折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

本物の「映像美」と美しい「音楽」に酔う~映画「剣岳 点の記」

2009-07-08 | 映画・テレビ
                
映画「剣岳 点の記」の1シーン


話題の映画「剣岳 点の記」を見た。

スクリーンいっぱいに映し出される自然の雄大さ、美しさ、その神々しいまでの佇まい、その映像美に先ずは度肝を抜かれる。

新田次郎の原作を読んだ時には、北アルプス立山連山のイメージがうまく思い浮かべられなくて、もどかしく思ったものであるが、剣岳の頂上を極め、そこに映し出されためくるめく映像シーンはまさに圧巻で、原作を読んだ時のもどかしさを吹き飛ばしてくれた。

「百聞は一見に如かず」、これぞ映画の醍醐味だと得心した。


聞くところによると、この映画は、標高3千メートル級、体感温度は零下40度にもなる剣岳と立山連峰の各地でCGも空撮も使わず、延べ200日をかけて撮影されたと言う。
本物の映像だけが持ちうる迫力が、この映画にはあるのはむべなるかなと思う。


新聞のインタビューに答える香川照之さん(朝日新聞夕刊記事)


この映画の山案内人・宇治長次郎役を演じた俳優の香川照之さんが、朝日新聞のインタビューに、「撮影場所まで行くのに最高9時間歩きました。僕たちの体験したことがそのまま、100年前の出来事として映画になっている。不思議な気分になりました」。
また「切り立った岩の上では演技をする余裕など全くなかった。僕たちも監督も、測量隊と同じ体験をしているから、無理やり芝居をしなくても自然にセリフが出て来る」とも語っている。

役者は自分に与えられた役を演技するのが常であるが、この映画において出演者は演技などしていない、否、演技をする余裕などないほど過酷で、厳しい状況下での撮影だったのだ。(これがCGであったなら、「演技」をしただろうが)

一つ間違えば「死」と直結する命がけの撮影だったと新聞記事は伝えているが、出演者は、役者である前に一人の人間として、大自然の前になすすべもなくその身をゆだねるしかなかった。
そして、そのリアリティーが、画面を通してひしひしと観客に伝わってきた。
これは、めったに出会えない稀有な体験である。

それを指して新聞は「芝居いらない本物の苦闘」というキャッチ・コピーを使った。
言い得て妙である。


映画にとって映像美と並んで重要な役割を担うのが音楽である。
すぐれた映画には、必ず優れた音楽がある。この両者は切っても切れない関係にある。

本映画では、全編を通して流れるビバルディの「四季」の旋律が、ある時は「切なく」、ある時は「やさしく」、また、ある時は「暖かく」そして、ある時は「激しく」実に効果的に使われているのが印象的である。

映像と音楽がこれほど渾然一体となった映画は、かの日本映画史上に燦然と輝く不朽の名作「砂の器」以来ではないだろうか。


昨今、「奇を衒う」風潮のある映画界にあって、本映画は「映画の原点」への回帰という姿勢を愚直なまでに貫いていると言う点に大いに共鳴すると同時に高く評価されてしかるべき作品であると思った次第である。