折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

メダカの学校~遠ざかる童謡の世界

2009-07-11 | 音楽
めだかのがっこうはかわのなか、
そっとのぞいてみてごらん、そっとのぞいてみてごらん。
みんなでおゆうぎしているよ。


携帯電話から2歳9カ月になる孫のKちゃんが大きな声で、得意になって童謡「メダカの学校」を歌っている声が聞こえて来る。

週1回通っている幼稚園の体験入園で教わって来たらしい。

「Kちゃん、<メダカの学校>歌っているけど、メダカを見たことあるのかしら」

とかみさん。

「さあ、まだ見たことないんじゃない」と小生。

「レザー・クラフトの先生の所でメダカをたくさん飼っているので、今度何匹かもらってきてKちゃんに本物のメダカを見せてあげなくては」

と張り切るかみさん。

そんなことがあってから数日後のある日、5匹のメダカが小生宅に貰われて来た。


                 
我が家の住人になったメダカたち


そして、水槽の中を元気に泳ぎ回るメダカを見ながら、

自分たちが小さい頃は、川にはメダカはもとより、フナ、コイ、ドジョウなどが沢山いて、あの童謡に歌われている通りの世界を体験してきているので、メダカの学校を聴けば、そのイメージをありありと思い描くことができるけど、今はメダカを見るのは「川の中」でなく、「水槽の中」なのか、とある種の感慨を持って眺めたのであった。


童謡はその時代、時代の生活に根ざして生まれたものであり、多かれ少なかれ、その歌と人々の日常体験とがつながっていた。

それゆえに、そのメロディーと歌詞は記憶の底に深く刻み込まれて、昔をしのぶ一つのよすがとなってきたのである。


先日、実家に帰った時に子供の頃に魚を取った川に行ってみた。

その昔、フナ、コイ、ドジョウ、うなぎなど魚の宝庫だった川は、今は汚泥が堆積し、魚が住めるような環境でなくなっていた。

瞬時、その場にたたずんで、童謡の世界に出て来る古き良き時代に思いをはせた。

そして、童謡の世界を原体験できる機会は、限りなく少なくなって、段々と遠ざかって行くんだろうな、とちょっと感傷的になった次第である。


今度Kちゃんが我が家に来た時は、いの一番に

「この間Kちゃんが歌ってくれたメダカの学校の歌のメダカさん、これなんだよ」

と教えてあげようと思っている。