との逸話は、いずれ遠くない将来に、登場人物の逸話とともに歴史に登場するだろう。その時にはどんな事情であれ、多くの方々に民族間における厚誼の出来事を認知し、かつ過去を顧みる縁として活かしてくれればとの発起だった。

 

人間の熱狂と偏見は、悲哀を残像にもつ民族の混乱を熱狂と偏見に満ちた観点で競って読み解き広げている。商業的売文の徒のみならず、政治に携わる選良も異なる大陸の企図を忖度してアジア友諠の苦衷な試みを錯誤の淵に追いやっている。

 

また夫々が内なる賊を抱えて外に気勢を上げ、際限なる欲望をコントロールできずに内だけでなく、その伸長は外にも難問を蓄えている。

人々は食・色・財の欲求に邁進し、蓄財の果てに国を脱出するものもいる。狡猾なる内なる賊は為政者の刃に触れないように阿諛迎合の生活に慣れ、かつ親しむように歴史に培った民風に漂っている。

 

歴史記述の多くは権力種の栄枯盛衰に彩られている。

繰り返す為政者の交代はさまざまな思想を借用して民風にも似つかわしくない様態を現わすが、人々も恣意的な政策には対策が有るとばかり面従腹背が倣いとなっている。

そのなかで幾らかマシだったのが。時に思い出す孫文だった。あの事件の時、天安門上には毛沢東、広場には学生が掲げる孫文と天下為公と大書された大布があった。

学生にとっても普段は床の間の置石なのだろうが、国父孫文は為政者でも手を出せない最後のカードだと知ってのことなのだ。

 

                      

                 中華民国台北駐日経済文化代表處 馮寄台元代表

 

その頃は、どこかの港で孫文号と名の付いた艦が引き上げられた。台湾では国民党政権の時、総統の友人である馮寄台氏(駐日代表)だった頃、ちょうど中華民国百年だった。毎年東京で行われる双十国慶祝宴は10月10日(双十)の辛亥革命の記念日だが、来賓も主催者も今までは誰一人として辛亥革命の記念のいわれ(事情)を話す者はいなかった。筆者は拙書を呈上して、「明治の日本人が献身した革命の事績を表して善きことを思い出したらどうか・・」と説いたとき、「今年は記念すべき年にあたり祝宴でもその事績を顕彰します。また資料を集めて展示会を行います」と、積極的な応答があった。代表はその通り実行した。

そして2016 11/11   孫文生誕に合わせて習近平主席は孫文というキーワードを台湾に示した。間をおかず台湾は孫文が建国した「中華民国」という称号を認めるべきだ、と表明した。堂々とした中華民国と中華人民共和国の並列意志である。

 

つまり大陸は、中国共産党は孫文思想の継承者である。だから総統就任式には民進党・国民党を問わず孫文の掲額に向かって宣誓をする政体は中国と同じ源を持っている、ゆえに台湾は中国の一部として宣言するべきだ。その一点を認めるなら条件は言わないとの表明だ。間髪を入れず台湾も「孫文先生が作った中華民国の称号を認めるべきだ」と、なかなかの知恵を働かせて応答している。

 

孫文を浮上させた第一部は相打ちだった。いずれ言葉に出したメンツもあり孫文というキーワードはいずれかの姿で活かされるが、ここで大切なことは毛沢東と蒋介石の融和ではなく、かつ過去の残像にさまざまな権力示威をみせた毛と蒋ではなく、孫文という目垢のついていない、しかも両岸から国父と讃えられている人物を浮上させたことは双方、否定できない言明であり、孫文なら収斂されてゆくのではないかとい、彼らのたどり付いた現実なのだ。

 

つまり、佐藤氏と筆者が当時描いた将来の歴史の必然なのだ。また、多くの集積された歴史事実があっての現況なのだ。

我が国においては、売文の徒や言論貴族が孫文をペテン師・裏切り者とこき下ろした。問われた筆者は「ペテン師で裏切りが巧くなければ革命はできない。ついでに浪費家、大風呂敷、女好きを付け加えれば、なお良いだろう」と、偏狭で四角四面な井戸端評論を忌避した。

 

筆者は孫文そのものの愛好者(ファン)でもなければ,後世の賛同者ではない。

だだ、明治の日本人が裏切り者やペテン師と称される人物に手玉に取られて騙されるような愚か者だったとは思いたくない。四角四面な官吏や大陸伸長を謀った軍部や追従した政治家のような、あわよくば西洋列強にかぶれ大陸の混乱に乗じて利権を漁る日本人を再び輩出してはならないと思う願いがあるからだ。

 

                     

          側近 山田純三郎    孫文             山田の兄 良政の顕彰

 

南方熊楠・秋山真之・頭山満・宮崎滔天・萱野長知・犬養毅・松方幸次郎・山田良政・山田純三郎、梅谷庄吉・後藤新平など、みな命懸けで孫文を援助し、また側近として孫文を支えている。孫文は彼の国の為政者に大きく異なることがある。それは、お金に綺麗だったことだ。共産党も初期はそうだった。だが、いまは競って財貨にまみれている。

習近平氏も汚職腐敗の捕り物で忙しいが、孫文の人物像にそれを見たとしたら賢い選択だ。

 

市場経済と建前や便宜の共産党に戸惑いを見せている状況だが、孫文の三民五権を掲げ、捕り物と合わせて整風運動を先導したら、社会は覚醒する。蒋介石も台湾逃避の真の原因は国民党の腐敗堕落だったと、子息経国と新生活運動という道徳喚起の政策を行っている。

 

                           

                     新生活運動  中世記念館蔵    

 

我が国も例にもれない。恣意的な法に守られて人事は人物を要すことなく、生涯賃金や高給担保を企図する官吏が増殖し、その不作為や職掌外排他が蔓延し、それに乗じて中央・地方問わず貪り議員が増殖している。しかも政治のピントが外れているのか、そのような内なる賊を養い外に目を向ける政策が行われている。まずは聖徳太子ですら十七条に求めた綱紀を正すことなくして政策も予算も下には流れず停滞すること必然である。

 

孫文についてはその扉を開けた。第二幕、三幕と機を見て引用されるだろう。どのように活かすかは用いるものの見識だが、浮上させざるを得なかった状況とその智慧に歴史の必然性を観るようで欣快な心地さえする。

 

まさか、国父に泥を塗ることはないだろう。

明治の賢人達も固唾をのんで見守っているはずだ。

 

※ 寶田時雄著 「請孫文再来」 kindle版 「天下為公」 参考

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