toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

212-270321墓場に眠る戦艦武蔵と乗組員

2015年03月21日 | もろもろ

      先週の暖かさで一気につぼみを開いたミツマタの花。

 

1000mの深海に眠る戦艦武蔵のリアルな動画がインターネット上に掲載された。全部を見ようとすれ

ば1時間はゆうにかかる。 英語のナレーションを消して画像だけを見詰める。

いろいろなことが思い浮かぶ。  ↓  興味のある方、時間のある方はクリックしてみてください。

                      http://musashi.paulallen.com/

掲載期限が過ぎて消されていることも考えられますが、3月21日現在は見ることができました。

 

戦艦武蔵が大和型2番艦として三菱長崎造船所で建造されたことを知ったのは30年も前か。吉村昭の

ドキュメンタリー作品であった。 

九州一円にいままでなかった妙な現象があちこちで始まった。 棕櫚(しゅろ)の樹を求める人々が民家

をおとずれて、棕櫚の樹を覆う繊維状の皮を買い求めていく。 今まで値段がつくものだとは思ってもい

なかった家人は頭をかしげる。 こんな書き出しではじまる小説だった。

 

長崎造船所は当然海岸に位置する。 長崎の街は海岸を底辺にして、家並みが山のほうにすり鉢状に

競りあがっていく。 家から造船所は非常に良く見通せる。 やがて造船所の周りに棕櫚の繊維を編んだ

カーテンが目隠しのように張り巡らされていく。 街には目の鋭い男たちが警戒する姿が目立ってきた。

造船所のあるほうを眺めている者がいると不審尋問を受けた。 また造船所に面したガラス戸は目隠

指示が出る。

こうした環境の中で武蔵の建造が始まる。 日本が大和に次ぐ2番艦を作っている事実を米英に知られた

くなかった。 完成したのは日米開戦の直前の昭和15年。当時の最新技術を盛り込んだ巨大戦艦武蔵も

結果的にはたいした戦果をあげることができず、フィリッピンのシブヤン海でアメリカ軍機の猛攻撃を受け

1000人を越える乗り込み員と共に海底深く沈んでしまった。

 

さて画面に戻る。 70年の歳月を経て、静かに上から降ってくるプランクトンの死骸が破壊された艦を埋

め尽くしている。 時々深海鮫が画面を横切ったり、名も知らぬ魚がカメラに驚いて逃げていく。

70年間漆黒の闇の中で静かに横たわっていた船体は突然のライトの中に浮かび上がる。

はっきりとわかるのはスクリューやいかり、そして45センチ砲があったと思われる大きな穴くらい。後は素人

の目にはなんだかわからない。 それにしてもまっすぐなものは何もない。何らかの形で破壊されている。 

それらをカメラはゆっくりとまた冷徹に映しだしていく。

 

船体と共に1000人の乗員が眠るこの姿のままにそっとしておくのが一番適切な鎮魂であることに異をとな

える人はいないと思う。 戦艦大和や撃沈された他の日米英の艦船と乗員も同様に・・・

戦争とはとてつもないものを作りそして破壊し、同時に兵隊、一般人を問わず多くの人間を死に至らしめるも

のだ。 昨今あの戦争の規模に匹敵するものは発生していないが、戦闘状態にある地域は各所にある。 

人類とは争わずにはいられない生物なのか。

 

小生、国を守る軍隊の存在を肯定する意見に賛同するものであるが、軍事力の存在そのものが争いの抑止

力となることを切に願うものである。 と同時に現在論議されている集団的自衛権の発動の諸条件について

は更に論議を深めてもらいたいものです。 あれだけの犠牲を払いながらもここまで立ち直った日本人の民

意レベルが戦前のような状態になる恐れがあるとは、どの角度から見ても思えないのだが・・・甘いでしょうか?

 

 

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2 コメント

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Unknown (ikiktasogare)
2015-03-22 20:54:26
マツカーサー回想記の「レイテ海戦」の中に、「18インチ砲をもつ日本の最新かつ最大の戦艦の一つ武蔵は撃沈されーー」と、ちょっと読みました。
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コメントありがとうございます (egiko-ike)
2015-03-22 22:19:30
レイテ沖開戦は日本側の作戦ミスと言われていろいろに検証されているようです。
劣勢を挽回すべく帝国海軍の総力戦だったようです。作戦はどこかに相当な無理があるので乾坤一擲という表現で糊塗しようということかも知れませんね。この敗戦で事実上帝国海軍は壊滅したのでしょう。まだ大和は残っていましたが、片道の燃料では玉砕と言われても仕方ないですね。戦死者にはまことに不遜な言い方ですが、こうして徹底的に叩かれてゼロからの出発で今があるわけで、もし日本が勝てないまでも負けずに講和なんてなっていたら、どんな国になっていたでしょうか? 恐ろしいです。
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