いろんな事情が出てきて、先の事の準備をするのだが、妻の方が先を行くと、こちらの認識が追いつかずに、自然と不機嫌になっているらしい。
となると、余計ないさかいが始まってしまう。俳句を始めて、いろいろ材料ができて、夫婦間の話の内容が変わってきたこともあり、其の辺の行き違いも、割に容易に解消されることが増えてきた。
主には、家内の言うことを、当方が理解できたときに、解消となるのだが、我ながら、いささか情けないことである。それでも、いつまでもいさかいが続くようではなおいけないから、その点では、進歩といえるだろう。
それにしても、急速な母親の落ち込みは、そばにいる我々にも顕著である。秋の日の釣瓶落としの感が強い。
しかし、高齢でもあり、状況は自然の推移であり、何も無理はなく、順調に時が動いていて、周囲もその状況に応じながら、やるべきことをやっていける環境にあることは有難い。
その状況に対応できているのは、妻がはたしている役割は大きい。不機嫌になった妻をみると、認知症を疑ったりしたのだが、冷静になれば、妻が正しいというのは、まるで落語である。