Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

夏の北京2018年版——北京飯店諾金(旧・六国飯店)に宿泊する

2018年08月28日 21時59分55秒 | Journal
 25日から30日まで今回は短いが北京に滞在している。期間が短いのは、日本で家を建てている最中で、ちょうど上棟が終わって、これから造作や内外壁などが次々に始まる。猛暑と次々に来る台風、長く目を離すと、心配な点も多々あるからだ。北京で泊まっているホテルは、東長安街に面し、貴賓楼と北京飯店に挟まれた北京飯店諾金(BEIJING HOTEL NUO)。実際、廊下で両ホテルとつながっている。客層やホテルのクラスも両ホテルの中間といったところ。天安門や王府井に近いことが一番の特徴だ。昔は、政府高官や外国公使が集まる社交の場として知られ、歴史に名を残す。民国時代は「六国飯店」と言った。中国の社交ダンス流行もこのホテルから始まったというから、日本の鹿鳴館のようなものであったのであろう。例えば、日本との関係では、1928年、日本のスパイ・川島芳子は、このホテルのダンスパーティーで東北地方の軍閥政治家・張作霖の副官に話しかけ、張作霖が自らの根拠地である奉天へ戻る列車の時刻を聞き出した。日本の関東軍は、この情報を得た後、皇姑屯駅で張作霖を爆殺したのだ。
 ところで、写真の文字を見ると、冗談のようだが、隣に横浜スパイス銀行があったのだろうか? 仕方ないから自分で謎を解くと、これはイタリア語の「Spezie(スパイス)」でなく英語の「Specie(正金)」にすれば「Yokohama Specie Bank(横浜正金銀行)」となる。同行は、東京銀行 ⇒ 三菱UFJ銀行の前身である。そして、「Grand Hotel des Wagons-Lits」というのが、このホテルの前身であった(1900年建造)。と思って、調べていくと、なんと「六国飯店」というのは、もともとは、このホテルのレストラン名であったことも判明。「六国」の由来は、1905年の「英、法、美、德、日、俄六国合资,所以取名为六国饭店」とあるから、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、日本、ロシアの、かなり政治的な覇権主義の合作である。その名の由来の如く、ホテルはたちまち政変の渦中となり、辛亥革命の最中(さなか)、袁世凱の権力を確立する舞台の一つともなった(北京兵変、1912年)。



 川島芳子

 張作霖




 袁世凱


 今は、設備など古いだけのホテルだが、泊まった部屋は昔風を残して宮殿の一室のように広い。北京のホテルも新しものほど日本のビジネスホテルのようにケチ臭く狭くなっている。ところで、訪ねてきた妻の四番目のお兄さんは、文革後、大学を卒業して勤めた外資系企業のオフィスが北京飯店と隣のこのホテルにあり、計8年間の会社員生活をここで暮らしたと懐かし気だった。その後、北京市内には、オフィスビルもホテルも機能主義の高層化した新しいものがどんどん建ち、戦前からあるような由緒あるホテルは、いくらリニューアルしても古色蒼然と存在感を失っていくことになる。







 今日はもう9月3日。日本に戻ってきた。中国では、規制もあって、インターネットを自由に使えない環境になっているから、いろいろ不便もあって、以前のように現地での写真アップも難しい。上の写真(周恩来がポーズをとったこの階段は特に有名らしい)もそうだが、幾つかこの歴史に名を残した有名なホテルの栄華を知らしめる写真をアップする。皆、ホテルの喫茶コーナーに飾ってあったものだ。多分、この場所で(昔はここを「六国飯店」と呼んだのであろう)、周恩来も毛沢東もスカルノやホーチミンといった外国の首脳と会食したのである。ちなみに、小生は、ここでココナッツミルクを飲んだ。なかなかうまかった!












 今日(3日)から、北京では、2000年に発足し3年毎にある「中国アフリカ協力フォーラム」なる会議が開催されている。アフリカから台湾寄りの1カ国を除く53カ国の首脳や高官が出席。習近平国家主席によって600億ドル(約6兆6000億円)規模の経済協力も表明された。多分、この関係だろうか、ホテルでたくさんのアフリカ人を見かけた。「一帯一路」は着々と進んでいるようだ。妻のお母さんが暮らす老人ホームのホールにあった共産党機関紙「人民日報」もフォーラムが始まる前からその成果を大々的に謳(うた)う。中国国内には一部、アフリカに大盤振(おおばんぶ)る舞いにお金を注がないで、国内の貧富格差を正せといった声も出ているからであろう。長年、お母さんを介助する女性も、夫や娘と離れて地方から出てきて、胃腸が悪くて医者にかかろうにも医療保険がなく、処方された薬も十分に買えない状況だ。





 このホテルの長安街を隔てた真ん前に、建っているのが会員制の高級クラブ「長安倶楽部」。高級クラブと言えば、銀座にもあるが、大抵は雑居ビルのワンフロアであろう。堂々と建物ごと高級クラブというのはさすがに北京である。2009年、経済誌「科学投資」が発表した「中国の十大女性富豪ランキング」のトップは、この長安倶楽部と紫檀博物館を所有する陳麗華さんであった。



 陳麗華


 今回の北京滞在は、ホテル以外は王府井にある銀行とレストラン、そして本屋に出かけたぐらいだった。いつも行く大型書店では、海外書籍コーナーに村上春樹の『騎士団長刺殺(騎士団長殺し)』が置かれていたのが意外であった。つい最近も、香港で、慥か、猥褻(わいせつ)図書と認定され未成年への販売が禁止になったとする記事を読んだと記憶していたからである。共産党のお膝元では、党もいろいろ政治経済、国民監理活動に忙しくて、この程度の文芸的猥褻さなど意に介しない度量があるのかもしれない。あるいは、ここのところの日中友好ムードが抑制に働いたか。なお、小生は、その隣の漱石の『我是猫(吾輩は猫である)』(九州出版社)を買い求めてトランクに入れて帰ってきた。平積みの減り具合からすると、太宰治の『人間失格』が北京の人に意外と読まれているようだ。小生はまだ『人間失格』を読んだことがないな。





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