これまで何回かにわたり、
リタイア後、一つの区切りとなる5年が過ぎたこと、
この間、日がな一日『趣味三昧』の生活をしてきたこと、
しかし、5年もたつとこのような生活パターンがそろそろ『マンネリ化』しつつあること、
そして、それぞれの趣味においても何らかの『気分転換』が必要になってきていること、
等々について書いてきた。
今回はその締めくくりとして、おやじがリタイアした時の忘れえぬ思い出について書いてみたい。
おやじは、師範学校を出て長い間、地元の小学校の教師をしていた。
そのおやじが、60歳でリタイアしてまもなくの頃、家族みんなを集めてこう宣言した。
『これからは、家の周りにある竹やぶを掘り起こして『生簀』を作り、そこで鯉やフナの養殖をするから』
みんなおやじは、リタイア後は『悠々自適』、『晴耕雨読』の生活を送るものとばかり思っていただけに、余りにも唐突な話しに家族全員、あっけにとられてしばし、声も出ない。
しかし、その沈黙もほんのつかの間であった。
真っ先に長兄が、『お人好し』で『世渡り下手』のおやじが『事業』などやってどうするのよ、うまくいくはずがないと、ものすごい剣幕で反対し、それに歩調を合わせておふくろも強く反対した。
次兄も、『それは、おやじさん、どうかな』と反対の意思を示し、小生も次兄に同調した。
まさに、総すかんを食らって、おやじがリタイア後に描いていた『魚の養殖』という『夢』は、家族から一顧だにされることなく葬り去られてしまったのである。
あの時、自分の提案が一蹴され、怒りで青ざめ、震え、そして、かっくりと肩を落としたおやじの姿が目に焼きついている。
『夢』をあきらめたおやじのその後の生活は、みんなが望んでいた『晴耕雨読』の生活であった。
今から、40年ほど前の話である。
今思えば、同じ反対するにしても、せめて、おやじがどんな青写真を描いていたのか、その『夢』の話にもっと耳を傾けてあげても良かったのでは、と大いなる悔いが残る。
しかし、おやじがリタイアした時は、みんな血気盛んで人の話をよく聞いたり、人の気持ちを思いやる、そんな余裕を持ち合わせないほど、若かったのだ。(長兄33歳、次兄30歳、小生27歳、弟18歳。)
自分がリタイアした今、自分なりに思うことは、リタイア時、特にこれと言った『夢』も『勇気』も持ち合わせず、さっさと『晴耕雨読』の生活を決め込んでしまった小生に比べ、リタイア後は誰しもが『悠々自適』な生活を選ぶだろうと思われていたあのおやじが、たとえ『挫折』したとしても、みんなから期待されていたその生活を選ばず、『養殖』という全く未知な事業にあえてチャレンジしようという『夢』を持っていたことに対して、その心意気に、改めて敬意を表さずにはいられない、という思いである。
リタイア後、一つの区切りとなる5年が過ぎたこと、
この間、日がな一日『趣味三昧』の生活をしてきたこと、
しかし、5年もたつとこのような生活パターンがそろそろ『マンネリ化』しつつあること、
そして、それぞれの趣味においても何らかの『気分転換』が必要になってきていること、
等々について書いてきた。
今回はその締めくくりとして、おやじがリタイアした時の忘れえぬ思い出について書いてみたい。
おやじは、師範学校を出て長い間、地元の小学校の教師をしていた。
そのおやじが、60歳でリタイアしてまもなくの頃、家族みんなを集めてこう宣言した。
『これからは、家の周りにある竹やぶを掘り起こして『生簀』を作り、そこで鯉やフナの養殖をするから』
みんなおやじは、リタイア後は『悠々自適』、『晴耕雨読』の生活を送るものとばかり思っていただけに、余りにも唐突な話しに家族全員、あっけにとられてしばし、声も出ない。
しかし、その沈黙もほんのつかの間であった。
真っ先に長兄が、『お人好し』で『世渡り下手』のおやじが『事業』などやってどうするのよ、うまくいくはずがないと、ものすごい剣幕で反対し、それに歩調を合わせておふくろも強く反対した。
次兄も、『それは、おやじさん、どうかな』と反対の意思を示し、小生も次兄に同調した。
まさに、総すかんを食らって、おやじがリタイア後に描いていた『魚の養殖』という『夢』は、家族から一顧だにされることなく葬り去られてしまったのである。
あの時、自分の提案が一蹴され、怒りで青ざめ、震え、そして、かっくりと肩を落としたおやじの姿が目に焼きついている。
『夢』をあきらめたおやじのその後の生活は、みんなが望んでいた『晴耕雨読』の生活であった。
今から、40年ほど前の話である。
今思えば、同じ反対するにしても、せめて、おやじがどんな青写真を描いていたのか、その『夢』の話にもっと耳を傾けてあげても良かったのでは、と大いなる悔いが残る。
しかし、おやじがリタイアした時は、みんな血気盛んで人の話をよく聞いたり、人の気持ちを思いやる、そんな余裕を持ち合わせないほど、若かったのだ。(長兄33歳、次兄30歳、小生27歳、弟18歳。)
自分がリタイアした今、自分なりに思うことは、リタイア時、特にこれと言った『夢』も『勇気』も持ち合わせず、さっさと『晴耕雨読』の生活を決め込んでしまった小生に比べ、リタイア後は誰しもが『悠々自適』な生活を選ぶだろうと思われていたあのおやじが、たとえ『挫折』したとしても、みんなから期待されていたその生活を選ばず、『養殖』という全く未知な事業にあえてチャレンジしようという『夢』を持っていたことに対して、その心意気に、改めて敬意を表さずにはいられない、という思いである。