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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

やさしくできるかどうか

2015年09月09日 07時30分00秒 | 思考試行

車椅子をリースで調達していたが、施設に入所と決まり、その扱いをどうするか、となった。施設には、車椅子があり、症状に見合った車椅子が提供される。

では、今まで借りていた車椅子をどうするか。リースをやめるのか。それとも買い取るのか。問題は簡単と考えていたのだが、母の、身体の状況が格段に落ちてきて、買い取っても、ほぼ不要になるのが、確実と、自分としてはそのように思い込んでいたのだが、妻の考えは違っていた。

身体の状態が良くなった時には、あったほうがいいのでは、という。ケアマネの人の言葉のニュアンス、リース会社の社員のこと、不要になれば、施設に寄付すればいいのでは。などなど。

施設側には、いろんな機種の車椅子があるが、このてのものはない、という施設のケアマネのことば。良くなったときには、これがいい、とまでは言わないのだが、二三日前には、そういう言葉もあったが、もう一つはっきりしない。

買取となれば、6万円となる。金の問題とは思っていないが、はたして、どう考えるか。気付いたことは、母の状況は、もう改善することはないだろうという、確信めいたものが、自分にあるということ、それに比べて、モノに対する愛着、周辺事情、何とか回復させようという努力の方向性をはっきり持っている人々との違いである。

自分はお任せして、今はラクになっている。自分には、見えていないものを、人は見ている。昨日、買取をやめて、業者に車椅子を、返却したあとで、車椅子についていたビーズの飾りを返されて、ちょっと感じたあと、今朝になって上記のことが、はっきりとしてきた。買い戻そうか、妻に相談しようか。結局そうはしないだろう自分は。