折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

寓話

2007-05-09 | 家族・母・兄弟
当家の愛犬の『パール」です。

久しぶりのブログ登場で張り切りたいのはやまやまなんだけど、最新のブログ(5月5日付『13回忌』)に初代愛犬の「ララ」が登場しちゃったので、ちょっとやりにくいのよね。

おとうさんてば、少しは掲載の順番を考えてくれればいいのにね。

それにしても、おとうさんララを本当に慈しんでいたんだね。
ちょっと、ショックだったわ。

(「まあ、いいか」と気を取り直して)

今日のテーマは、我が家のおとうさんとおかあさんの性格についてで~す。

おかあさんの『誉め殺し』に会い、台拭き
を運ぶお手伝いをする私。


我が家では、わたしの扱い方がおかあさんとおとうさんとでは、大きく違います。それは、イソップ物語に出てくる『北風と太陽』の話みたいです。

おかあさんは、わたしを「のせる」のがとっても上手なの。
それはそれはオーバーなゼスチャーで

『パール、大好き。パールが一番』、『パールとってもお利口ね』

等々、わたしの心をとろかすような声と仕草でわたしを

『誉め殺し』にかけるの。

わたしはすっかりその気になってしまって、唯々諾々とおかあさんの言うことに従ってしまっているの。

これって、イソップ物語の『太陽』が、その暖かさでいつの間にか旅人のマントを脱がせてしまうのと同じじゃない。

そうなの、おかあさんは、わたしの気持ちになって考えてくれているので、わたしも何の抵抗もなく素直に言うことをきいてしまっているのよね。


新緑の川辺をおとうさんと散歩中のわたし


一方、おとうさんはと言うと、最も問題なのはわたしの大好きな散歩の時なの。

散歩の際、おとうさんはわたしがおとうさんの歩調に合わせ、横にぴったりと寄り添うよう真っ直ぐに歩かないとご機嫌が悪いのよ。
わたしが、仲間達の匂いを嗅ごうとしたり、マーキングをしようと止まったり、引っ張ったりすることが頻繁になるとイライラして『ムキ』になって『力ずく』で言うことをきかせようとするの。「真っ直ぐ歩け」って。

わたしは、そんなおとうさんのやり方に『素直』になれず、ついつい『反発心』が湧いてきて、そこでいつも『角を突き合わせ』てしまうの。

まるで、『北風』がマントを剥ぎ取ろうとするのを、脱がされないように一生懸命踏ん張っている旅人みたいでしょう。

6年も一緒にいるんだから、もう少しおとうさんもわたしが「のせられやすい性格」だってことわかってくれてもいいのになあ。

えっ!わかってるって、わかっていてもおとうさん「のせる」のが苦手なのか。そうだね、おとうさんてば、おだてるの下手だもんね。

そう言えば、おとうさんブログで「融通がきかないのは、おやじのDNAのせい」って書いてたっけ。

DNAでは、仕方ないか・・・・・・・・。


我が家では、おかあさんは「外柔内剛」型で、調教師になっても、きっと「一流の調教師」に慣れると思うわ。

おとうさんは「内柔外剛」型で、調教師には最も向いてないタイプだわね。

おとうさんとわたしの『意地の張り合い』これからも当分続きそう、ちょっと憂鬱になっちゃうな。

でも、散歩の時以外は、おとうさんすごくわたしにやさしいのよ。

今日は、おとうさんとおかあさんの『性格分析』でした。

それでは、またお会いしましょう。


13回忌

2007-05-05 | 家族・母・兄弟


在りし日のララの遺影


あとちょっとで5月5日を迎えようとしていた。

その時、愛犬の「ララ」がふらりと立ち上がって、ヨロヨロしながら廊下に出て行った。

『ララ、どこへ行くの』

と娘が声をかけた。

『きっと、洗面所だよ、暗い所に行きたいんじゃない。』

と妻。

我が家で初めて飼うことになった犬は、ころころと太って、とても愛くるしい柴犬の子犬であった。

昭和55年10月のことで、「ララ」と名付けられた。
息子が8歳、娘が6歳の時であった。

そして、爾来13年8ヶ月、もう少しで14歳になろうとしていた。
しかし、この所、急激に老衰が進み、目も耳も足も不自由になり、排泄に行く以外は居間でじっと横たわって寝ていることが多くなっていた。

そして、日付が変わった午前零時半過ぎ、小生が歯磨きをしようと洗面所に行くと、そこにララが横たわっていた。
『虫の知らせ』と言うのだろうか、その姿に異常を感じて、「ララ」と声をかけるが反応を示さない。
「ララの様子がおかしいよ」と言いながら、ララを両手に抱えあげて居間に運ぶ。明るい所で見るとララは、ほとんど呼吸をしていなくて、すでに「虫の息」の状態であった。

腕の中で生命の灯火が次第次第に消えていくのが、はっきりとわかった。瞬間、『あっ!ララが死ぬ」と思った。

家族みんなが、周りを取り囲んで、口々に

『ララ、死んじゃ、ダメ!!』

『死なないで!!』


と大声で叫び、懸命にララの体をさすった。
妻がやおら小生の手からララを抱き取って、ギュッと抱きしめた。

『ララ・・・・・・・・・・・・・・。』

やがて四股がかすかに痙攣したかと思うと、ララはそのまま妻の腕の中で動かなくなった。それは、少しも苦痛を感じさせない、穏やかな死であった。

平成6年5月5日午前零時50分であった。
皆が同じように声を上げて泣き、皆が同じ哀切の涙を流した。

そして、しばし悲しみの時間だけが流れた。

『ララったら、自分が死ぬ姿を皆に見られたくなかったから、それでさっき出て行ったのかしら。よく言うじゃない、犬は自分の死ぬ姿を見られたくないって。』

ポツンと妻が呟いた。

『でも、家族みんなで看取って上げられて良かったんじゃない。』

と息子。

『余り苦しまずに、眠るように逝ってくれたのが、せめてもの救いじゃない。』

と小生。

『この子ったら、死ぬ時まで家族に迷惑をかけないようにと気を使って・・・・・・・・。』

後は言葉にならない妻。

この一文を認めながらも、あの時の光景を思い浮かべると、涙が滲んでくる。

今日、5月5日は、愛犬『ララ」の命日である。
そして、今年は13回忌である。

ララ、今日もあの日と同じように家族全員が揃っているよ。
そして、ララ、おかあさんは今年『還暦』なんだよ。それでね、今日は皆でお祝いをすることにしてるんだ。

おにいちゃんも、おねえちゃんも結婚して、それぞれ新しい家族がいるんだ。

ララ、おとうさん、おかあさん3人の孫に恵まれて今じゃ『じいじ・ばあば』だよ。

と言うわけで、みんな元気で幸せでいるから安心してね。

ララ、お前は我が家に『癒し』と『潤い』と『優しさ』をもたらしてくれた、とても大切な存在だったね。一緒に過ごした13年8ヶ月は、今、楽しい、懐かしい記憶として家族みんなの心の中にしっかりと刻まれているよ。

ララ、たくさんの思い出をありがとう。

合掌


もう一つの『ラスト・スパート』

2007-05-01 | 趣味
                     

      テキストと小刀で入念に磨いでいるうちにいつの間にか短くなってしまったえんぴつ


前回のブログ(4月27日付『コレクター』)で弟から借り受けたジャズのCD30枚を聴き終わるまであと8枚になり、ラスト・スパートをかけている最中と言うことを書いたが、ほぼ同時進行でもう一つラスト・スパートをかけているものがある。

『えんぴつでを鍛える小倉百人一首』(1月28日付ブログ『一石三鳥』)である。

今年の1月6日に第1首を書き始めて今日で112日目である。
当初は『1日1首』書いていけば3ヶ月ちょっとで終るから、これは楽勝とたかを括っていたら、後述のとおり予定通りに事は進まず、実際は今日で91首目が終わり、ようやく残り1ケタにこぎつけた所である。


最初のうちは、当初に掲げた目標どおり、始める前に


① えんぴつを小刀で入念に磨ぎ、② 気息を整え、おもむろになぞり書きから始めるという手順をしっかりと守ってスタートしたが、1ヶ月も続けてくると当初の緊張感が次第にゆるみはじめ、今度は逆に『ノルマ』 として『やらされている』 と言う思いが強くなるなど心理的葛藤も生じて、それが『中だるみ』  につながり、結局はすんなり『100日』 でゴールインと言う訳にはいかなかった。


さて、ゴールを目前にして狙いであった『一石三鳥』は達成できたのか総括してみると、期待した効果は以下のとおりであるが

① なぞり書きと音読をすることで<脳>を刺激し、活性化する

② 百人一首をより深く理解する

③ 文字の上達につながる

①については、今の時点では残念ながら判定の術を持っていないので、結論は下しがたい。
②については、歌の解釈、背景等が明らかになって百人一首に対する認識を新たにすると同時に副次的効果として、百人一首に夢中になっていた子供の頃を懐かしく思い出し、癒しの『場』、癒しの『時間』を持つことができたのが、何よりも嬉しかった。
③については、楷書の基本形をしっかりと勉強できたと思っている。


残るところは9首 ゴールはまさに目前である。

もう一度初心に立ち返り、気持ちを込めて書き上げて有終の美を飾りたい。


小生の薦めで、おふくろと次兄がやはり「えんぴつで<脳>を鍛える小倉百人一首」に目下チャレンジ中である。

今度会った時、これを話題に会話がはずむのが今から楽しみである。