折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『晴耕雨読』と『晴読雨読』~ライバルとの『生きざま』の違い

2008-04-03 | 友達・仲間
人は誰でも一人や二人終生の『ライバル』がいるものである。

小生にとって、Sくんは中学時代からのライバルである。
勉学然り、クラブ活動での野球然り。

そして、65歳になった今でも年4回ほど行われる同級会のゴルフコンペでスコアを競い合うライバルである。

その今年最初の同級会ゴルフコンペが先日あった。


Sくんの車に同乗させてもらう。

ゴルフ場に向かう車の中での話題は、もっぱらリタイア後の生活の過ごし方である。

彼の場合、会社生活をリタイアした後は、父祖伝来の田畑約1町歩ほどを耕作し、農業にいそしむ毎日とのことである。

『ええっ、そんなにやってるの、それでは専業農家並みじゃない。大変だろうよ』と言うと

『農作業と言っても、おれたちの子供の頃と違って今は全部機械がやってくれるから、体が大変ということは余りないんだよね。もうこの年になって、いまさら農業でもないんだけど、家の中にこもっているよりも戸外に出て自然の中で体を動かしている方が健康的だし、生活に変化とリズムが出るじゃない。それが目的だよね』

と彼は、もっぱら気ままに土に親しんでいることを強調した。


また、この4月からは100世帯ほどの自治会の会長に就任するとのことで、社会貢献にも積極的で、充実した毎日を送っているようである。

そして、そんな忙しい合間を縫って、『短歌』を作ったり、ハングル語の勉強をしたり、海外旅行に出かけるなど趣味も存分に楽しんでいるとのことである。

『忙しいから趣味や遊びがまた、楽しみなんだよね』
とはSくんの屈託のない弁である。


『晴耕雨読』の生活は、リタイア後の一つの憧れの生活スタイルと言えるだろう。

ただ、現実には全ての人に耕すべき畑や田んぼがあるわけではないので、畑や田んぼに代わるものをそれぞれが探さなければならない。

小生もリタイア後この『耕』になるべきものを探してきたが、未だに見つけられずに、相変わらず好きな趣味で日がな1日を過ごす生活を続けている。

それは、言って見れば『晴雨読』でなく『晴雨読』の生活である。


それに比べて、話しに聞いたSくんの生活スタイルはまさに『晴耕雨読』そのものであり、『趣味三昧』で『晴読雨読』の毎日を送っている小生の生活スタイルとの隔たりは大きいと言わざるを得ない。

『おれの場合は、たまたま、そういう条件が揃っていたからそうなったけど、君みたいに都市部に住んでいたら、そうしたくても中々できないよね』
とSくんは小生に同情的であったが、小生には内心忸怩たるものがあった。


さて、今回のゴルフの結果であるが、例によって小生がアウト・インとも後半の数ホールで大たたきをして自滅し、前回に続きSくんに名をなさしめる結果となった。

そして、わが終生のライバルは、その生きざまにおいても、また、ゴルフの実力においても小生の一歩も二歩も先んじているな、と感じた次第である。