toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
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260-280213小代有希子著「1945予定された敗戦 ソ連進攻と冷戦の到来」を読んで

2016年02月13日 | 小説・映画・など

 白鳥の飛翔。新町の烏川にかかる岩倉橋の下流にて。

 

なかなか面白い本に接した。年が改まって1カ月余、なかなか面白い

本に巡り合わなかった。イライラがはじまる頃で良い本だった。

 

太平洋戦争末期の日本の指導者の一部は昭和20年8月15日以前少

なくともその半年前にはこの戦争が日本の敗戦で終わると考え、予想

される敗戦後の様々なケースにつき検討を行っていた。 

激しく米国と戦った日本が戦争が終結するや否や、手のひらを返すよ

うに米国の占領政策に素直に追従して戦後の復興が始まったことを疑

問に思っていた。国民性と言ってしまえばそれまでだが、本書はその

疑問に答えてくれた。

 

終戦の6日前に日ソ不可侵条約を無視して突如として満州に攻め入っ

たソ連軍。戦争終結をソ連に期待し働きかけていた日本は慌てた。

そして無条件降伏に続いたと理解していた。しかし指導部の一部はそ

れ以前からかくなる事態が起こることは予想していた。しかし突然の

新事態になんらの軍事的対応ができないほどこの時期の日本は疲弊し

ていた。この状況下で敗戦後に展開するであろう状況を少しでもまし

なものにすべく知りうる情報を総動員していたと書く。

 

近くの白鳥の越冬地にて。百羽近くの白鳥の中にただ1羽の黒鳥が混

じっていた。

やはり他から疎まれているのか、群れずひとり悠然と餌をついばむ。

 

昭和10年代日本人にとり、ソ連は世界で一番身近な西洋文明だった。

ロシア民謡、ツルゲーネフやトルストイ等の作家、日露戦争で捕虜に

なったロシア兵に対する暖かな支援体制、白系ロシア人などなど。太

平洋を隔てた米国や大陸の反対側の英国と異なり、すぐお隣の国がソ

連であった。欧米人といえばロシア人だった。

身近な外人だった白系ロシア人(ロシア革命で故郷を追われた人々)

は民衆の中に入り込み日本人と同じ生活をするケースが多かった。

往年のプロ野球選手であるスタルヒンはその典型だという。 旭川で生

まれて旭川中学で学び、日本人と変わらぬ生活をおくった。また名横

綱大鵬にもロシア人の血が流れている。チョコレートで有名なモロゾ

フも神戸で開業したロシア人の洋菓子店が発展した会社。青い目の行

商人が各地で見られたという。 一方米英人は庶民と交わることが少な

く、彼等同士の交友の中で過ごしていた。

 

本書は小説ではない。著者は当時の文書を丹念に読み下したうえで、

この本を書き上げた。検閲が厳しく真実の報道されなかったと言われ

ている新聞においても子細に調べるとかなり正確な記事も沢山ある。

庶民は戦争進行の真実を知る機会がなかったと思われがちだが、必ず

しもそうではなかった。

相手が大きすぎた。すべきでなかった戦争を肯定するものではないが、

この本はその戦争を終結すべく冷静に情報を分析した知性があったこ

とを教えてくれた。あれだけ多くの未来ある若者が死んでしまったに

もかかわらず生き残った才能が戦後の日本を立ち直らせた。彼らも死

なずに戦後を迎えていたら、と思ってみたりする・・・

 

生物学的な差異を除けば、男女は同じ能力を有していると思っている。

著者は東京外語大から東大大学院に進学した気鋭の学者である。女性

がこんな骨のある本を出すのだ。改めて著者の更なる活躍を期待した

い。

 

山歩きもサイクリングも3月彼岸ころまで凍結。何回かのスキーでバラ

ンス感覚が衰えないようにしています。周囲は転倒を心配するが、まだ

問題ないでしょう。

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