折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

名君の波乱万丈の生涯~韓国ドラマ『イ・サン』終わる

2011-02-14 | 映画・テレビ
2009年8月にスタートし、1年半、77回の長きにわたってNHK衛星第2で放送されてきた韓国ドラマ『イ・サン』が昨夜とうとうフィナーレを迎えた。

この間、週1回(日曜日夜9時から10時)の放送を欠かすことなく見続けた『イ・サン』ファンの一人としては、感無量なものがある。

そして、これから先、大いなる楽しみの一つが減ってしまったと言う寂しさを禁じ得ない。



ドラマ『イ・サン』のオープニングの一場面(NHKBS第2)


物語の主人公は、18世紀後期の朝鮮王朝第22代王、正祖(チョンジョ)、名はイ・サン。

人間イ・サンの人生を、実在した人物や出来事をベースに、友情や純愛のストーリーを織り交ぜながらドラマチックにつづるヒューマンストーリーである。

物語は、王位を巡る朝廷内のさまざまな権謀術数、度重なる暗殺の危機、そして、友情、約束、純愛といったおよそ考え得るハラハラ、ドキドキ、わくわくの3要素をてんこ盛りにした感のある波乱万丈の物語で、毎回、毎回それこそ手に汗を握り、胸おどらせて見入ってしまった次第である。

韓国で最高視聴率38・9%を記録したのもむべなるかなと納得する面白さであった。


何故、それほどこのドラマに『ハマって』しまったのか、勿論、上述のように文句なく面白いストーリーに魅せられたと言うのが最大の理由であるが、世の中に蔓延する閉塞感、社会の変化に手をこまねいている『リーダー不在』の現状を見るにつけ、今、もっとも求められているのは、国を導いて行く強いリーダーの存在である。

そこで、人間として多くの苦悩を抱えながらも、王としての信念を胸に、立ちはだかる幾多の障碍、困難に雄々しく立ち向かい、民のための改革に一つ一つ着実に取り組んでいくイ・サンの生きざまの中に、今の時代に必要な優れた指導者像を見出し、それが多くの人たちの共感を呼ぶことになったのではなかろうか。

国を引っ張って行く『強いリーダー待望論』、それがこのドラマの人気の根底にあるように感じたのは小生だけだろうか。


(3月27日(日)からNHK総合テレビで毎週日曜、夜11時から『イ・サン』放送するとのことです。日本語吹き替え版(60分))

某テレビ局への不信と憤り~ドラマ『朱蒙(チュモン)』の度重なる放映日変更

2011-02-05 | 映画・テレビ
某民放テレビで放映されている韓国の歴史ドラマ『朱蒙(チュモン)』は、NHKBS2で放映されている『イ・サン』とともに楽しみにしているテレビドラマの双壁である。


毎回楽しみに見ている韓国の歴史ドラマ『朱蒙(チュモン)』

前回(1月30日)の放映中『次回の放送は、2月13日になります。ご期待下さい』というテロップが流れた。

2月6日の放映日がすっぽかされたのだ。

『えっ、またかよ』と思わずがっくりと肩を落とす。

このドラマは、毎週日曜日に放映されているのだが、テロップは来週(2月6日)はお休みですとの予告なのだ。

今年に入ってもう3回目である。

そもそも、このドラマ、放映を開始したときは週2回(木曜日、金曜日)だったが、途中から週1回になってしまったのだ。見る側としては、週2回が1回になっただけでも興をそがれたのに、週1回になったら今度は放映日がしばしば変更になるのでは、腹立たしいことおびただしい。

しかも、飛ばした日に放映される番組が、やむにやまれぬ特別なものなら仕方ないとあきらめるとして、単なる番組の差し替えなのだから、何とも納得がいかない。

テレビ局サイドのご都合主義で勝手に放送日を変えられたのでは、放送を楽しみに待っている者は、たまったものではない。

『朱蒙(チュモン)』ファンの一人として、余りにも視聴者をないがしろにする某テレビ局に不信と不満と憤りを禁じ得ない。

そして、多分、そう思っているのは小生だけではあるまい。
きっと、多くの視聴者が視聴者を愚弄するにも程がある、いい加減にしろと憤懣やるかたない思いを抱いているに違いない。

この際、某テレビ局は『視聴者あってのテレビだ』という原点に思いを致してもらいたいと強く苦言を呈したい。

文句なしに面白い!~これぞ映画の醍醐味『アンストッパブル』

2011-01-14 | 映画・テレビ
幼なじみたちが『初歩き』を楽しんでいた日、ブログを書き上げてしまうと、すっかり手持無沙汰になってしまったので、前々から見たいと思っていた映画を見に出かけた。

その映画は、『アンストッパブル』。

突然暴走を始めた<無人貨物列車>

全長:800メートル・時速160キロ
積荷:ミサイル級の発火燃料19万リットル
予想被害者数:10万人
大惨事までのタイムリミット:わずか100分

これは、暴走列車を止める使命を託された、2人の男の物語。



パニック映画ファンにとって、何とも胸をときめかせる魅力的なキャッチ・コピーではないか。

このキャッチ・コピーを見た時から、今年の映画の『見始め』はこの『アンストッパブル』にしようと決めていた。


映画『アンストッパブル』の1シーン。

実際に起こった列車暴走事故を基に、危険な薬物を大量に積載したまま無人で暴走し始めた貨物列車を、二人の鉄道マンが止めようと奮闘するサスペンス・パニック・アクション映画である。

映画の見方、楽しみ方は、人それぞれだろうが、少なくとも映画は『面白くなければならない』、『楽しくなければならない』というのが小生の持論である。

ましてや、極上のエンターテイメント映画には『ハラハラ』、『ドキドキ』、『わくわく』の3つが、欠くことのできないファクターであるが、この映画はこの3要素を充して余りある、実に映画の醍醐味ここに極まれり、といった出来栄えである。

大惨事など起こる筈がないのだとわかっていても、ハラハラ、ドキドキする見せ場が次々に出現し、息つく暇もなく、手に汗を握って、画面にくぎ付けになってしまう。

これだけのスリルとサスペンスあふれる映画を久しぶりに見た。
そして、あっという間に1時間39分が過ぎていた。

ネットのレビュー欄にある人が、『暴走列車と共に最後まで息つく暇もなく、面白さも止まらない文句なく楽しめた映画だった』とコメントしているが、まさにその通りで、暴走列車同様、面白さも止まらない映画であった。

大いに期待したのだが・・・・・~映画『13人の刺客』

2010-10-20 | 映画・テレビ
4人兄弟で見た映画『13人の刺客』についての感想。


将軍の弟という地位をかさに、残虐の限りを尽くす暴君・松平斉韶(稲垣吾郎)。その非道を見かねた老中の命を受けた島田新左衛門(役所広司)ら13人の男たちが、、参勤交代で国元に帰る機会をとらえ、斉韶を討つべく要塞化した宿場町でさまざまな大仕掛けの『罠』を仕掛けて、300人の敵に決死の戦いを挑む、というのが、本作のおおまかなストーリーである。


 
映画『13人の刺客』のシーン


とにかく、この仕掛けが『あっと』驚くほど、多種、多様で、これを『凄い』と見るか、『やり過ぎ』と見るかで、映画に対する評価が違って来るのではないだろうか。

この仕掛けには、1963年に作られた同名の映画を意識せざるを得なかった点があるのだろう。

即ち、1963年版でのクライマックスの襲撃シーンは、『13人対53人』の戦いだったのだが、その戦力差を本映画では一挙に『13人対300人』に拡大したのだから、人為的な仕掛けなしには到底太刀打ちできない設定にあえてしたのだ。

13人対53人であれば、多勢に無勢ではあるが、生身の人間同士の戦いとしてのリアリティを出すことは十分に可能だろうが、13人対300人となるといくらさまざまな仕掛けを用意したとしても、リアリティどころでなく、何か絵空事の世界を見ているようである。

まして、主人公の島田新左衛門と敵役の参謀である鬼頭半兵衛は、かっては剣の同門同士で、お互いの手の内を知り尽くしている間柄であり、物語の進行を見ればわかるとおり、この戦いは二人の頭脳戦、神経戦なのである。だから、あのような大規模な『罠』を切れ者の半兵衛が見逃すはずがないことは、見ている者なら誰でもわかることなのだが・・・。

エンターテイメント性を際立たせるため、あえてストーリーの粗さに目をつぶったのだろう。

そう思って、見ているとあの50分にわたる戦闘シーンも、何となく白けた気分になってしまった。

そして、1963年版の同じシーンをぜひ見て見たいと思った次第である。


往々にして、前評判の高いものほど、その期待を裏切られることがある。

『13人の刺客』も実は大いに期待し、公開と同時に見に行きたいと思っていたほど、見たかった映画だったが、期待が高かっただけに見終わって、ちょっとがっかりした。




『序』、『破』、『急』を見事に演出~映画『必死剣 鳥刺し』

2010-07-21 | 映画・テレビ
居合道を志す者が修練し、必ず身に付けなければならない大切な心得の一つに『序・破・急』の教えがある。

そして、今、稽古していて折に触れ、注意されるているのが、このことである。

元々は、『雅楽』の世界の言葉であったが、後に世阿弥が『能楽』の世界に取り入れ、広く知られるようになった、とある。

居合道における『序・破・急』の考え方の大本は、この世阿弥の唱えた『序・破・急』の思想を取り入れたものである。

即ち、序・破・急とは、物の動きの順序を教えたもので、初めは静かに、次第に早く、最後は最も急にということで、居合いの刀の抜き方も、先ず鯉口を切り、静かに抜き始め、次第に速度を増し、そして最後は『鞘放れ』の瞬間、一気に激しく『抜きつける』。
この瞬間こそが最も速く、最も鋭く、これぞ居合の生命線と言われている。



映画『必死剣鳥刺し』の1シーン。


先日、久しぶりに映画を見に行った。

お目当ては、藤沢周平原作の『必死剣 鳥刺し』である。

この映画を見て、前述の『序・破・急』のことを思い浮かべた。


物語は、江戸時代の東北の小藩、海坂藩。

主人公は天心独名流の遣い手。

彼は、愛する妻に先立たれ、生きる意欲を失ってしまっている。
その彼が、藩政に悪影響を及ぼしている藩主の愛妾を城中で刺し殺す。

死を覚悟した主人公に意外なほど寛大な処分が下り、再び藩主の傍に仕えることに。

腑に落ちない思いを抱きながらも、亡妻の姪とのおだやかな日々の中で主人公は再び落ち着きを取り戻す。

ここまでが、序・破・急のうちの『序』の部分。

東北地方の美しい自然、慎ましやかなうちに張りつめた空気が漂う武士の日常生活が、さまざまな美しい所作とともに丹念に描かれていて飽きない。
藤沢文学を映像化すると必ず取り上げられる場面である。


そして、彼の助命に少なからぬ影響を及ぼし、庇護者でもある中老から、主人公に、必勝技“鳥刺し”をお上のために役立てろという秘命が下る…。
これまた藤沢文学でおなじみのテーマである『お家騒動』の構図である。

その相手は、藩主と対立している別家の当主。
彼は、直心流の達人で、藩主に対し臆せずに苦言を呈する唯一の存在である。

ある日、百姓一揆の鎮圧を巡って藩主に直談判に及ぼうと登城する別家の当主。

それを阻もうとする主人公。

手傷を負いながらも、この強敵を倒して主君を守った主人公。

ここまでが、『序・破・急』の『破』の部分である。


激闘の末、難敵を倒して主君を守り切った主人公に同僚たちから称賛のまなざしが注がれる中、そこには主人公の運命を暗転させる、全く予想のできない周到な罠が張り巡らされていたのだった。

非情な政道に翻弄されたことを知り、茫然自失する主人公。
あっけにとられる、同僚たち。

武士の矜持を踏みにじられた男の憤怒、激情が奔流となって爆発する。

ここからが序・破・急の『急』の部分に入る。

戦う相手は同僚たちである。
その同僚たちも、上司の命令には逆らえない。

それだけに、延々と続く肉を斬り、骨を断つ壮絶な斬り合い、殺戮場面には胸が痛む。

そして、切り刻まれた主人公が最後に見せた技、その技によって『鳥刺し』の秘剣が詳らかになる。

直心流の別家当主との斬り合いシーンも迫力満点であったが、運命の非条理に己を爆発させ、すさまじいクライマックスになだれ込んで行く場面こそ、それまで溜めに溜めてきたエネルギーが一気に解き放たれた、まさに、これぞ序・破・急』の『急』と言うべきものなのだろうと思った次第である。


『序』、『破』、『急』を見事に演出した『必死剣 鳥刺し』は、時代劇の醍醐味を満喫させてくれた映画であった。