Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

三越のライオン像とトラファルガーの海戦

2006年04月21日 07時51分01秒 | Journal
 三越の正面入口にある一対のライオン像は、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔下のライオン像を模して鋳造されたのだとか。大正3年(1914年)に設置。
 誰にも見られずにライオンの背にまたがると念願がかなうとかで、受験生が必勝祈願に来るというのも、なんだかおかしい。このライオン、オズの魔法使いに出てくるライオンに似て、弱み味噌で情けない表情だが…。

COMMENT:(Wikipedia「トラファルガーの海戦」から)トラファルガーの海戦(英: The Battle of Trafalgar、仏: Bataille de Trafalgar)は、1805年10月21日に、スペインのトラファルガル岬(トラファルガー岬)の沖で行なわれた海戦。ナポレオン戦争における最大の海戦にイギリスが大勝したことで、この戦争に一時の転機をもたらしたが、大陸では、アウステルリッツを防ぎきれなかった。
 1805年、ヨーロッパ大陸は皇帝ナポレオン率いるフランスの支配下に置かれていたが、海上の支配権はイギリスのもとにあった。イギリスは海上封鎖を行うことで、フランス海軍力の全面行使を抑止し、イギリス本土侵攻を防いできた。この状況を打破すべくナポレオンは、海上からイギリス海軍を一掃することを決断。フランスとスペイン(当時、ナポレオンの支配下にあった)の連合艦隊を編成し、海上封鎖を突破し、ブーローニュの港に集結させた35万の侵攻軍によるイギリス本土上陸を援護することを命じた。
 イギリスはそれを阻止すべく、ホレーショ・ネルソン提督の艦隊を送った。ネルソン提督のイギリス艦隊は、ヴィクトリー号を旗艦とする27隻。ピエール・ヴィルヌーヴ率いるフランス・スペイン連合艦隊は、ビューサントル号を旗艦とする33隻であった。ネルソン提督は、敵の隊列を分断するため2列の縦隊で突っ込むネルソン・タッチという新戦法を使った。ヴィルヌーヴも多縦列による分断作戦を予測しており、マストに多数の狙撃兵を配置していた。
 連合艦隊は数で勝っていたが、スペイン海軍も混じっており、士気が低く、艦載砲の射速も3分に1発と劣っていた。一方イギリス海軍は士気も錬度も高く、射速も1分30秒に1発と優れていた。激戦の末連合艦隊は撃沈1、捕獲破壊18、戦死4000、捕虜6000を数え、ヴィルヌーヴも捕虜となった。一方、イギリスは喪失艦0、戦死400、捕虜1200という被害で済んだが、司令官のネルソン提督がフランスの狙撃兵の銃弾に倒れた。勝利の報を聞いた時、ネルソンは「神に感謝する。私は義務を果たした」と言い残し戦死した。
 この戦勝を記念して造られたのがロンドンのトラファルガー広場 (Trafalgar Square) である。広場にはネルソン提督の記念碑が建てられている。
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