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折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

ドキュメント・『ザ・株主総会』③

2006-10-22 | 仕事・職場
第3回 株主総会当日 総会屋大挙して出席


総会開会へのカウントダウン


株主総会の当日、会場である本社別館には社旗、国旗がポールに掲げられ、玄関には「株主総会会場」の立て看板が掲出され、緊張のうちにその日の朝を迎えた。


AM6:15
事務局全員が揃い、朝のミーティング

AM6:30
社長出社、自室にて静かにその時を待つ。

AM7:30
当社研修所の宿泊施設に泊り込んでいた証券代行部の担当者が、会場の入り口に設置された受付にスタンバイ。

AM8:00
一連の準備状況を確認して、1階に行く。
駐車場から一見してそれとわかる連中が、数台の車から降りて、何か喋りながら歩いてくる。中には、見知った顔も見える。「おはようございます。遠路ありがとうございます」と一応、挨拶する。

「・・・・・・・」
じろっと、一瞥をくれて通り過ぎていく。

これを境に、黒塗りの高級車が何台も入ってきては、その都度数人の総会屋が会場の建物へ入っていく。

「いよいよ、始まる」と体が震える。
急いで、4階の会場に戻り、受付で今までに来た株主の氏名を確認する。

そして、再度会場の様子を見に行く。
会場は、当日の出席株主を100名前後と見て、120席準備している。

前から3列ほどを既に打ち合わせしたとおり社員株主が、びっしりと座っている。
S課長は、真ん中の列の中ほどに陣取って社員株主全体をリードする。小生は、事務局に入って、社長、顧問弁護士、事務局員のコミュニケーションを図る、と言う役割分担になっている。

総会屋は、まだ入場しておらず、別室の株主控え室で何やら打ち合わせているようだ。再度、受付に行き、その後の株主の出席状況を確認する。新たに、何人かの総会屋が受付を済ませていた。

AM8:30
予め警備要請していた地元の警察署から刑事5名が会場に到着、別室でこれまでの総会屋の出席状況や質問状が多数来ていることを説明する。刑事たちも、出席している総会屋の人数、氏名等を聞いて緊張した表情となる。
会場の最後の列に椅子を準備して、そこに座ってもらう。

AM8:45
駅に迎えに行っていた社用バスが、一般株主さんを乗せて到着、受付が急に忙しくなる。会場も開始時間1時間以上も前だというのに、ほぼ満席である。
総会屋も、思い思いに着席して、その時を待ち受けている。


受付けで確認したところ、今日出席している総会屋は、関西で今売り出し中の2グループ、また、S社のロングラン総会の仕掛け人でもある、Mグループ、Kグループ、Tグループ、昔からの大物総会屋SグループのNとKなど、主だった者だけでも20名を越えている。

容易ならざる事態である。これに対し、当方で準備した社員株主は40人余、「これで、果たして大丈夫か、もう少し多くすれば良かったか」との思いが、一瞬、頭をよぎる、最早打つ手はない。これで最善を尽くすしかない。

AM9:00
これまでの状況を、社長に報告する。
「わかった、打ち合わせたとおり、2時間は『親切総会』で彼らの質問を受けるが、それを過ぎたら、一気に議事を進める、それでいいな」

「はい、それで結構です。よろしくお願いします」
トップと事務局の最終の意思確認であった。


そして、時間は刻々と過ぎ、いよいよ開会時間の10時を迎えた。


ドキュメント・『ザ・株主総会』②

2006-10-18 | 仕事・職場
第2回  水面下での戦い  その2  リハーサル

突っ込まれて、「立ち往生」する役員も

社長を初めとする全役員、監査役、顧問弁護士、証券代行会社の専門家それに本社各部門から選抜された社員株主、そして総会屋役を演じる事務局員と全ての関係者が一堂に会して、今日は最終のリハーサルである。


最初にS課長が、これまでの状況を詳細に説明した後、こう付け加えた。「本日は、事務局の者が総会屋となって、社長をはじめ役員の皆さん方に質問をさせていただきますが、質問者には、総会屋の役に徹して、容赦は無用、遠慮なく、徹底的に追求して欲しい、と言ってあります。質問内容も相当突っ込んだものもあり、場合によっては総会屋よりも厳しい質問になるかもしれません。失礼がありましたら、平にご容赦願います。」と一言断りを入れて、リハーサルが始まった。

リハーサルは、同席していた証券代行会社の専門家も驚くほど、リアルなものとなった。

役員の中には、質問に答えられず、罵倒されて露骨に顔をゆがめる人もおり、途中で一部の役員から、「やりすぎではないか」との批判も出たが、この意見は社長から直ちに却下された。

そして、引き続きそれこそ容赦のない、徹底した質問攻勢が繰り返された。

一方、社員株主に対しては、場の雰囲気に飲まれることなく、「賛成、異議なし」、「議事進行」と大きな声で議長をサポートすること、また、総会屋の挑発に乗って、暴力沙汰ならないよう言動に十分注意することなど、それぞれが果たすべき役割と留意事項の徹底が図られた。

特に、「質疑打ち切り」の動議を提出する社員株主には、発言するタイミングと、大きな声で、はっきりと発言するよう、練習が入念に行われた。

同時に、動議を提出する社員株主を総会屋からどうガードするかと言う練習も、実践さながらに行われた。

最後に社長が、総会に臨む基本方針について、「最初の2時間は、株主の質問に懇切、丁寧に応対する『親切総会』で行くが、それ以上総会屋が議事を撹乱するようであれば、毅然として対応し、『強行突破』で臨む。各自、その積もりで対応してもらいたい」と言う明確な指示と訓示があった。


そして、緊迫したリハーサルを社長が、「今日は、このリハーサルで『役得』をし、中には、溜飲を下げた者もいたかもしれないが、総会屋役を務めた事務局も今回は相当大変だったみたいだから、少しはストレスの解消になったかな」と言うユーモアのこもった一言で締め括ったので、ピリピリしていた雰囲気もなごんで、最終のリハーサルが終了した。

その後は、社員株主には退席してもらって、社長をはじめ経営陣、顧問弁護士、事務局で、質問状に対する「一括回答」ならびに「想定問答集」の最終チェックを入念に行った。

やるべきことは、全て手を尽くした。
後は、「本番」を待つのみである。 

ドキュメント・『ザ・株主総会』①

2006-10-14 | 仕事・職場
これは、今から20年以上も前、「総会屋」と呼ばれ人種が跋扈していた時代のドキュメンタリーである。

株主総会招集通知



第1回  水面下での戦い その1 質問状の山に「徹夜」で対応


<株付け>

「今期の新規の株付けの状況はどう?」と上司のS課長

「いやあ、参りました。性質の悪い連中が、わんさと株付けしています。これは、非常事態です、すぐに対策を練らないと・・・・。」

証券代行会社から送られてきた全株主名簿を繰りながら、小生はうめき声を上げていた。

総会屋が株主総会に出席するために当該会社の株式を購入し、株主名簿に氏名を登録することを業界用語では、総会屋が「株付け」をすると言っている。
それは、「株主総会に出席して発言するぞ」との予告と受け止められている。

株主総会の担当者は、会社の決算期日が過ぎ、その期の株主名簿が作成されると、真っ先にこの新規の株付け状況をチェックする。

「見てくださいよ、あちこちの総会で発言を繰り返している、売出し中の奴ばかりが、こんなにもいます。」と株主名簿からピックアップした一覧表を手渡す。

リストの中には、12時間30分にも及んだS社のロングラン総会で入れ替わり立ち代り質問を繰り返した総会屋グループの名前も数多く含まれている。

「ウーム、これは!!・・・・。今回は、社長にも腹を括ってもらわないと」とS課長。

容易ならぬ事態であり、一丸となって取り組まないととんでもないことになりかねない。直ちに、総務部を中心に本社の各部門からスタッフが選抜され、「事務局」が発足、総会屋対策がスタートした。



<質問状>


株主総会の招集通知は、総会日の2週間前に株主に送ることになっている。
株付けをした総会屋は、それまでに会社に顔を出し、会社側のそれなりの対応を探っていくのが普通だが、今回は不気味なほどに全く動きがない。

「あいつら、やる気だ」事務局のメンバー全員が『臍』を固めた。

想定問答集の作成、新規に株付けした総会屋の他社での発言内容の収集と分析、経営陣に対する情報の提供、顧問弁護士との打ち合わせ等々、当面打てる対策を着実に実施していく。

「来てます、いっぱい来てます。」部下が内容証明郵便物を手に、興奮している。

株主総会招集通知が株主に届き、それをもとに総会屋が「質問状」を送りつけて来たのである。
これまでにも、質問状は何通か来たことがあったが、今回のように沢山の質問状が、波状的に送られてきたのは、初めてである。

質問状に対する回答は、原則それぞれの部門が対応することになっているが、相手が総会屋だけに、揚げ足を取られないような慎重な言い回しが求められるため、事務局の責任者であるS課長と小生が最終チェックをしている。(この言わば、官僚的な文章を書くには、ちょっとしたノウハウが要求されるのであるが・・・・・)


「また、質問状が来ているのですが・・・。」と担当者が、おずおずと1通の内容証明郵便物を手に事務局の部屋に入ってきた。総会日まで、後2日と言うギリギリのタイミングでの70問余の質問は、嫌がらせ以外の何ものでもない。

昨日送られてきた質問状の回答を仕上げ、一息ついて「もう、来ないだろう」と皆が思っていた矢先の質問状の到着に、これではきりがないとメンバー全員がいきり立った。

S課長が決断する。「質問状への対応は、この質問状を最後とする、明日質問状が届いてもそれは無視する。これが最後だ、もうひと踏ん張り頼む」と。

結局、この最後の質問状への回答が出来上がった時は深夜を過ぎ、終電もなくなり、皆、タクシーで帰宅し、シャワーを浴び、着替えをして、すぐに出勤という超ハードな勤務となった。

続・選択の行方(会長VS事務局)

2006-09-21 | 仕事・職場
「ほう、事務局も案を作ってくれたのかね。ありがとう。僕のはもう社長に出してあるけど、事務局のもあとで見せてもらうよ。」

と、会長は余裕綽々である。

そこには、文章に一家言を有する会長の強い自負がうかがえた。

とにかく、読んでもらえると言うことで、第一関門はクリアーできた。
S課長ともども、先ずはほっと胸をなでおろす。

翌朝、小生だけが会長に呼ばれた。

「参考になったよ。僕の原稿を少し手直ししてみた。これでどうかね。」

手直しの中味は、小生の原稿の中に入っていた相談役のエピソードや印象的なフレーズをちょっとずつ取り入れたものであった。
ただ、文章的には二つの異なる文体の文章をくっつけただけなので、文章の流れが原案よりも大分悪くなってしまっている。


ここで、会長の顔を立て、

「大変結構です。私の原稿を一部使っていただいて、感謝です。ありがとうございました。」と言えば、それで「ジ・エンド」。宮仕えの身としては、これでいきたい所だが、そうすると何のためにS課長と一緒に苦労したのか、何よりも、これがこのまま当日、弔辞として読まれたら、と考えると自分の保身だけを考える訳にもいかず、どう対応すべきかの決断を迫られた。


「会長、大変失礼で、申し訳ございませんが、手直ししていただいた部分が、『木に竹を接ぐ』ようで、文章全体の調和が損なわれているように思われます」と正直に申し上げた。

そして、次の瞬間、罵声が降って来ることを十分に覚悟した。

「そうか、『木に竹を接ぐ』か」会長はそう呟くと、

「わかった、今晩もう1回考える、明日まで、預かりだ」

翌朝、再度会長に呼ばれた。

「結論から言う、弔辞は君が書いたのが、ふさわしい。やはり、『餅屋は、餅屋』だ」と。

社長に提出済みの自分の弔辞を撤回し、事務局の面子を立ててくれたのである。

思わぬ結論に、身の置き所のないほど恐縮してしまった。

そして、あらためて会長の度量の大きさと、公正無私な態度に感激し、尊敬の念を新たにするとともに、「ご無礼をお許しください」と深々と頭を下げた。

社葬当日、会長が読み上げる弔辞をS課長と一緒にひとしおの感慨を持って聞いた。

今、振り返って見ると、「何とまあ、無茶なことをしたものだ」と反省することしきりであるが、このような無謀な試みに駆り立てたのは、ひとえに創業社長に対する、やみがたい敬愛の念がさせたのだと思う。

今から、19年前の小生の37年間の会社生活の中でも忘れられない思い出の一つである。


選択の行方(会長VS事務局)

2006-09-17 | 仕事・職場
これは、全従業員から慈父のように慕われた、創業者を悼む「弔辞」を巡るエピソードである。



「いやあ、参ったよ。」と上司のS課長。困惑の表情である。手には、数枚の原稿用紙。

「今、社長から預かってきた。会長が書いた社葬の弔辞の原稿。」

「もう、出来てるんですか。会長にしてみれば、自分の出番ですものね。」と小生

会長は、文章に関しては一家言有する、社内一の文章家である。一般紙をはじめ、各種のマスコミにも掲載され、社内報にも軽妙洒脱なエッセイを毎回寄稿している。

「問題は、中味なんだよ。ちょっと、読んで見てよ。」とS課長。

これまで、社葬の弔辞は職務として、小生がほとんど書いてきた。
普通の文章と違って、弔辞には、独特の言い回し、表現方法が求められ、文章の上手な人でも、苦労する。


会長の文章は、堅実な文章であるが、弔辞として、心を打つフレーズが少ない。
淡々と型どおりの構成で、偉大な創業者を悼む弔辞としては、平凡で、いささか物足りなさが残る内容であった。

「しかし、社長も了解して、『これで決まり』なんでしょう。」と小生。

「多分、十中八九。でもさ、相談役を神様のように敬い、親のように慕っている従業員が、この弔辞を聞いてどう思う?」とS課長。

「で、どうしたいんです、どうしろと?」と小生。

「社葬の事務局は、うちだ。うちの案と言うことで、相談役への従業員のひたむきな思いを込めた弔辞を書いて、出そうじゃないか。駄目なら、駄目でいいじゃないか。」とS課長。

小生は、一瞬「風車に挑むドンキホーテ」を思い浮かべてしまったが、「いいんですね。」と念を押して、引き受けた。

かくして、相談役の在りし日を偲びながら、弔辞の原案作りに没頭する日々が続いた。

そして、草稿が完成した。

あとは、「当部の原案です。」と会長の所に持参する勇気があるかどうかである。

そして、賽は投げられた。

(続く)