折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

取り止めのない『独り言』

2007-05-21 | 教育
                   
                  足の踏み場もないほどに散らかっている部室内


『相変わらず、ひどいもんだね。』

『足の踏み場もないじゃない。』

『我々が、毎回のように掃除してやってんのに、ここの子供たちったら全然気がつかないのかね。』

『先生も先生だね、生徒に整理整頓をちゃんと指導してるのかね。』

『職員室の先生方の机の上だって、随分と乱雑だもんね。整理整頓しろ、と強く言うのはちょっと気が引けるのと違う?』

居合・抜刀の稽古が始まる前のことである。

午後7時前になると三々五々メンバーが集まってくるが、真っ先に話題に上るのが練習で使わせてもらっている学校の剣道場の散らかし放題になっている部室の状況を嘆き、憤る言葉であり、冒頭の会話がメンバーの言わば挨拶代わりになってから久しい。

今回も一向に改まる気配のない状況に苛立ちを募らせているメンバーの声を横で聞きながら、小生もいつしかこの問題について、取り止めのない思いの中に引き込まれていった。
以下は小生の独り言、モノローグである。


だけど、いやしくも武道を志す者にとって、道場をきれいに掃き清め、自分達が稽古着に着替える場所の整理整頓に努めるのは、初歩中の初歩でしょうよ。こう言う基本的なことも部活の先生は教えないのかね。

試合での礼儀作法については、教えるんだろうけど、防具の手入れ、整理整頓についてはどうなのかね。でも、この有様を見れば、およそ見当がつくじゃん。

どうして教えないのかね、その辺が全然理解できないね。

教える方も、教わる方も、面倒くさいからと違う?

そんな横着な!!

そう思うだろう、だけど現実にはある程度の努力、忍耐、不自由さを伴う『義務』の履行を指導するってのは、容易なことではないんじゃない。

確かに後片付けとか整理整頓とかは結構面倒だものね。できればやりたくない、誰かにやって欲しいと思ってるのが多いという訳か。

今の世の中、権利は人一倍主張するが義務の方は疎まれ、軽んじられていると言うことと大いに関係があるのと違うかね。

これには多分幼児期の『しつけ』も関係があるんだろうね。『しつけ』には、努力と忍耐が必要であり、手間、暇がかかるからね。

最近の『大らかに、伸び伸びと育てる』と言う教育方針には大いに賛成だけど、その美名の下、基本的な『しつけ』までがないがしろにされて、『放任=手抜き』が行われているということはないかね。

正直言って、子供の給食費を払えるのに払わないと言う親に育てられた子供は一体どうなるのか、他人事ながらはなはだ心配だね。

大人の世界=価値観が、ダイレクトに子供の投影されるというからね。小さな子供の前で、大人が平然と赤信号を無視して道路を横断している。大人が平気で約束事を反故にしている。学校に『道徳』の授業をと言う前に大人のモラルが先ずは問われなければ・・・・。

ある現役の先生がこんなことを言っているのを聞いたことがあるんだ。それはね、『この子の親の顔を見てみたい』と言う言葉は、ちょっと前までは、先生方を手こずらせるどうしようもない『ワル』の親は、一体どんな親なんだと言う意味合いに使われていたが、今は、こんなに『素直な良い子』に育てた親ってどんな親なんだと言う180度違う意味に使われているんだって。

へえ!ほんとかね。

話を元に戻すと、『整理整頓』なんて言葉は、今や『死語』になっちゃったのかね。

整理整頓と言う言葉が『死語』になっちゃったかどうかはともかくとして、『死語』の増加は『モラルの低下』と相関関係があるんじゃないかな。

『Kさん、何ぼんやりしてんのよ、練習始めるよ。』

と言う声に「はっ」と我に返る。

さあ、雑念を振り払って、『稽古、稽古』