ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

台風の日には

2007年07月13日 | 通信-環境・自然

 今、7月13日の午前9時。テレビでは7党キーマンによる討論が行われている。フジテレビの『とくダネ』の1コーナーである。・・・ついつい注視してしまって、この「である。」から「・・・ついつい」の間には30分の時間が流れてしまった。
 で、今、9時半、テレビは台風情報。非常に強い台風が那覇の南西50キロメートルにあるとのこと。で、今、那覇は台風の目に入り、風雨が弱まっているとのこと。窓の外を見る。しかし、首里は那覇より北東にあるせいか、まだ激しい風である。これほどの激しい風は、沖縄島では久々のこと。・・・などと書いているうちに、
 9時43分、ここ首里石嶺も台風の目に入った。空が幾分明るくなり、風はそよそよとなり、雨は小雨となった。セミの声も聞こえだした。台風の目の中心部は空も青空になるが、まあ、50キロメートルも離れていると、そこまではいかないのだろう。
  沖縄島には、去年一昨年と台風の直撃は無かった。強風圏内に入ることは何度かあったが、暴風圏内に入ることは無かった。沖縄島が暴風圏となるのは2004年10月以来とのことである。まあ、そのお陰で、去年もそうであったが、今年は特に、木々の花付きがとても良い。先週、満開のゴールデンシャワー(ナンバンサイカチ)を沖縄の生活『ちょいと良い季節』で紹介したが、2月には見事な咲きっぷりのカエンボク、5月にはこれまた見事に咲いたホウオウボクの写真を撮ってある。
         
          

  10時6分、セミの声が止んだ。小便行って、戻ってみると、開け放った窓から雨が吹き付けていた。窓を閉め、雑巾で濡れた箇所を拭く。10時7分、風が強まる。首里石嶺は台風の目から抜けたようである。これから返しの風、これがさらに強くなる。
 台風4号は昨夜の11時頃に沖縄島を暴風圏内にした。それからもう12時間近くが経っている。この後、台風の速度は速くなるが、それでも、少なくとも後7、8時間は暴風圏となるであろう。これほどの長時間、暴風圏内にあるというのは、過去にあったかもしれないが、私の記憶に薄い。おそらく珍しいことだと思われる。

 さて、今日は1日台風である、と観念した私は、台風の日には、それが昼間であればたいていそうしているように、今日は部屋の掃除である。朝、通常の洗濯を済ませ、さっき、この記事書きを中断して、現場作業で使って汚れた合羽を洗った。

  11時、今、ものすごい突風が吹いた。ベランダの、網を貼った高さ2m、幅4m、奥行き80センチの工作物が傾いた。これは、この工作物を作って10年ほどになるが、初めてのことである。網の四分の一は引き千切れて、どこぞへ飛んで行った。
 突風はなお続く。向かいのナンヨウスギの枝が折れて、電線に引っかかっている。立って窓の外を見ると、ナンヨウスギの折れた枝は1本だけじゃない。見える範囲内だけでも15、6本はある。この風は凄い。停電になる可能性が高い。この記事を書き終えたら早速、掃除機をかけることにしよう。台風の日には、私は掃除である。
          

 記:2007.7.13 島乃ガジ丸


似せて得る

2007年07月06日 | 通信-社会・生活

 先月だったか、中国北京にディズニーランドの偽物があるというニュースを見て、「さすがコピー天国中国」と感心もし、呆れもしたのであるが、その時ふと、ガジ丸という名前は もしかして、既に誰かが使っているのではないかと気になった。で、インターネットで、「ガジ丸」を検索してみた。他にもいるにはいた。が、どうも伝統的なもの、または、既に多数の周知にあるものでは無いみたいなので、安心する。
 ならば、ケダマンはどうだろうかと「ケダマン」で検索する。あった。しかも、これは有名みたいである。あの永井豪さんの漫画の主人公の名前みたいである。永井豪さんの漫画は『ハレンチ学園』、『デビルマン』しか知らない私なので、これは初耳であった。
 既に多くの人が知っているケダマンという名前を、別のキャラクターに使っても良いのだろうかと調べてみた。・・・それは良いみたいである。ただし、永井豪さんのケダマンに似せたり、話の内容を似せたりするのは良くないみたいである。
 永井豪さんのケダマンと私のケダマンは見た目に大きな違いがあり、性格も違う。名前の由来も、彼は獣で、こっちは毛玉である。名前の読みは一緒でも、その意味が違うわけである。見た目と意味が違えば、それはもう別個のもの。けして偽物では無い。

 物真似番組を若い頃は時々見ていたが、今は(たぶん10年以上前から)ほとんど見ていない。出演者の出し物に対し、「だから何」と思ってしまうようになったからだ。とは言っても、物真似をする芸人にたいしては、上手い人には感心し、コロッケのようにデフォルメして楽しませる芸人に対しても職人だなあと思う。「だから何」と私が思うのは、似てもいなければデフォルメも下手で、物真似を技術では無く、ギャグとして「笑わせれば勝ち」と思っている出し物が多くなったからである。つまらないのだ。

 真似るは「学ぶと同源」と広辞苑にあった。「他人のやることを見て、覚えて、身に付ける」ということであろう。弟子が師匠を真似て芸を身に付けるということ。
 「真似る」と同じような意味に「似せる」がある。「似せる」は「互いに同じさまに見えるようにする」ということ。真似るは技術や芸を習得するという目的があるが、似せるはそこまで踏み込まない。「似せる」はまた、「偽物」の語源ともなっている。中国北京のディズニーランドや、ミート○○○の牛肉コロッケのようなものを指す。
 「真似て得る」、つまり、「学んで得る」ものは生きる力であり、「似せて得る」ものはお金ということになる。どちらが幸せかは個人の感性だが・・・。

 友人に昔のグループサウンズのコピーバンドをやっている者達がいる。彼らの場合はむろん、似せてそのもののふりをするわけでは無いので、「真似る」の方である。しっかり技術を真似て演奏を楽しんでいる。彼らが楽しむ分には私も何の文句も無い、むしろ、良いことだと思っている。「頑張ってね」とも思う。ではあるが、その演奏を私は聴きたくない。好きじゃない音楽だからだ。来月、彼らの演奏会がある。聴かなければならないはめになった。彼らは「演奏していて楽しい」かもしれないが、私はグループサウンズ音楽が好きという真似ができない。まあ、じっと我慢の2時間となろう。
          

 記:2007.7.6 島乃ガジ丸