その設立にかかわった社会福祉法人の役員会に出席した。法人の運営の根幹にかかわる重大かつ
深刻な議題があったので、終了後いささか憂鬱な気分で玄関を出る。
そこに春を呼ぶ桜と言われる河津さくらのほころび初めた花が目に飛び込んでくる。沈んでいた
気持ちが一気に和らいだ。スマホで撮影したのだが、ピントが花でなく木肌に合わされてしまっ
たのは残念だった。
充分に注意しているつもりだが、誰にでも受け入れられるためにピント、明るさや遠近等が甘く
なるのはしかたないか? 時々ハッとするほどシャープな一枚が写っている幸運に嬉しくなる時
もあるのだが・・・
1972年2月19日からちょうど半世紀。 あの日連合赤軍による軽井沢人質立てこもり事件
が発生した。地元紙がその特集を組んでいた。当時私は30歳の時だった。仕事で国道18号線
を使って長野県には度々行っていたので、あの事件が引き起こした異様な雰囲気をじかに感じた。
軽井沢警察書や松井田警察署は夜11時という時間でも煌々と明るく照らされ、警察関係者や車
両、報道陣の車両でごった返していた。
その前年の1971年には8人の若い女性を次々と車で誘惑し、殺して埋めた大久保清事件があっ
た。彼が女性誘惑に使った車はマツダのロータリークーペ。同じ車種を職場の後輩が乗っていた。
かわいそうに彼にキヨっちゃんというあだ名をつけた馬鹿者がいた。もちろん注意したが、ほとぼ
りが治まるまでそう呼ばれていたようだ。
この連続した2年、群馬県警は疲労の極致にあったのではないか。
世間を騒がした二つの事件の余波は収まっていた1985年8月12日、県警はまたもや大混乱に
落とし込まれた。日航ジャンボ機墜落事故。航空機事故としては過去最高の死亡者を出してしまっ
た。この時の混乱ぶりも地元だっただけにありありと覚えている。
事故当時は林業関係者くらいしか踏み込む人のいない奥深い山岳地は現在国内最大の揚水発電施が
稼働中だ。脱炭素の切り札の一つ。
80年という歳月の間には様々な事件が起こる。今も日本とはかなり離れているが、ウクライナで
は何かが起きそうな険悪な雲に覆われている。
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