社会としては、特に、政治家が志す方向として、菅さんのいう最小不幸社会というのは、理が適っていると思う。社会全体が、「もっともっと」という方向は、如何にも適当とは思えない。
ただし、「不幸」とは、何かとなれば、難しいし、明確とは必ずしもいえないが、これは、まずいだろうという問題を、解決する姿勢があることは、解りやすい、新しい考え方であるように思う。
政治家の理念は、総理にならなければ、大きく報道されることはない。友愛は、もう語られることはないのだろうか。こうした理念を、積み重ねて、世の中全体が、変わっていくようにみえるが、実は、リーダーが変わることによって、理念が、積み木のように、組みなおされるだけなのかもしれない。
人間社会は、発展途上の過程にある。問題は山積。方向性が、少しずつ明かになりつつあるものの人類共通のものになっているとは言えない。
北朝鮮では、デノミ政策失敗の責任で、公開銃殺がされたという。どういう理屈づけをしたかであるが、国民の不満を、転化するゴマカシを、こういう残虐な手法をとるところをみても、とんでもない現状にあることを思い知らされるのである。
社会は、最小不幸をめざすが、個人はどうだろうか。「もっともっと」の連続である。生活に余裕ができれば、また、新たな欲望が生まれる。際限なく欲求不満状態にある。どこかで、きちんと、足るを知ることがないと、これもまずい。
では、個人は、どのように人生に立ち向かうのか。そこには、助け合いや、利他の精神が不可欠であり、闘争文化は、個人間においては、いずれ、昇華されるべきである。といいつつ、それは、困難である。
個人が、どのようなプロセスを経て、成長し、欲望と折り合い、社会とどう関わっていくのか、どう実践していくのかも課題である。
ただし、「不幸」とは、何かとなれば、難しいし、明確とは必ずしもいえないが、これは、まずいだろうという問題を、解決する姿勢があることは、解りやすい、新しい考え方であるように思う。
政治家の理念は、総理にならなければ、大きく報道されることはない。友愛は、もう語られることはないのだろうか。こうした理念を、積み重ねて、世の中全体が、変わっていくようにみえるが、実は、リーダーが変わることによって、理念が、積み木のように、組みなおされるだけなのかもしれない。
人間社会は、発展途上の過程にある。問題は山積。方向性が、少しずつ明かになりつつあるものの人類共通のものになっているとは言えない。
北朝鮮では、デノミ政策失敗の責任で、公開銃殺がされたという。どういう理屈づけをしたかであるが、国民の不満を、転化するゴマカシを、こういう残虐な手法をとるところをみても、とんでもない現状にあることを思い知らされるのである。
社会は、最小不幸をめざすが、個人はどうだろうか。「もっともっと」の連続である。生活に余裕ができれば、また、新たな欲望が生まれる。際限なく欲求不満状態にある。どこかで、きちんと、足るを知ることがないと、これもまずい。
では、個人は、どのように人生に立ち向かうのか。そこには、助け合いや、利他の精神が不可欠であり、闘争文化は、個人間においては、いずれ、昇華されるべきである。といいつつ、それは、困難である。
個人が、どのようなプロセスを経て、成長し、欲望と折り合い、社会とどう関わっていくのか、どう実践していくのかも課題である。