ラグーザ(Vincenzo Ragusa、1841-1927)の1881年の作。といっても何の知識もない。日本の女性を描いてなかなか写実的だと思ったが、外人というよりも日本の作家が造りそうな作風だ。あるHPを検索すると、次のような記述があった。明治初期、ラグーザは来日して、東大の前身で西洋彫刻を教えたらしい。
――ヴィンチェンツォ・ラグーザ(1841―1927)は、工部美術学校の彫刻学の教師として、明治9年にイタリアから来日した。開校当初、彫刻学科には思うように生徒が集まらなかった。西洋彫刻が何をするものなのか、理解を得られなかったからだ。ラグーザは石膏像を持参した。建築の飾物、獣類、風景額、人物と段階を踏みながら、石膏像を油土で模倣することが、彫刻教育の中心だった。東京大学にはラグーザの自作3点が現存する。うち2点には明治12年の年記があり、これらは生徒たちに手本として示されたに違いない。胸から上を表現する肖像彫刻は、その後、個人を顕彰する銅像として日本に定着する。『欧州婦人半身浮彫額』は明治10年の第1回内国勧業博覧会に出品された可能性がある。(木下)
――ヴィンチェンツォ・ラグーザ(1841―1927)は、工部美術学校の彫刻学の教師として、明治9年にイタリアから来日した。開校当初、彫刻学科には思うように生徒が集まらなかった。西洋彫刻が何をするものなのか、理解を得られなかったからだ。ラグーザは石膏像を持参した。建築の飾物、獣類、風景額、人物と段階を踏みながら、石膏像を油土で模倣することが、彫刻教育の中心だった。東京大学にはラグーザの自作3点が現存する。うち2点には明治12年の年記があり、これらは生徒たちに手本として示されたに違いない。胸から上を表現する肖像彫刻は、その後、個人を顕彰する銅像として日本に定着する。『欧州婦人半身浮彫額』は明治10年の第1回内国勧業博覧会に出品された可能性がある。(木下)