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青空へ 胸張る如く 木守り柿
発風山ハイキングの続きである。
登山道をちょっと行くと、一軒の家があり、その庭先に1個だけ実をつけている柿の木があった。
そのさまを見て、少し前に読んだ天声人語の一節を思い出した。
▼筆者が育った田舎にも、あちこちに柿の木があった。竿でもいでよく食べたものだ。今はそうでもないらしい。何年か前の川柳欄に<熟れ柿の少しも減らず少子国>と載っていた。これでは「木守り柿」の風習も意味をなさない▼取り尽くさず、いくつか木に残す実をそう呼んだ。来年もよく実るように、お守りとして、あるいは鳥のために残しておくと聞かされた。葉の散った枝にぶら下がる光景を、懐かしく思い出す方もおいでだろう(11月10日 朝日新聞「天声人語」より一部抜粋)
そんなことを思いながら見たせいか、その柿が「木守り柿」としてその存在をアピールしているように見えた次第である。
そして、天声人語の筆者が思い浮かべたのは、まさにこんな光景ではなかったのだろうかと、思いを馳せた次第である。