折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

受難の季節始まる~愛犬との夏の散歩

2009-07-14 | 日常生活
                        
黒目川
黒目川流域では、残されている自然環境を可能な限り保全するなど生態系に配慮した川づくりや、水辺に親しめる川づくりが進められている(黒目川流域河川整備計画)。
そのためもあって、黒目川流域では武蔵野ののどかな景色が今もそこかしこに残っている。
(7月14日AM5:15撮影)


関東地方に「梅雨明け」宣言が出て、いよいよ夏本番である。

暑い夏の季節は、小生と愛犬パールにとって受難の季節である。

通常、我が家の起床時間は6時30分であるが、この時期になると愛犬との散歩に備えて小生のみが5時に起きる。

これまで朝の散歩は、朝食後の7時30分スタートだったから、実に2時間以上繰り上がることになる。

これを小生は「サマー・タイム」と名付けている。

そのサマー・タイムが今年も始まった。
今朝で3日目である。

それまで習慣化していた起床時間を1時間以上も早めるのは、体が順応できるようになるまでは辛く、しんどいものがある。

特に3日目あたりが一番きつい。

今朝も朦朧とした状況で起き出してくると、散歩の時間が早くなったことを敏感に察している愛犬のパールは、尾をちぎれんばかりに振って愛想を振りまいている。

AM5:05

散歩スタート。

冷たい水で顔を洗っても一向に眠気は覚めないのだが、一歩外に出ると朝のすがすがしい大気が心地よく眠気を覚ましてくれる。

パールも気持ちよさそうに先頭を切って歩いて行く。

もうこの時刻になると、いつもの散歩コースの黒目川遊歩道には、散歩を楽しむ人、釣り糸をたれる人などで結構な賑わいである。(上の写真:川の両岸に作られた遊歩道を散歩する人たちが写っている。)


                 
                 散歩している人に頼んで撮影してもらった写真。
                 前方に小さく見える人も犬を連れて散歩の最中。


AM5:50

『4,519歩』、『45分』の散歩を終了。

戻ってきた後の楽しみは『朝風呂』

「熱い」シャワーを浴びた後、浴槽の中で心地よい疲労感に浸りながら、手足を思い切り伸ばしてリラックスし、湯上り後は<良く冷えた野菜ジュース>を飲みながら新聞やテレビでニュースを見ていると、ようやくかみさんが起きて来る。

コーヒーを淹れ、パンを焼くなど食事の準備を手伝う。

散歩で一汗かいて来たので、朝食が実にうまい。


サマー・タイムになる前は、朝は何となく慌ただしくて食事もゆっくりと味わっている気分になれなかったが、1時間早く起きただけで「ゆとり」と「くつろぎ」が生まれる。

まさに「早起きは三文の得」である。

これからも当分の間、小生とパールにとっては受難の季節が続くが、「苦あれば、楽あり」、「三文の得」をいかして乗り切っていこうと思っている。

メダカの学校~遠ざかる童謡の世界

2009-07-11 | 音楽
めだかのがっこうはかわのなか、
そっとのぞいてみてごらん、そっとのぞいてみてごらん。
みんなでおゆうぎしているよ。


携帯電話から2歳9カ月になる孫のKちゃんが大きな声で、得意になって童謡「メダカの学校」を歌っている声が聞こえて来る。

週1回通っている幼稚園の体験入園で教わって来たらしい。

「Kちゃん、<メダカの学校>歌っているけど、メダカを見たことあるのかしら」

とかみさん。

「さあ、まだ見たことないんじゃない」と小生。

「レザー・クラフトの先生の所でメダカをたくさん飼っているので、今度何匹かもらってきてKちゃんに本物のメダカを見せてあげなくては」

と張り切るかみさん。

そんなことがあってから数日後のある日、5匹のメダカが小生宅に貰われて来た。


                 
我が家の住人になったメダカたち


そして、水槽の中を元気に泳ぎ回るメダカを見ながら、

自分たちが小さい頃は、川にはメダカはもとより、フナ、コイ、ドジョウなどが沢山いて、あの童謡に歌われている通りの世界を体験してきているので、メダカの学校を聴けば、そのイメージをありありと思い描くことができるけど、今はメダカを見るのは「川の中」でなく、「水槽の中」なのか、とある種の感慨を持って眺めたのであった。


童謡はその時代、時代の生活に根ざして生まれたものであり、多かれ少なかれ、その歌と人々の日常体験とがつながっていた。

それゆえに、そのメロディーと歌詞は記憶の底に深く刻み込まれて、昔をしのぶ一つのよすがとなってきたのである。


先日、実家に帰った時に子供の頃に魚を取った川に行ってみた。

その昔、フナ、コイ、ドジョウ、うなぎなど魚の宝庫だった川は、今は汚泥が堆積し、魚が住めるような環境でなくなっていた。

瞬時、その場にたたずんで、童謡の世界に出て来る古き良き時代に思いをはせた。

そして、童謡の世界を原体験できる機会は、限りなく少なくなって、段々と遠ざかって行くんだろうな、とちょっと感傷的になった次第である。


今度Kちゃんが我が家に来た時は、いの一番に

「この間Kちゃんが歌ってくれたメダカの学校の歌のメダカさん、これなんだよ」

と教えてあげようと思っている。

本物の「映像美」と美しい「音楽」に酔う~映画「剣岳 点の記」

2009-07-08 | 映画・テレビ
                
映画「剣岳 点の記」の1シーン


話題の映画「剣岳 点の記」を見た。

スクリーンいっぱいに映し出される自然の雄大さ、美しさ、その神々しいまでの佇まい、その映像美に先ずは度肝を抜かれる。

新田次郎の原作を読んだ時には、北アルプス立山連山のイメージがうまく思い浮かべられなくて、もどかしく思ったものであるが、剣岳の頂上を極め、そこに映し出されためくるめく映像シーンはまさに圧巻で、原作を読んだ時のもどかしさを吹き飛ばしてくれた。

「百聞は一見に如かず」、これぞ映画の醍醐味だと得心した。


聞くところによると、この映画は、標高3千メートル級、体感温度は零下40度にもなる剣岳と立山連峰の各地でCGも空撮も使わず、延べ200日をかけて撮影されたと言う。
本物の映像だけが持ちうる迫力が、この映画にはあるのはむべなるかなと思う。


新聞のインタビューに答える香川照之さん(朝日新聞夕刊記事)


この映画の山案内人・宇治長次郎役を演じた俳優の香川照之さんが、朝日新聞のインタビューに、「撮影場所まで行くのに最高9時間歩きました。僕たちの体験したことがそのまま、100年前の出来事として映画になっている。不思議な気分になりました」。
また「切り立った岩の上では演技をする余裕など全くなかった。僕たちも監督も、測量隊と同じ体験をしているから、無理やり芝居をしなくても自然にセリフが出て来る」とも語っている。

役者は自分に与えられた役を演技するのが常であるが、この映画において出演者は演技などしていない、否、演技をする余裕などないほど過酷で、厳しい状況下での撮影だったのだ。(これがCGであったなら、「演技」をしただろうが)

一つ間違えば「死」と直結する命がけの撮影だったと新聞記事は伝えているが、出演者は、役者である前に一人の人間として、大自然の前になすすべもなくその身をゆだねるしかなかった。
そして、そのリアリティーが、画面を通してひしひしと観客に伝わってきた。
これは、めったに出会えない稀有な体験である。

それを指して新聞は「芝居いらない本物の苦闘」というキャッチ・コピーを使った。
言い得て妙である。


映画にとって映像美と並んで重要な役割を担うのが音楽である。
すぐれた映画には、必ず優れた音楽がある。この両者は切っても切れない関係にある。

本映画では、全編を通して流れるビバルディの「四季」の旋律が、ある時は「切なく」、ある時は「やさしく」、また、ある時は「暖かく」そして、ある時は「激しく」実に効果的に使われているのが印象的である。

映像と音楽がこれほど渾然一体となった映画は、かの日本映画史上に燦然と輝く不朽の名作「砂の器」以来ではないだろうか。


昨今、「奇を衒う」風潮のある映画界にあって、本映画は「映画の原点」への回帰という姿勢を愚直なまでに貫いていると言う点に大いに共鳴すると同時に高く評価されてしかるべき作品であると思った次第である。

「素材」と「手本」に恵まれる~今年の書道展示会

2009-07-05 | 趣味
             
             「気力」と「集中力」で書きあげた「千字文」


吉祥寺にある武蔵野市立吉祥寺美術館市民ギャラリーは、小じんまりしたギャラリーであるが、そこで今年も小生が所属しているD会書道会展が7月2日(木)から7日(火)まで開かれている。

小生の作品は「千字文」。
全紙に楷書で千字びっしりと書いてあるので、いやでも目につく。

小生が展示会に足を運んだ時も、人だかりがしているので近づいて見ると何と自分の作品ではないか。
人だかりの後ろから、そっと自分の作品を眺める。


                
                 ギャラリーに掲出された「千字文」
                 サイズが大きすぎてカメラにうまく収まらない。


何と言っても、表装され作品となったのを見るのは初めて。
「馬子にも衣装」でそれなりに見栄えがするな、と眺めていると小生が教えを受けているY先生が、お友達のA先生と連れ立って小生の所にお見えになった。

「いい作品に仕上がったわね、とても素敵よ」と誉めてくれた。

A先生からも、

「折り目正しくて、美しくて、清々しくて、その上、気持ちが入っているのがいいわよ」とお誉めの言葉が。

そして、さらにY先生から

「『千字文』は、書ける時に書いておかないと年を取ると書きたくても書けないのよ。今回は丁度良いタイミングだったのではないかしら。きっと、一生の想い出に残るものとなるわよ」

「そうよ、体力、持続力、集中力の三拍子が揃うのは若い時。
最後まで一点、一画もゆるがせにしていない集中力、持続力には脱帽よ」

とA先生。

余りにも過分なおほめの言葉に感激もひとしおである。


もう一つY先生に感謝しなければならないことは、題材に「千字文」を選んだ時にお手本として大貫思水先生の「新版四体千字文」を紹介してもらったことである。


              
                一目で気に入った大貫思水先生の「新版四体千字文」のお手本


一目見て、これぞ小生が求めていた理想の書体、とその出会いに感謝した次第である。

1000字と言う長丁場の作業に耐えられたのは、この大貫先生の字に魅せられ、何とか少しでも真似ができないものかと一生懸命頑張ったからに他ならない。


と言う次第で、今年の作品は、素材と手本に恵まれ、これまでの展示会の中では満足のいく作品となった。



【石の上にも3年】


今日、7月5日でブログを始めて満3年になる。

「石の上にも3年」と言うが、よくもまあ、書き続けて来れたものだと、今、ある種の感慨に浸っている。

第二の人生を歩み始めて6年半。

その半分に当たる3年間の歩みを、形あるものとしてとどめることができたのは、一重にブログのお陰である。(尤も、もう少し早くブログのことを知っていたら、第二の人生のスタート時点からカバーできたのにと、いささか残念であるが・・。)

これからも、「体力」、「気力」、「知力」が続く限り、日々折々の思いや、出来事などをブログに綴っていきたい思っている。


イチロー、1年半前の予告~打撃絶好調の秘密を解き明かすカギ

2009-07-01 | スポーツ
今年、史上初となる9年連続200本安打に挑んでいるイチローの打撃がすこぶる好調だ。

6月25日(現地時間)現在、64試合で104安打。1試合1・625本ペースで、メジャー記録のシーズン262安打をマークした04年の1試合1.627本に届く勢 いだ、とスポーツ紙が書いている。

           
           最近のイチローの活躍ぶりを伝える新聞(6月27日朝日新聞)


最近のバッティングは、それこそ「当たればヒット」のような感じさえする。

そして、この「当たればヒット」と言うことで思い出すことがある。

今から1年半ほど前の2008年1月2日にNHKで放送された【プロフェッショナル仕事の流儀 イチロー・SP】という番組である。


このドキュメンタリーは「イチロー」という一人の人間を多面的に捉えて、これまで余り知られていなかった「イチロー」の素顔に迫るもので、イチロー自身から興味あるコメントが語られ、また、イチローの『本音』が垣間見られ内容的にも非常に面白しろかった。


             
             緊張感漂うインタビュー
             (2008年1月2日放送NHK【プロフェッショナル仕事の流儀 イチロー・SP】から)


この放送での彼の言葉の中に、今の打撃絶好調の秘密を解き明かすカギがあるように思えてならない。


イチロー -ストライクゾーンだけ、もし打つことができたら、ボクの右に出る人はいないですよ。
でも訳のわからないボール球に手を出したりね、ダメだ、これに手を出したらだめだといって手を出すのがいけないんです。でも、これなくせるんじゃないかな。
この感覚を得られれば、今までの技術は必要ない。普通に打てると思った球を打ちに行けば、ヒットが出るということですよね。

しかし、このことが「言うは易く、行うは難し」であることを一番よくわかっているのもイチローである。

そのむずかしさをイチロー特有の表現で次のように述懐している。

イチロー -あそこの空間でしかわからないことって必ずあると思うんですよ。バッターボックスでしか感じられない感覚、においだとか雰囲気だとかね。あそこでしか生まれないものってあるから厄介なんですよね。

とバッターボックスの中には、「人智」を惑わす何かがあると言っているのである。

そして、インタビューの最後をこう結んでいた。


イチロー -自分が打席の中で感じている感覚、見えている景色、これは過去のものとは全く違ったものだと感じることができたので、ようやくスタートラインにつくことができたかなと思ってます。


このところヒットを量産し続けるイチローの打撃を目の当たりにすると、あの時のインタビューの中の「普通に打てると思った球を打ちに行けば、ヒットが出る」という境地に到達したのかな、と思えてならない。

そんなイチローを見ていると、我々は今シーズンのイチローに


・9年連続200本安打の大リーグ新記録

・自己の持つ最多安打262本を上回る大リーグ新記録

・テッド・ウイリアムスに次ぐ、史上二人目の打率4割の達成


と言う、3つの金字塔を一挙に打ち立てるという「空前絶後」、「前人未到」の夢を托くしたくなってしまうのである。

そして、ひょっとすると今シーズンが終わってみれば、それは最早「夢」でなく、「現実」になっているかも知れない。