折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『持続力』、『集中力』を計るバロメータ~『千字文』に連続チャレンジ

2010-02-17 | 趣味
月2回、趣味の『書』を習いに池袋のカルチャースクールに通っている。

その日、少し遅れて教室に行くと、何時もより賑やかである。

この日は、今年の展示会に出品する作品を決める最初の打ち合わせが行われていたのだ。

小生も、席に着くなり、先生から『もう何を書くか決まった?』と聞かれ、瞬時、戸惑っていると、小生の前の席に座っている、この教室の『主』のような存在で、みんなから一目置かれているS老女史が小生の方を振り返って、

『あなた、昨年は楷書で【千字文】を書いて出品したわよね。そして、今、先生から行書で千字文を習ってるのでしょう。それだったら、今年は行書で書いた千字文を出品したら。そうすれば、去年と今年の自分の「持続力」、「集中力」に違いがあるかどうか、わかるかもよ』

と貴重なアドバイスをしてくれた。


昨年の出品作品=楷書で書いた【千字文】
今年はこれを行書で書くことに


そして、先生も、

『そうね、折角、行書で千字文を練習してるのだから、今年、行書の千字文を作品にするのは、いいんじゃない。前にもお話ししたけど、千字文は「気力」、「体力」、「集中力」、「持続力」が揃っていないと書けないの。だから、『楷書』で書いただけでも大変なことなのに、『行書』でも書くと言うことになれば、それこそ本当に素晴らしいことよ。私などは、もう書きたくても書けない。Kさんにとっては、今が書くチャンスよ、一生の思い出になると思うわ、頑張って』

と暖かいエールを送ってくれた。

先生の励ましと、去年と今年の自分の「持続力」、「集中力」に違いがあるかどうかのバロメータになるという老女史の言葉に後押しされる形で、

『今年は、行書で千字文にチャレンジしてみます』

と早々と皆の前で明言してしまった小生である。


昨年は、『好奇心』、『怖いもの知らず』、で突っ走ったのが結果的に『持続力』と『集中力』につながったのではないかと思っているが、今年はその点、いささか不安なところが無きにしも非ずである。

昨年は、ほとんど練習もせずにぶっつけ本番だったが、今年はまだ時間的余裕も十分にあるので、しっかりと準備をし、新たな気持ちで取り組んでいきたいと考えている。

そして、『持続力』、『集中力』にこの1年で違いが生じたかどうか、しっかりと見定めて見たいと思っている。



【千字文】
千字文は、天地万象をうたい上げて、重複する文字が一字もない、四字一句の250句から成る一千字の詩である。
作者は梁の武帝の臣、周興嗣。彼は武帝の命によって、この千字文を一夜にして作り上げたが、そのために鬢髪ことごとく白く変わったと伝えられる。

「素材」と「手本」に恵まれる~今年の書道展示会

2009-07-05 | 趣味
             
             「気力」と「集中力」で書きあげた「千字文」


吉祥寺にある武蔵野市立吉祥寺美術館市民ギャラリーは、小じんまりしたギャラリーであるが、そこで今年も小生が所属しているD会書道会展が7月2日(木)から7日(火)まで開かれている。

小生の作品は「千字文」。
全紙に楷書で千字びっしりと書いてあるので、いやでも目につく。

小生が展示会に足を運んだ時も、人だかりがしているので近づいて見ると何と自分の作品ではないか。
人だかりの後ろから、そっと自分の作品を眺める。


                
                 ギャラリーに掲出された「千字文」
                 サイズが大きすぎてカメラにうまく収まらない。


何と言っても、表装され作品となったのを見るのは初めて。
「馬子にも衣装」でそれなりに見栄えがするな、と眺めていると小生が教えを受けているY先生が、お友達のA先生と連れ立って小生の所にお見えになった。

「いい作品に仕上がったわね、とても素敵よ」と誉めてくれた。

A先生からも、

「折り目正しくて、美しくて、清々しくて、その上、気持ちが入っているのがいいわよ」とお誉めの言葉が。

そして、さらにY先生から

「『千字文』は、書ける時に書いておかないと年を取ると書きたくても書けないのよ。今回は丁度良いタイミングだったのではないかしら。きっと、一生の想い出に残るものとなるわよ」

「そうよ、体力、持続力、集中力の三拍子が揃うのは若い時。
最後まで一点、一画もゆるがせにしていない集中力、持続力には脱帽よ」

とA先生。

余りにも過分なおほめの言葉に感激もひとしおである。


もう一つY先生に感謝しなければならないことは、題材に「千字文」を選んだ時にお手本として大貫思水先生の「新版四体千字文」を紹介してもらったことである。


              
                一目で気に入った大貫思水先生の「新版四体千字文」のお手本


一目見て、これぞ小生が求めていた理想の書体、とその出会いに感謝した次第である。

1000字と言う長丁場の作業に耐えられたのは、この大貫先生の字に魅せられ、何とか少しでも真似ができないものかと一生懸命頑張ったからに他ならない。


と言う次第で、今年の作品は、素材と手本に恵まれ、これまでの展示会の中では満足のいく作品となった。



【石の上にも3年】


今日、7月5日でブログを始めて満3年になる。

「石の上にも3年」と言うが、よくもまあ、書き続けて来れたものだと、今、ある種の感慨に浸っている。

第二の人生を歩み始めて6年半。

その半分に当たる3年間の歩みを、形あるものとしてとどめることができたのは、一重にブログのお陰である。(尤も、もう少し早くブログのことを知っていたら、第二の人生のスタート時点からカバーできたのにと、いささか残念であるが・・。)

これからも、「体力」、「気力」、「知力」が続く限り、日々折々の思いや、出来事などをブログに綴っていきたい思っている。


「根気」と「集中力」の世界~「千字文(せんじもん)」に取り組む

2009-04-23 | 趣味
<大先輩>


小生が月2回通っている池袋にあるカルチャー・スクール「書道教室」でのこと。


「あなた、よく書いたわね」
「わたしが書いたのは、もう一昔も前のことよ」
「わたしには、残念だけどとてもこれを書くだけの気力も体力もないわよ」
「そう、そう、これを書くのには、根気と集中力がいるのよね」
「あなたは、まだ、若いからできるのよ。うらやましいわね」


その日は、7月に書道教室が開催する展示会の申し込み締切日で、この教室の大先輩・古参の人たち(ほとんどの人が70歳代の女性)が多数顔を出していた。

皆、「一家言」持っているお歴々である。

その人たちが、小生が出典作品として持参した「千字文(せんじもん)」を見て示した反応が冒頭の会話である。

さすがによる年波には抗せないのか、出てくるのは昔を懐かしむ声ばかりである。

しかし、決して作品を誉めないのは大先輩としての「矜持」か?

その点、先生は

「とってもきれい、いいわよ」

と誉め上手である。


<一行46文字、23行。一行1時間>


リタイア後の趣味の一つとして、この書道教室に通いだしてからもう6年になる。

普段はお年寄りの「社交場」の感のある、のんびりした教室も、展示会を控え、今月中に出品作品にめどを立てなければならない、この季節だけは皆真剣である。

ほとんどの人が、先生のお手本を書いて出品しているが、小生は最初の年だけはそうしたが、翌年以降は自分で書きたい作品を選んで出品している。

昨年は、「般若心経」の写経を、今年は「千字文」にチャレンジしている。

                  
お手本として使用した大貫思水著「新版四体千字文」
千字文は、天地万象をうたい上げて、重複する文字が一字もない、四言二百五十句、一千字の詩である。
作者は梁の武帝の臣、周興嗣。彼は武帝の命によって、この千字文を一夜にして作り上げたが、そのために鬢髪ことごとく白く変わったと伝えられる。


今回はこの「千字文」を一行46文字、23行の罫線入りの全紙(幅70㎝、長さ140㎝)を使って書いた。

一行46文字を書くのに要する時間は、およそ1時間弱。
23行書き終わるには、23時間かかる計算になる。

午前中2行、2時間、午後3行、3時間、1日5時間書いたとして、5日間かかる勘定だ。

この間、一字でも間違えたり、脱字があったりすれば最初からやり直しである。

昨年の「般若心経」は全文で262文字であったが、誤字脱字には随分と神経を使った。

それに比べ今回の「千字文」はその名が示す通り全文で1000字である。
その大変さにおいて、「般若心経」の比ではない。

手本を見ながら書いていくのだが、書く方にばかり神経を使っていると、思わぬ落とし穴が待ち受けている。読み飛ばしによる「脱字」である。

「あっ」と気が付いても後の祭り、それまでの苦労が一瞬にして「水の泡」である。

半分ぐらい書いてきて、脱字をしてしまったことが数回あった。

そういう時は、少なからぬショックで、しばらくは、立ち直れない。


                                                       
途中まで書いてきて、「脱字」のためボツになった書きかけの作品


そういう時は、「書いていて気に入らなかった字や、気になっていた字の不揃いなどもあったので、これらを直して、もっと完璧なものを書こうと」ポジティブに考えて、再び筆を取ることにしている。


まさに、「根気」と「集中力」が試されているのである。
逆に言えば、この「根気」と「集中力」が何ともたまらない快感なのである。

作品提出の締切日は5月18日。
もう1カ月も残されていない。
ラストスパートである。

これまで、「出ずっぱり」であったため、作品に取り組む時間がなかったが、一段落した今は、午前中2時間、午後3時間のノルマを課して「書道三昧」の毎日である。

これまで書いたのは4枚。
気力を振り絞って、今、5枚目にアタックしている最中である。

「元気」、「勇気」、「やる気」をもらう~平林寺歴代4住職の墨跡展

2009-01-10 | 趣味
数日前の新聞の地域版に

「平林寺新春展―無(MU)の心から―」が開かれていると言うニュースが小さく掲載されていた。

その記事によると、平林寺の明治から平成の歴代住職4人が書いた、だるまや観音図などを含む墨跡が一般公開されているとのこと。


昨年もそうだったが、リタイア後は外に出ることが少なく、とかく家にこもりがちな日々が多かったので、今年は意識して外に出ることを心がけようと思っていた矢先のこと、その手始めとしては、打ってつけかなと思って散歩がてらにのぞいて見た。


会場に一歩足を踏み入れた瞬間、墨痕あざやかに大書された「関」という文字が目に飛び込んできた。


「平林寺 第二十一世 峰尾大休(みねお だいきゅう、1860~1954)老師揮毫の「関(かん)」という文字。
横に張られた解説には、禅の厳しさを狭き門と表現した一語。
禅の関門はただではいかんぞ!やる気はあるか!とあった。



その気迫みなぎる雄渾な筆致に圧倒され、しばし見入ってしまった。


「平林寺 第二十一世 峰尾大休(みねお だいきゅう)住職が揮毫されたものです。この書をはじめ、平林寺に所蔵されている歴代の住職の墨跡が、こんな間近で見られるなんて滅多にありませんよ」


あまり熱心に見つめている小生を見て、会場につめていた係りの人が、そう説明してくれた。

確かにそのとおりで、他の3住職の揮毫された書や達磨、観音図などもそれぞれ個性にあふれ、その作品の一つ一つに、心洗われる思いがした。

                 
                 第二十二世 白水敬山(しろうず けいざん 1897~1975)
                 老師の達磨図
                 「直指人心 見性成仏」(自己の仏心・仏性に気づき、自らが
                 仏そのものであることを体得する意)


そして、この日は、この4人の住職の書や絵から

「元気」、「勇気」、「やる気」

の三つの「気」をもらい、身が引き締まる思いであった。

それは、小生にとって何よりの「お年玉」となった。



(写真は、係りの人が平林寺の了解を得た上で撮影)

懲りもせず・・・・・・

2008-10-23 | 趣味
「熱しやすく、さめやすい」余り誉められることではないが、小生の性格の一つである。

前回のブログで同級生との旅の様子を初めてチャレンジした「俳句」で紹介したが、どうもその俳句にはまってしまったらしい。

「五・七・五」が頭から離れない。

そんなことで、懲りもせず、今回も「俳句」。
すっかりと秋めいてきたある朝のパールとの散歩の情景を詠んだ駄作をご披露したい。


秋めいてきた<朝の散歩コース>のたたずまい


題して、

<パールとの朝の散歩道>にて


さわやかに   川面を渡る   秋の風


いつもの散歩コースについたのは、6時15分過ぎ。

早朝、大気は澄んで、散歩コースの横を流れる黒目川をふきわたる風が冷たくて心地よい。


愛犬の   歩み軽(かろ)やか   落ち葉道


愛犬のパールも心地良さそう。
ちらほらと落ち葉が見られるようになった、いつもの道を足取りも軽く、嬉しそうに歩いて行く。   


すれ違い   交わす挨拶   秋の朝


散歩を楽しんでいる人たちも、気分良さそう。
すれ違う時に、思い、思いに朝の挨拶を交わす人が多く見られる。


もみじ道   出会う老女に   母重(かさ)ね


散歩の途中でいつも出会う、お年寄りのご婦人。
すれ違う時に必ず立ち止まって、にこにこと笑顔を浮かべて、「おはようございます」と挨拶をしてくれる。
その姿に、田舎の老母の姿を重ね、こんな風に元気でいて欲しいと思う。


釣り人が   じっと見つめる   秋の川


川辺では、いつも同じ人が、いつも同じ時間に、いつも同じ場所で釣り糸をたれて、じっと川面に集中している姿がある。



毎日、変わらない朝の散歩道の光景である。