空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

官僚と政治家

2010年06月03日 07時12分00秒 | 思考試行
官僚は、特にエリートとして、試験を受けて入省するものは、最初から違うコースを歩む。高卒で役人になったとすれば、どんなに優秀だろうが、下働きの範疇に留まる。仕事としては、手下にすぎない。

厳然とした、システムのなかで、組織は、経験を積み重ねて、それぞれ、その専門分野のスキルを積み重ねてきた。

すべては、マニュアル化されているが、それは、時代の変化に応じて、変えられなければならない。実態にあうように変更されていく。そこには、精緻な専門技術がある。素人では、手出しができない。判断のためには、分野毎の相互の整合性も計られなければならない。

そこには、官僚しかできない実際の仕事がある。これに対抗できるのは、政治だけだが、それには大変な努力と、官僚組織に食込んだ情報網が必要である。チェックのための機構がなければ、彼らを止めることはできない。

政治家主導となれば、官僚は当然ながら、抵抗する。優秀な鳩山さんが、どうして、わずか数ヶ月で辞めなければならなかったか、そこには、官僚の影がある。彼らの積み上げてきたノウハウは、半端なものではない。

ありとあらゆる妨害活動、世論誘導、悪意に満ちた、組織的妨害、それらは、決して目立たないようになされる。政治家が、彼らに対抗するには、たいへんである。

官僚の力は、それだけで、成立しているわけではない。支配機構のセンターとして、ありとあらゆる組織が対象であり、関係している。すべての情報が集まってくる。

当然、政治家の一人ひとりについて、ありとあらゆることを把握している。その結果、都合の悪い情報こそ、適当な時期に、マスコミを通じて流される。彼らを失脚させるのは、その弱点を把握すればよい。そして、大抵の人間は、弱点を有する。

従って、本当の支配者は、官僚組織の影のトップであろう。表にでる必要はない。裏組織とも、部下を通じてつながりがあるだろう。

その実力は、圧倒的であり、タテマエとして、政治に従属しなければならないだけのことである。政治家が、官僚に頼りきる姿が、常態となってしまったことから、国民と乖離し、民主政権の登場を招いたのである。

この先どうなるのか。官僚と政治の、関係がどうなっていくのか。国民は、正に、彼らの動向を注視しなければならない。世界をまっとうにしていくために、行動しなくてはならない。それも、自らが主人公であることを自覚しなければならない。主人公にならなければならない。

金がなくても、投票権がある限り、主人公である。マスコミの陰謀に騙されず、「教祖」にごもかされず、真の主人公にならなくてはならない。結局は、国民がどれだけ、賢くなれるかが勝負である。いい官僚、いい政治家を見抜けるかどうかに係っている。