折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

老母の寂寥感

2010-05-06 | 家族・母・兄弟
朝の散歩の途中、ポケットの携帯電話が鳴る。

実家で老母と一緒に暮らす長兄からの電話、一瞬、嫌な予感。

『西隣のおばあさんが亡くなって、週末に告別式なんだ』
『それでは、おばあちゃんの誕生日祝いダメだね』
『それで電話したんだ。』

母は今月で94歳になる。
そして、この週末、われわれ4人の子供たちとその家族が集まって長寿をお祝いする会を催すことになっていて、その段取りを小生がしている。

急いで、他の兄弟たちに会の延期の連絡を入れると同時に、折り返し老母に慰めの電話をする。

何事につけても地域共同体的色彩が濃い田舎にあっては、ご近所付き合いは欠かせない。

20歳で嫁いできて70余年。同じ集落で生活を共にして来たご近所の人たちは、母にとっては、苦楽を共にして来た仲間であり、同志でもある存在である。

その仲間も、東隣のおばあちゃんが昨年他界し、今度は西隣のおばあさんの死である。二人とも母より年は下であった。

『友だちも、ご近所の人もみんな私より先に逝ってしまって寂しいよ。長く生きているのも良し、悪しだよ』

この『長生きするのも良し悪しだよ』と言う言葉は、最近、老母がよく口にするフレーズである。

自分の身の回りから、親しかった人、よく知っていた人が一人、また一人といなくなって、気がついて見たら自分一人だけになっている。それを思うと、この上なく寂しく、耐え難い気持ちになるらしい。

特に今回は、楽しみにしていた週末の誕生会を前にしての突然の訃報と誕生会の延期を知らされて、電話から聴こえて来る母の声には、気落ちした様子と寂寥感がにじんでいて、聴いていて、胸が詰まる思いで、慰める言葉が見つからなかった。