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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

一人ひとりが大切

2015年09月13日 07時03分55秒 | 思考試行

自分の周辺部ばかりに関心があって、大きな問題には、近寄らない。それは、たいてい個人の利益とは直結しないからであると思われているからだろう。

だが、今回の戦争法案では、明らかに個人の生活に大いに関係がある。世界に向かって、アメリカの子分として、戦場に立とうというのだから、これは大変なことである。

アメリカは、正義の味方かといえば、そうは言えない。資本の力が強く、政府もコントロールされているとみていい。戦争を引き起こす動機がある。戦争を継続しなければ生きてはいけない構造、仕組から抜け出すことができなくなっている。

その構造に、日本も引き摺りこまれようとしている。自公与党政権は、国を守るといって、国を危うくさせ、国民を守ると言って、実は道具とし使い捨てにする政策を継続している。

派遣労働者を確定化し、拡大し、貧富の格差をますますひどいものにしようとしている。この実情からどうやって、平和な日本、国民みんなが幸せに暮らせる国にできるのかは、一人ひとりの見識にかかっている。

国民一人ひとりを、本当に大切にする政策を実行する政権を樹立しなければならない。それはどこか、なければ作らなければならない。誰が作るのか。それは、一人ひとりの我々である。


派遣法をこの災害のなかでも通した

2015年09月12日 17時24分00秒 | 思考試行

自公の正体がよくわかる。資本の要求に応じて、派遣労働の拡大を確実にする法案を成立させた。水害で、たいへんなこの時期であろうと、強欲路線を忘れない、この冷酷さよ。

有権者は、このことをよく覚えていなくてはならない。その内、戦争法案も多数を持つ今、彼らは、通過させる決意を固めている。

その結果、どういうことになるのか。憲法をないがしろにし、世界を平和にしていく、この国の大事な憲法を軽視して、このあとどうなるのか、もはや一寸先は、闇である。

弱者を無視、いよいよ格差社会は、拡大固定化していく。そして、戦争。これは、国民があらたな水準の見識を持ち、これらの儲け本位の格差社会の是認者たちを、権力の座から引き摺り下ろさなければならない。

怪しい、言葉の軽い、ヒットラーを思わせる政治家もいる。言った言葉は、策略にみち、信用すると大変なことになりかねない。すべては、国民の肩にかかっている。


人生とはなんだろう

2015年09月11日 10時28分12秒 | 思考試行

人生とはなんだろう。気難しく生きなければならないのか。緊張して、気を緩めることなく生きていかなければならないものだろうか。

他国には負けないように、なめられないように、油断しないで、常に自国の利益に敏感でなければならないのか。他国にやられたらとんでもないことになるから、いつだって、戦争だってする構えをもたなければならないのか。

そのために、国民は、戦争にも行くし、生活だって、犠牲にしても、ただただ、耐えるべきなのか。

それとも、興味の赴くところ、できるだけ自由に生きてもいいのだろうか。まあ、人生遊びみたいなもので、人に迷惑をかけなければ、その限りで、遊んでいればいいかと考えてもいいのか。

あくまで、真面目に、人類の幸福、真の幸福を考え、そのためには、自ずから興味を抑え、禁欲的な生活態度を続けるのが正しいのか。

それとも、何が正しいとか、間違っているとかはなくて、その選択、生きる姿勢そのものが、その人の人生であって、できれば、それが、他者との関係においても、うまく塩梅がいいものであるならば、それはそれでいい、と考えてもいいのか。

他の考え方でもいろいろあるのではないだろうか、と考えてもいいのか。


やさしくできるかどうか

2015年09月09日 07時30分00秒 | 思考試行

車椅子をリースで調達していたが、施設に入所と決まり、その扱いをどうするか、となった。施設には、車椅子があり、症状に見合った車椅子が提供される。

では、今まで借りていた車椅子をどうするか。リースをやめるのか。それとも買い取るのか。問題は簡単と考えていたのだが、母の、身体の状況が格段に落ちてきて、買い取っても、ほぼ不要になるのが、確実と、自分としてはそのように思い込んでいたのだが、妻の考えは違っていた。

身体の状態が良くなった時には、あったほうがいいのでは、という。ケアマネの人の言葉のニュアンス、リース会社の社員のこと、不要になれば、施設に寄付すればいいのでは。などなど。

施設側には、いろんな機種の車椅子があるが、このてのものはない、という施設のケアマネのことば。良くなったときには、これがいい、とまでは言わないのだが、二三日前には、そういう言葉もあったが、もう一つはっきりしない。

買取となれば、6万円となる。金の問題とは思っていないが、はたして、どう考えるか。気付いたことは、母の状況は、もう改善することはないだろうという、確信めいたものが、自分にあるということ、それに比べて、モノに対する愛着、周辺事情、何とか回復させようという努力の方向性をはっきり持っている人々との違いである。

自分はお任せして、今はラクになっている。自分には、見えていないものを、人は見ている。昨日、買取をやめて、業者に車椅子を、返却したあとで、車椅子についていたビーズの飾りを返されて、ちょっと感じたあと、今朝になって上記のことが、はっきりとしてきた。買い戻そうか、妻に相談しようか。結局そうはしないだろう自分は。


日本の実態・・・難民への態度

2015年09月08日 09時14分11秒 | 思考試行

日本は、事実上難民を受け入れていない。誰の意向か。

まさに、立法者、支配者、為政者、の仕業である。誰がこの国を支配し、その意向のもとに国を動かしているか。その実態を、白日の元にさらけ出した。

憲法9条を持つ日本がその精神で、懸命の努力をするとすれば、やることは当然ある。システム然り、行動しかり、現状の難民にたいする国の貧しい態度は、恥ずかしいぐらいにかたくなである。

今の、為政者は、憲法9条を邪魔と考えている。世界のなかで、これを行動目標に、真剣に取り組むとすれば、日本は、明らかに違う国となる。

世界の中心になるほかない、高い目標となる。紛争だらけの世界にあって、これにコミットするのは、武力ではない。どうやっていくのか。まずは、難民の受け入れだろう。

今の国の政策の実態は、弱者に対する為政者の姿勢を現している。我々は、国のこの実態を本当に知らなければならない。そういう国なんだという現実をしらなければならない。


戦争を何故したがるのか

2015年09月07日 08時35分23秒 | 思考試行

人の本能だろうか。それとも、組織を構成する副次効果で、戦争しなくてはならないような力学が働くのだろうか。

武器は、人を殺し、住まいを奪い、自然を破壊する。それでも、人類は、武器を作り続ける。

侵略をしない、と言いつつ、侵略をする。自国の権益を拡大しようとする。余裕ができれば、その余力で他者をさらに圧倒しようとする。中国の明らかな欺瞞。

大規模の軍事パレードをする。何を馬鹿なことを考えているんだ。ゆがんだ気味の悪い顔で、プーチンと握手する習近平。

ではどうするのか。もしか、攻められたらどうするのかと、安倍さんは言う。相手がそんな行動をしたら大変なことになるよと言いたいのだろうが、アメリカは、日本を利用して、武器を買わせ、自国の若者の肩代わりをさせようとしているだけかもしれない。

だいたい、アメリカが、中国の脅威とまともに軍事衝突なんてするのだろうか。

何より、武力で、紛争解決なんて話は、人類がとっくに卒業していると思いたいところだが、そうはいかないということなのか。

日本を攻撃したり、攻め込むことはできないと相手が思うかどうかであるが、憲法9条を持つ日本は、戦争しないといっているのだから、集団的自衛権を言い訳にして、先制攻撃などしない限りは、日本を攻める口実はないはずだ。

だが、議席数は、自公が多数を持つ。戦争に巻き込まれ、当事者になりそうである。エライ事が始まるのだろうか。力強い市民運動が希望をつないている。


やるべきことをやる

2015年09月04日 07時43分42秒 | 思考試行

結局、自分がやることについて、自分で決め、行動しないするを決め、すべての責任を持つ。この構えなくして、人の生きがいはうまれない。人の顔色をうかがい、ご機嫌を損じないようにとの一念であれば、そこには、自分というものがない。

とは言いつつ、まったく人のことを気にしない、見ていないということでは、いけないわけで、其の辺の兼ね合いが難しいのである。

気配りといえば、それは、顔色をみてどうのこうのとは違う。あくまで、利他的な考えのもとなされるわけで、こういうう気配りに会うと、人生、本当にすばらしいものだと思える。

政治の世界こそ、この気配りがすべてと思うが、いよいよ憲法違反の戦争法案を議決しようかという政権側の動きがある。

この法案がとおり、自衛隊の動きに変化があり、外国へ軍隊としてでかけて、紛争のタネを撒き散らしにいくのかと思えば、たいへんなことだが、その事実を、報じないマスコミは、世間を眠らせるべく協力している。無視することによって、戦争勢力への協賛をしている。

ふれないで、黙っていればいいのであるから、こんなアクションは簡単である。NHKは、会長が変わって、その効果が出てきているようである。そして、とんでもないことが始まろうとしている。

今日から、ちょっと仕事をしなければならないが、行く先々で、この懸念をまき散らすとするか。これも、やるべきことの一つである。


あとからついて控えめにきたけれど

2015年09月03日 14時55分14秒 | 思考試行

生きてきた道中を考えると、いつもどこかで、頭を叩かれたり、自分のせいで、不都合なことをおこしたりして、ものごとに、あまり、積極的に取り組めてこなかったように思う。

どこか、抑制的で、教室でも、積極的に発言するわけでもなく、地道な努力ができていなかったし、ふわふわと集中できずにきた。

特に数学などの教科について、不明な点や、苦手な分野もそのままに、今も解決することなく、単純に苦手として放置している。能力の問題もあるが、それは努力で、かなり、克服できるはずである。だが、してはいない。

どこかで、そんな性癖を克服して、正々堂々と、自らを打ち出し、勝負をする、そんな男になりたいものだが、これが性格というものか、多くのひとが集まるところでは、何か質問はと言われても、あとで調べるか、ぐらいに思う始末で、朗々と、質問する人をみると、素晴らしいと思う。

その内容が、大したことでなく、むしろ、下らない質問であっても、それはそれで、人を勇気づけるテナことで、充分意味がある。

それに、固執して頑張られても困るが、そうであれば、どこかの時点で、頭をうてばいいのである。そして、その人は成長する。まあ明るく、朗らかに生きていくには、工夫もいるし、技術もいる。

 


落ちないために

2015年09月02日 11時30分51秒 | 思考試行

落ちる必要もないのに、また失敗をしてしまうのかと言いたい。弱者いじめを自民党はやり続ける。それでも支持率が落ちない。

マスコミは強い方へなびく。スポンサーのご機嫌を損じてはたいへんだと思っている。かくて、洗脳の道具立てが出来上がっている。

ただ、情報の入手ルートが多様になり、昔ながらの情報管理では支配者の思惑通りにはいかない現状がある。

市民運動の盛り上がりぶりは、支配者たちをふるい上がらせているにちがいないが、表面上は取り繕いの姿勢をとる。誤解だの、大した人数ではない、だの市民の運動を軽視しようとする。

野党は今こそ、健全な政策を打ち出し、したたかな戦略、戦術を駆使して政権打倒の準備をしなければならない。政権側が、市民の側を向くことなく、利用し使い捨てにする側であることが、明確になっているのだから、これは、チャンスである。

このままでいけば、戦争にまきこまれ、不要な怒りを買い、これまで積み上げてきた平和国家日本の努力が無駄になってしまうのである。


民主党は自民党の嫌がらせの連続により失敗した。

2015年09月01日 00時05分00秒 | 思考試行

自民党のエゲツナイ嫌がらせの連続、協力できることもしない。決めさせない。やらせない。日本語での会話を成立させない。民主党は、衆参で多数を占めているときに、躊躇して、やるべきことをしなかった。

当時の石原自民党幹事長の嫌がらせは、無茶苦茶であった。人倫にもとるものであった。それをどう総括するか。自民党は、安保法案を成立させたら、次のステップに行く。どうあっても、国会周辺を市民があれだけの反対運動をおこしても、これもマスコミの協力も得て、完全無視を決め込んでいる。

国民には様々な人がいる。あるいは、軽いノリで、維新に肩入れし、危険な方向へと誘導されて、気付かないままに、戦争への道へ進む可能性がでてきた。橋下維新は、安倍政権の別働隊である。

こうして、日本らしい良さを出せないままに、アメリカの子分として、下らない、政策を展開していく可能性が大となってきた。あとでひっくり返すことは、当然可能とは思うが、多くの犠牲を払い、日本の評判をおとし、平和路線を徹底できないことは、いずれ禍根を残すことになるだろう。

人命も多く失われることになるだろう。なんで、こんな馬鹿げたことをしたのだろうか、といっても、それは後の祭りである。あの、一昨日のデモの人々の仕事を、数年後に、評価することになるのだろうか。寂しいことである。