週末の夕方、いつものようにユクレー屋に行く。いつものようにケダマンと飲み、いつものようにマナが相手をしてくれている。この季節は寝るのに適しているが、酒を飲むのにも適している。良い風に吹かれ、良い酔いだ。ヨイヨイと唄も出る。
ケダマンはさっきから「ニティンニララン、ニティンニララン、クヌユ(この世)やアンシ(それほど)良いアンベー(按配)」と、博士が作ったという『ねたらん節』を歌っている。その節だけを繰り返しているだけなので、
「その続きとか、その前とかは無いの?」と訊いた。
「あったんだけど、覚えてない。どうでもいい内容だったと思う。このニティンニラランという節だけが面白くて、耳に残ってるんだ。」
そんなところへ、唄を作った本人であるシバイサー博士がユクレー屋にやってきた。平日の昼間はたびたび現れるらしいが、週末の夕方は珍しい。で、訊いた。
「博士、博士が作ったっていう『ねたらん節』って、さっきからケダマンが口ずさんでるけど、一部しか覚えてないらしいんです。どんな唄ですか?」
「ん?ねたらん節?」
「ほら、『ニティンニララン、ニティンニララン』とかいうやつ。」
「ねたらん節はニティンニラランじゃないぞ。ニンティンニタランだ。寝ても寝足り無いってことだ。だから『ねたらん節』という題になっている。」
「あー、そうだったっけか。ニタランだったか。」
「なるほどね。じゃあ、『暁を覚えず』ということになるね。」(マナ)
「『暁を覚えず』というのは春眠のことか?ならば、私のとはまたちょっと違う。私の暁を覚えずは春だけじゃ無く、年中、昼も夜もってことになっている。」
「なーんだ、怠け者の唄なんだ。」(マナ)
「そのトーリ!」と博士は胸を張って言う。怠け者を自負しているのだ。泡盛のお湯割をマナに注文して、それをゴクゴクと三口四口飲んでから、
「いや、しかし、ニンティンニンラランってのも悪くは無いな。地球温暖化や戦争とかを憂慮して寝ても寝られない博士っていうのも悪く無いな。」と続けた。ニンティンニンラランはウチナーグチで寝ても寝られないとうことになる。
「まあね、それは良いよね。で、憂慮してるの?」(マナ)
「失敬なやつだ。私も一応憂慮はする。もっとも、今最大の憂慮は、ゴリコに朝早く起こされたり、昼寝をしていてもすぐに起こされたりして寝たり無いことだ。」(博士)
「やっぱりね。世界のことより自分の睡眠が問題なんだね。」(マナ)
「そのトーリ!」と、またしても博士は胸を張って言う。どうやら、世界の運命に対しても達観者であることを自負しているみたいだ。それはその通りだと私も思う。
その後、博士はささっと楽譜を書いて、マナにピアノを弾かせ、『ねたらん節』を一節歌った。もっとも、『ねたらん節』は一節しかなかった。メロディーも単純で、ピアノ伴奏も単純だったようで、マナもすぐに弾けた。その夜は、たった一節しかない博士の『ねたらん節』を皆で歌って、1時間ばかりは大いに盛り上がったのであった。
記:ゑんちゅ小僧 2007.12.7 →音楽(ねたらん節)