Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

東京国立博物館 展示物メモ1 ラグーザ「日本の婦人像」

2007年01月13日 19時49分16秒 | Journal
 ラグーザ(Vincenzo Ragusa、1841-1927)の1881年の作。といっても何の知識もない。日本の女性を描いてなかなか写実的だと思ったが、外人というよりも日本の作家が造りそうな作風だ。あるHPを検索すると、次のような記述があった。明治初期、ラグーザは来日して、東大の前身で西洋彫刻を教えたらしい。

 ――ヴィンチェンツォ・ラグーザ(1841―1927)は、工部美術学校の彫刻学の教師として、明治9年にイタリアから来日した。開校当初、彫刻学科には思うように生徒が集まらなかった。西洋彫刻が何をするものなのか、理解を得られなかったからだ。ラグーザは石膏像を持参した。建築の飾物、獣類、風景額、人物と段階を踏みながら、石膏像を油土で模倣することが、彫刻教育の中心だった。東京大学にはラグーザの自作3点が現存する。うち2点には明治12年の年記があり、これらは生徒たちに手本として示されたに違いない。胸から上を表現する肖像彫刻は、その後、個人を顕彰する銅像として日本に定着する。『欧州婦人半身浮彫額』は明治10年の第1回内国勧業博覧会に出品された可能性がある。(木下)
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京国立博物館 本館の常設展へ | トップ | 東京国立博物館 展示物メモ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
似てません (takigi)
2007-01-13 23:13:56
日本人の女性とは思えません。髪スタイルは昔のとぜんぜん違うのではないでようか。
返信する
髷ではありませんね (頓休)
2007-01-14 09:38:58
明治維新が1867年ですから、この作品が制作された1881年は、明治の文明開化(欧風化)に入って14年目ぐらい。どの程度、日本女性の頭が西洋化していたのか、髷(まげ)が残っていたのか、よく知りません。ただ、ラグーザは新しい時代の日本女性像として、モデルにこうした新しい髪型を敢えて依頼して、描いたのかもしれません。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Journal」カテゴリの最新記事