ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版045 ねたらん節

2007年12月07日 | ユクレー瓦版

 週末の夕方、いつものようにユクレー屋に行く。いつものようにケダマンと飲み、いつものようにマナが相手をしてくれている。この季節は寝るのに適しているが、酒を飲むのにも適している。良い風に吹かれ、良い酔いだ。ヨイヨイと唄も出る。
 ケダマンはさっきから「ニティンニララン、ニティンニララン、クヌユ(この世)やアンシ(それほど)良いアンベー(按配)」と、博士が作ったという『ねたらん節』を歌っている。その節だけを繰り返しているだけなので、
 「その続きとか、その前とかは無いの?」と訊いた。
 「あったんだけど、覚えてない。どうでもいい内容だったと思う。このニティンニラランという節だけが面白くて、耳に残ってるんだ。」
 
 そんなところへ、唄を作った本人であるシバイサー博士がユクレー屋にやってきた。平日の昼間はたびたび現れるらしいが、週末の夕方は珍しい。で、訊いた。
 「博士、博士が作ったっていう『ねたらん節』って、さっきからケダマンが口ずさんでるけど、一部しか覚えてないらしいんです。どんな唄ですか?」
 「ん?ねたらん節?」
 「ほら、『ニティンニララン、ニティンニララン』とかいうやつ。」
 「ねたらん節はニティンニラランじゃないぞ。ニンティンニタランだ。寝ても寝足り無いってことだ。だから『ねたらん節』という題になっている。」
 「あー、そうだったっけか。ニタランだったか。」
 「なるほどね。じゃあ、『暁を覚えず』ということになるね。」(マナ)
 「『暁を覚えず』というのは春眠のことか?ならば、私のとはまたちょっと違う。私の暁を覚えずは春だけじゃ無く、年中、昼も夜もってことになっている。」
  「なーんだ、怠け者の唄なんだ。」(マナ)
 「そのトーリ!」と博士は胸を張って言う。怠け者を自負しているのだ。泡盛のお湯割をマナに注文して、それをゴクゴクと三口四口飲んでから、
 「いや、しかし、ニンティンニンラランってのも悪くは無いな。地球温暖化や戦争とかを憂慮して寝ても寝られない博士っていうのも悪く無いな。」と続けた。ニンティンニンラランはウチナーグチで寝ても寝られないとうことになる。
 「まあね、それは良いよね。で、憂慮してるの?」(マナ)
 「失敬なやつだ。私も一応憂慮はする。もっとも、今最大の憂慮は、ゴリコに朝早く起こされたり、昼寝をしていてもすぐに起こされたりして寝たり無いことだ。」(博士)
 「やっぱりね。世界のことより自分の睡眠が問題なんだね。」(マナ)
 「そのトーリ!」と、またしても博士は胸を張って言う。どうやら、世界の運命に対しても達観者であることを自負しているみたいだ。それはその通りだと私も思う。
     

 その後、博士はささっと楽譜を書いて、マナにピアノを弾かせ、『ねたらん節』を一節歌った。もっとも、『ねたらん節』は一節しかなかった。メロディーも単純で、ピアノ伴奏も単純だったようで、マナもすぐに弾けた。その夜は、たった一節しかない博士の『ねたらん節』を皆で歌って、1時間ばかりは大いに盛り上がったのであった。

 記:ゑんちゅ小僧 2007.12.7 →音楽(ねたらん節)


養老会

2007年12月07日 | 通信-沖縄関連

 養老会という会がある。30年以上も前に発足し、今も続いている。メンバーは高校の同級生で、居酒屋の「養老の滝」で飲み始めたことからその名前となっている。
 先々週の土曜日、その養老会の忘年会があった。毎年恒例というわけでは無い。若い頃は年に何度か集まっていて、いつが忘年会だったかも覚えていないくらいだが、オジサンという歳になってからは2、3年に1回、気が向いたら集まるといった程度となっている。気が向いたら集まるのが年末なら忘年会、年明けなら新年会となる。

 我々が高校生の頃、沖縄に倭国風の飲み屋、つまり、日本酒や倭国風の肴を置いてある飲み屋は少なかった。当時、炉端焼き屋というのが流行って、そういった店が何軒かあったが、そういった店はしかし、貧乏人には少々高くて、行くことは滅多に無かった。倭国風の飲み屋で、貧乏人でもある程度安心して飲める店が養老の滝であった。
 養老の滝には当時、沖縄ではあまりお目にかからない食い物があった。牡蠣鍋、わかさぎフライ、ホッケなどを私はそこで初めて食した。美味いと思った。日本酒もトライしたが、それは残念ながら私の口には合わなかった。当時の日本酒は紛い物(というと少しきつい言い方かもしれないが)がほとんどで、まともな日本酒に醸造用アルコール、糖類などを混ぜたものだった。甘ったるくて飲めなかった。
 現在、沖縄にはたくさんの倭国風居酒屋がある。沖縄にいながらにして北海道から九州までの肴を食うことができる。また、倭国風居酒屋でも、その多くは沖縄料理も置いてある。アジア系、ヨーロッパ系の食い物を置いてある店もある。飲み物の種類も豊富で、旨い日本酒を置いている店も多い。旨い日本酒の好きな私には良い時代である。

  さて、その日の飲み会、養老会という名前であるが、会場は養老の滝では無く、別の、倭国資本の、倭国風飲み屋のチェーン店。養老会という名前であるが、メンバーは皆、まだ老人では無い。老年にはまだたっぷり時間のある中年オジサンたち。老年にはまだたっぷり時間はあっても、日頃の不摂生からか、体のあちこちに不具合のあるオジサンたち。血圧が高いの、高血糖だの、といった話となる。お互いの髪の毛の薄さや、白髪の多さを比較したりして、若かりし頃を懐かしむ話となった。
 あと10年、あるいは15年もすれば我々も老人と呼ばれるようになる。その時には名実共に養老会となる。その時もまた、お互いに健康の不安を訴え、頭髪の薄さ、頬肉のたるみを互いに笑い、若かりし頃を懐かしむのであろう。生きていればの話だが。
          

 記:2007.6.22 島乃ガジ丸