結局、自分がやることについて、自分で決め、行動しないするを決め、すべての責任を持つ。この構えなくして、人の生きがいはうまれない。人の顔色をうかがい、ご機嫌を損じないようにとの一念であれば、そこには、自分というものがない。
とは言いつつ、まったく人のことを気にしない、見ていないということでは、いけないわけで、其の辺の兼ね合いが難しいのである。
気配りといえば、それは、顔色をみてどうのこうのとは違う。あくまで、利他的な考えのもとなされるわけで、こういうう気配りに会うと、人生、本当にすばらしいものだと思える。
政治の世界こそ、この気配りがすべてと思うが、いよいよ憲法違反の戦争法案を議決しようかという政権側の動きがある。
この法案がとおり、自衛隊の動きに変化があり、外国へ軍隊としてでかけて、紛争のタネを撒き散らしにいくのかと思えば、たいへんなことだが、その事実を、報じないマスコミは、世間を眠らせるべく協力している。無視することによって、戦争勢力への協賛をしている。
ふれないで、黙っていればいいのであるから、こんなアクションは簡単である。NHKは、会長が変わって、その効果が出てきているようである。そして、とんでもないことが始まろうとしている。
今日から、ちょっと仕事をしなければならないが、行く先々で、この懸念をまき散らすとするか。これも、やるべきことの一つである。