空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

ワールドカップの凄さ

2010年06月12日 08時55分36秒 | 思考試行
サッカーの凄さ。見事なシュート。技術は勿論のこと、精神力、体力、総合的なゲーム。観客の応援の意味。ゲームの変化。押したり引いたり、圧倒的にメキシコが押していると、見えていたのが徐々に、南アフリカに勢いがでてくる。波のようなうねり。

そして、ゴールは、必ずしも、有利な展開のなかで得られるものでもないこと。その機会は、突然やってくる。最初の南アフリカのゴールは、押されまくっていたなかでの、ことだったし、メキシコのゴールも、点を先に取られて、勢いも南アフリカにあるなかで、生まれた。

いずれのシュートも、落ち着いて、相手をよくみていて、それでいながら、迅速。しかし、慌しいわけではない。本質的な、落ち着き。

結局は、2本のゴールだけが、結果であって、プロセスはカウントの対象ではない。だが、魅力はプロセスにもある。90分が、こんなに短く感じられるとは、信じられない。

凄いマネーが動く。こういうエネルギーを、人類の将来に生かせたら、どんなに素晴らしいことだろう。それは、可能だと思えてくる。

最小不幸社会・・・個人は最大幸福?

2010年06月11日 08時57分44秒 | 思考試行
社会としては、特に、政治家が志す方向として、菅さんのいう最小不幸社会というのは、理が適っていると思う。社会全体が、「もっともっと」という方向は、如何にも適当とは思えない。

ただし、「不幸」とは、何かとなれば、難しいし、明確とは必ずしもいえないが、これは、まずいだろうという問題を、解決する姿勢があることは、解りやすい、新しい考え方であるように思う。

政治家の理念は、総理にならなければ、大きく報道されることはない。友愛は、もう語られることはないのだろうか。こうした理念を、積み重ねて、世の中全体が、変わっていくようにみえるが、実は、リーダーが変わることによって、理念が、積み木のように、組みなおされるだけなのかもしれない。

人間社会は、発展途上の過程にある。問題は山積。方向性が、少しずつ明かになりつつあるものの人類共通のものになっているとは言えない。

北朝鮮では、デノミ政策失敗の責任で、公開銃殺がされたという。どういう理屈づけをしたかであるが、国民の不満を、転化するゴマカシを、こういう残虐な手法をとるところをみても、とんでもない現状にあることを思い知らされるのである。

社会は、最小不幸をめざすが、個人はどうだろうか。「もっともっと」の連続である。生活に余裕ができれば、また、新たな欲望が生まれる。際限なく欲求不満状態にある。どこかで、きちんと、足るを知ることがないと、これもまずい。

では、個人は、どのように人生に立ち向かうのか。そこには、助け合いや、利他の精神が不可欠であり、闘争文化は、個人間においては、いずれ、昇華されるべきである。といいつつ、それは、困難である。

個人が、どのようなプロセスを経て、成長し、欲望と折り合い、社会とどう関わっていくのか、どう実践していくのかも課題である。

人類社会は、発展途上

2010年06月10日 07時17分45秒 | 思考試行
人類社会は、未完成で、不備が多く、目を覆いたくなるような事態を、いっこうに解消することもできずにいる。これを、いつの日か、克服して、あるいは、脱却することが可能かどうかは、不明ではある。

何十億という人間が、生息しており、多くの生物もいる地球という星の上で、薄い大気層の間に、うごめく生命体の一つとして、少し特殊な存在の人間は、なんとかし得るという夢を抱きつつ、日々暮らしている。

宗教、民族、富、地位、名誉、メンツ、誇り、支配、命令、怒り、感動、そして友愛・・・、さまざまな思いを胸に、人びとは、生きている。

鳩山さんは、宇宙人と言われていたそうだが、我々、すべての人間は、紛れもなく、宇宙の一員、銀河のなかにあって、太陽系に属する地球上にいる宇宙人なのである。彼だけが、宇宙人ではない。全員がそうなのである。

暗喩として、人のなかの特殊な人間として、宇宙人と言われていたのだが、鳩山さんの、辞任の挨拶をきいていて、けっして、特殊な人ではなく、得がたい好人物であることは、良くわかった。

小沢氏の、議員総会に欠席とか、その後の、彼の動きを見ると、古い古い「モノ」を抱えている、拘っている、小さな小さな人間を見る思いである。権力に、振り回され、振り回す、典型的な人間のように見える。

一兵卒として、微力を尽くす、なんて、言うのは、一兵卒をコバカにしているようにも聞こえる。なにをするのか、明確に述べてみたらいい。暗い。何か含むものがある。信用できない。「宇宙」からの視点がない。つまらんものに拘っている。

一年生議員の力を、すべて、自らに集めて、その力を自らのものにする。こういう独裁者的な発想を、まともに、実行されると、結構たいへんで、民主的にこれを克服するのは大仕事である。

鳩山さんは、この点すばらしい仕事をしたと思う。辞任の挨拶で、彼を追い込んだのだが、あれがなければ、小沢氏は辞めるつもりは、なかったのではないか、とも思わせられた。

そして、どちらが、先手をとったか、についても、意味がある。その後の小沢氏の行動振りは、菅さんに対して、失礼千万であり、自分でケンカをしかけておきながら、「売られたケンカは買う。」と言っているそうな。まるでヤクザである。

もし、本当なら、まさに、こういう人は、政界を引退してもらいたいものである。

マスコミは猛省を

2010年06月09日 12時30分33秒 | 思考試行
菅政権の発足に際しての、記者会見をみていて、質問がおざなりで、少しも相手の真情をひきだせていない。政治家にたいする敬意もなく、無礼千万であり、およそ、人間的とはいえない。あんな態度をとる連中は、過去の先達の悪い所を引き継いできたに違いない。

選挙で選ばれている人びとである。それなりの敬意を表した態度で迎えるべきである。それとも自分達は、バカな国民とは違うエリートなんだと、態度で示しているのだろうか。国民が選んだ議員を詐欺師か、犯罪人候補か、批判はすれども、国民をバカにし、その選んだ議員を、軽視し、失礼な態度を取り続ける、それは、真剣に政治を考えている態度ではない。あの態度は、その現れである。

何かと批判めいたことは、すぐ言える。たとえば、支持率が高いと出れば、「はしゃいでいる」てな具合である。なんとも、いい加減な、取材姿勢である。あんたらは、すぐハシャグのだろう。閣僚の誰も、ハシャイデなんかいない。記者は、軽い調子でウソつくな。

見方が公平ではないし、自分で何も提案できていないのに、できもしないで、人には、名案を出せという、景気をよくせよという。提案なくして、批判はできない。論理をとおして、記事を書けといいたい。

なかよし記者クラブでは、真剣な取材競争もない。公開を心がけている政権は、取材する側が、どのような切り口で、国民のためになるかと考えるならば、相当な材料がでているはずである。それを、逆に、足を引っ張ることに利用するようでは、いけないし、どのようにすれば、国民のためによくなるのかの視点で、競争してほしいし、努力して欲しいものである。

名案は、ない。やるべきことをやるだけ。

2010年06月09日 10時14分13秒 | 思考試行
新内閣になって、新しいことが始まるかどうか。それは、簡単ではない。それでも、やるべきことをやるならば、それなりに効果が出てくる。でなければ、そのまま沈没するしかない。

その意味では、菅内閣は、条件が整った。当面、邪魔が入ることは、ない環境である。しかも、うまく全議員を動かすことができたなら、それは、新しい政治を作る動きを確かなものにできる。

できることから、迅速に行動を開始してもらいたい。とりわけ、国民サイドが、動く方向を示唆することができたら、いいのだが、それは、難しい。

具体的な工程を作る。目標地点を目指して、計画を作る。実践。そして点検。変革の継続。具体的に、問題が片付いていくプロセスを、どんどん見せてもらいたい。

「最小不幸社会」には、いささか驚いた。しかし、本質をついている。多くを望まないようで、実は、もっとも大事なことと思われる。不幸のタネをみつけることは、直接、改善につながることである。

麻生クンが、街頭演説をしていた。左翼政権ができた、と怒鳴っている。昔の「アカ攻撃」の手法である。弱者に目を向けると、すぐこれが始まる。かれが恐れるのは、弱者救済イコールアカなのだ。こんな連中が政界にはびこっているから、弱者は存在しているのだ。

渡部浩三先生の、「もう死んでもいい」と喜びを隠さない表情は、正直なんだなあと思う。あの年齢で、現役を張っているのは、あの正直さなんだろう。これもすばらしい。

明るい民主党になって、見える政治、透明な政治を実行してもらいたい。これは、すばらしい、世界を目指すのに、必須の政治姿勢であり、世界に先駆ける試みでもある。頑張ってほしい。

幽霊の正体みたり・・・クーデターはこれから

2010年06月08日 06時39分07秒 | 思考試行
民主党の菅政権の骨格が見えてきた。マスコミのバカどもは、小沢、反小沢と自分の理解できる図式で、解説してみせる。それは、見かけのことであって、実は、本当の「革命」はこれからである。

枝野幹事長は、企業団体からの献金の禁止の方向へと、進める意向であることを、昨日ナマ出演のインタビューで言った。これが実現すれば、政治と利権との関係は、完全に切れる。そのことは、ありとあらゆる政治をゆがめる要素を、なくすということである。

これは、今や、庶民の立場から言えば当然のことであり、始めて弱者側が、反撃に出たと言える。富裕層は、弱者を切り捨て、小泉政権はその使い走りであった。年末の寒空に、野宿を余儀なくされて、それでも、自分が悪いからという若者を大量に作り出した。

これでいいわけがない。政治の筋を通す姿が、これから出てくるだろう。企業団体は、その財力をどこで生かすのだろうか。本当の企業倫理を打ち出さなくてはならない。もはや、利益追求だけでは生きてはいけない。

生きとし生けるもののために、貢献できる考え方を実行しなければならない。それでなければ、共生なんて出来ないのは、当たり前だ。自分のことしか考えないヤツは、問題だ。

それにしても、小沢氏は、議員総会を欠席した。彼は、何を大事と思っているのか。なんだか、底が浅い。本音が、実体が、あの不機嫌そうな顔、表情の意味が、露呈した。

正々堂々、威風堂々、民主政権は、思うさま、その考えるところを、国民に提示する。これからが真の闘争である。そして、それは、困難そうに見えるけれども、国民がそれにどう反応できるかの話であって、「告白」に反応できる国民であれば、正義、不正義がわかる国民であれば、民主政権を応援するのは、アッタリマエだと思う。

時間をかけて、努力してきた成果を、全員の力で発揮してもらいたい。マスコミ、評論家、いかがわしい連中の本性を、明かに、スッポンポンにしてもらいたい。

やることは、山ほどあるに違いない。慌てず、騒がず、シュクシュクと、手順を考えながら、進めていく。我々もまた、基礎の基礎から、勉強して、健康な考え方のもと、つつましく、正しく、暮らしていこうではないか。

そうさせてくれよ。小沢サン、グループのニイサンたちよ。背をむけているようでは、ミットモナイよ。それでは、ホンネがミエミエだ。利権にぶら下がり、アチコチつるみまくって、築き上げてきた、支配被支配関係は、終わりにしよう。もう、バレバレだ。

「告白」をみた。・・・雨後の筍・・・「あの戦争はなんだったのか」を読む。

2010年06月07日 07時38分26秒 | 思考試行
映画を、久しぶりに家内と観にいく。松たか子主演の映画、「告白」は、初回をみることとなったのだが、時間ギリギリで、家内とは、離れ離れの席になった。それでも、特段問題はないとして、5分前に着席。

「実はね・・・」という話で、勿論肝腎なことは、何もいえないが、小生ぐらいの年齢になると、すべては、理解できるという気持ちで見ていた。新しい感覚、表現、みたことのないスタイルだ。それでも、どこか、懐かしい。

何故だろうか。鞍馬天狗、月光仮面、ヒーロー達の活躍、・・・そして、「蟹工船」にもつながるテーマが背景にある。

こういう作品に出会うと、「絶望から希望へ」と、走っていく人間群像がみえる。さまざまな、とらえ方もあるだろう。そこもいい。二時間が、短く感じられた。そして、松たか子の演技のすばらしさ。いい女優さんだ。ラストには、ドギモを抜かれた。

      *                                 

菅さんの新政権。火曜日に発足という。しかし、準備の段階で、雨後の筍のように、新しい息吹がアチコチで生まれてきているように見える。政治の世界にも、ようやく新しい息吹が、芽を出し始めている。

これを、良しとしない勢力の存在との、せめぎあいが始まる。主張しなければ、相手には伝わらない。それが、ようやく始まった。

マスコミがどんなに、適切でないか。変なヤカラ達をあぶり出し、どういう構造で、彼らは利権を貪ってきたのか。これを利用する、カリスマ教祖。これらが、駆逐されるためには、たいへんな工程が必要である。それには、「手」がいる。

ニョキニョキと、あちこちで、動きが始まっている。それは、改心という、形を取る人もいるだろう。それは、勿論ありだ。素直になればいい。

      *

保坂正康著「あの戦争は何だったのか」を読んだ。新潮新書版。大人のための歴史教科書、という副題がついている。

わかりやすい。戦争への道が、いかにして敷かれていくのか。良くわかる。そして、この本も良く売れている。まさに、教科書である。今頃なんだ、と言われても、この本の存在を知らなかった。

こういう本を、探していた。あまりに、大部であれば、それは、結局本質隠しとなる。これぐらいにコンパクトであれば、その本質がみえる。

これもまた、新しい息吹である。もう何年も前から、始まっていたのだ。

菅内閣の顔ぶれ決まる。エーじゃないか!

2010年06月06日 08時11分14秒 | 思考試行
菅さんは、やはりタイシタモンダ。中国大使に、イトチュウーの丹羽さんに決めた。そして、国体委員長には、タルトコ氏だ。

日経は、タルトコ氏を小沢派扱い、北沢氏や、岡田氏が、海外にいるが、政権移行期で苦しい立場で云々と書いている。間違いである。誤報である。

ほとんどの閣僚は、留任である。岡田、北沢氏も、彼らは、留任である。日経は、どこに、目をつけているのか。タルトコ氏は、小沢派ではないし、これは、昨日テレビで、バラエティー番組に本人が登場していたが、まさに、中間派そのものの人であった。

小沢氏が、立候補を促したわけでもない。彼の仲間がすすめ出馬している。小沢氏らは、それに乗っかったにすぎない。日経の記事は、誰を頼みに、誰のために、何を想定して書いているのか。

先の戦争のときに、マスコミは、軍部に抵抗できなかった。それは、事実を報道できない、という時代の話である。日経は、どういう立場をとっているのか、公平正確な報道をしてほしいものである。

鳩山、小沢氏の退陣は、閉塞感を改善したことは事実である。小沢氏の体質も、如実に明らかとなった。古い政治家のタイプであることが、庶民の目にもはっきりと見える。ここは、菅さんが、少し言いすぎたかな、と思われることだが、静かにしていることが本人のためにもいいのではないか、の台詞が生きてくる。

民主党は、これから、本当の出発をする。鳩山、小沢体制は、よく露払いの役目を果たしたといえる。八ヶ月の準備期間を経て、これから、新しい政治が始まるのだと思う。

普天間の基地問題で、オバマ氏との電話で、日米合意で進めるとの話になっている。本質は、アメリカの意思どおりにしかならない現状があって、タテマエは、住民の合意をふまえてとなっているから、解決は出来ない問題である。

アメリカに、国民の真意は充分伝わっているだろう。それは、鳩山さんの功績である。だが、アメリカは知らん振りをして、日本側の責任のような顔をしている。みんなイヤだと言っている。それを知りながら、自らは引こうとは言わない。

アメリカのご機嫌を損ずることはできないとなれば、「日米合意」ということにならざるを得ない。この問題の本質はそういうことである。

菅さんの問題をあげるとすれば、それは、思うところがあるが、しばらくは、観察したい。そして、彼のオクサンが素晴らしい。賢くて、健康で、菅さんもオタオタする場面があるというが、わかる。結婚だって、どうやら夫人ペースだったようだ。嫁さんに、脇が甘い、バカたれと言われたことがあるらしい。健康である。

日本の政治がどう変わっていくのか、じっくりと味わっていこう。

情熱と明るさと暗さと・・・菅首相誕生

2010年06月05日 06時54分48秒 | 思考試行
菅首相が誕生した。早くも、小沢氏がどう言った、グループ内でどんな話がでた、云々の報道がなされている。政治家も人間の集まりだから、さまざまな人間感情が、交錯する。

どのように、推移していくのか。たいへんな課題を、持ちながら、新体制が出発する。世襲議員ではない菅さんは、やはり、庶民感覚という点で、鳩山さんとは違うが、二人が、なかよくしている様子は、本当に仲間という感じがある。ヨコの関係である。

それに比べると、小沢グループは、タテ社会の感覚が強い。タテ対ヨコという風に、ゲンバ先生が説明していたが、そのように見受けられる。中華料理店での、会合に向かう姿は、親分子分の世界を垣間見せる。

政調の復活や、党の全員参加を言うと、これは、小沢氏とは真逆の行き方である。政治と金の問題も、襟を正して、などといえば、まともに、ヤリをつきつけたようなものだし、しばらくは静かにといわれたら、怒るのも無理はない。

だが、明るく、シタタカに、小沢氏がツメツメの日程を準備していたものを、まずは、ひっくり返して、自分のペースにもちこんだ菅さんサイドは、まさに、本格政権を目指す構えである。

対して小沢氏は、ビデオレターを地元に送っている。参議院選挙後にむけて、自分は、先頭に立って、頑張ると言っている。9月には、代表戦に立つつもりであろうか。

これでいいのだ、と思う。競うなかで、緊張感を持って、仕事に取り組むということになる。菅さんは、若いときから、政治に関わってきた。その姿勢や良し、彼の手腕に大いに期待したい。

政権交代の、本当の意味が、いよいよ始まるという予感がある。政治が本当に弱者のサイドに眼が行き、国民第一の政治が、どのように、展開されていくのか、また、誰が、どのように、これに挑んでくるのか、よくよく、国民は見抜かなければならない。

ワタベコウゾウさんの、表情の明るさは、素晴らしかった。暗雲たれこめる民主に、光がさしこんだ雰囲気をよく示している。


正義とは

2010年06月04日 09時20分48秒 | 思考試行
日常生活のなかで、普通の人は、庶民は、いつもいつも、「正義」を念頭において暮らしているわけではないが、要するに、悪いことをしていては、生活そのものが、成立しない構造の中で、生きている。

ところが、裕福な特権を持つ階層は、日常生活そのものが、不公平な仕組みのなかで、生存そのものが、「正義」とはいえないぐらい、庶民の暮らしを犠牲にした仕組みを、存分に利用して、彼らは、生存しているのである。

巨万の富が、自然と、入ってくる。それは、どこから来ているのか。配分の問題であれば、当然正していくべきであるが、世の中の実態は、弱肉強食体制であり、この不公平は、力関係の闘争をくぐらなければ、解決不能である。彼らが、自発的にその特権を投げ出すことはない。

弱者の側から、自覚的な、意見表明、意思表示があって、現実にこの不当性を糾弾する行為ぬきに、彼ら支配層が彼らの特権を投げ出すことはないのである。彼らが、本当に、その特権を投げ出すときとは、権力構造が変わって、彼らの生存そのものが、その特権を投げ出すしか方法がないまで、追いつめなければ、そうはならない。

世の中は、結局そういう方向に、流れていくと思う。水が高いところから、低いところに行くように、必然であろう。こんな不公平を、いつまでも続けられるとは思えないからである。

彼らが、特権をなげだす状況が、直ちに来るとは思えないが、それまでは、彼等自身、可能な限り、正義を念頭において、暮らしを続けることである。日常のくらしぶりが、正義に貫かれていなければ、それは、必ず、迷惑する人を生み出し不幸のタネを撒いているのだし、それを軽減する意味でも、そうするのが当然である。

官僚と政治家

2010年06月03日 07時12分00秒 | 思考試行
官僚は、特にエリートとして、試験を受けて入省するものは、最初から違うコースを歩む。高卒で役人になったとすれば、どんなに優秀だろうが、下働きの範疇に留まる。仕事としては、手下にすぎない。

厳然とした、システムのなかで、組織は、経験を積み重ねて、それぞれ、その専門分野のスキルを積み重ねてきた。

すべては、マニュアル化されているが、それは、時代の変化に応じて、変えられなければならない。実態にあうように変更されていく。そこには、精緻な専門技術がある。素人では、手出しができない。判断のためには、分野毎の相互の整合性も計られなければならない。

そこには、官僚しかできない実際の仕事がある。これに対抗できるのは、政治だけだが、それには大変な努力と、官僚組織に食込んだ情報網が必要である。チェックのための機構がなければ、彼らを止めることはできない。

政治家主導となれば、官僚は当然ながら、抵抗する。優秀な鳩山さんが、どうして、わずか数ヶ月で辞めなければならなかったか、そこには、官僚の影がある。彼らの積み上げてきたノウハウは、半端なものではない。

ありとあらゆる妨害活動、世論誘導、悪意に満ちた、組織的妨害、それらは、決して目立たないようになされる。政治家が、彼らに対抗するには、たいへんである。

官僚の力は、それだけで、成立しているわけではない。支配機構のセンターとして、ありとあらゆる組織が対象であり、関係している。すべての情報が集まってくる。

当然、政治家の一人ひとりについて、ありとあらゆることを把握している。その結果、都合の悪い情報こそ、適当な時期に、マスコミを通じて流される。彼らを失脚させるのは、その弱点を把握すればよい。そして、大抵の人間は、弱点を有する。

従って、本当の支配者は、官僚組織の影のトップであろう。表にでる必要はない。裏組織とも、部下を通じてつながりがあるだろう。

その実力は、圧倒的であり、タテマエとして、政治に従属しなければならないだけのことである。政治家が、官僚に頼りきる姿が、常態となってしまったことから、国民と乖離し、民主政権の登場を招いたのである。

この先どうなるのか。官僚と政治の、関係がどうなっていくのか。国民は、正に、彼らの動向を注視しなければならない。世界をまっとうにしていくために、行動しなくてはならない。それも、自らが主人公であることを自覚しなければならない。主人公にならなければならない。

金がなくても、投票権がある限り、主人公である。マスコミの陰謀に騙されず、「教祖」にごもかされず、真の主人公にならなくてはならない。結局は、国民がどれだけ、賢くなれるかが勝負である。いい官僚、いい政治家を見抜けるかどうかに係っている。


小沢氏も辞めるだろうか。

2010年06月02日 10時42分23秒 | 思考試行
普通の感覚なら、総理が自らの辞任の議員総会で言うことではないだろうが、幹事長の辞任の件まで持ち出した。さらに、小林議員の問題も言う。そのことで、焦点がボケた感じが否めない。小林議員のことを言うと、本人の同意を取っていないのは明らかであるから、小沢氏のことも、辞任をせまって、了承されたというわけではない、という図式が出てくる。

日本語で、わかった、というのは、あなたの言い分はわかった、ということと、その言に従うこととは、違う。総理の立場で、辞任をせまられたら、普通は辞めざるを得ないのだが、豪腕小沢氏が果たしてどうするのか、わからない。

しかし、あまりにキレイキレイを言うのは、逆効果もあり得る。それほど、みんなきれいではないからである。それにしても、政治の世界が、見易くなったきたことは、間違いない。最後の言葉であるから、なんでも言える立場を、大いに、活用したとも言える。

これからのニュースは、本当にみものである。日経の朝刊など、「春秋」のコラムなど、旧勢力との癒着の証拠を出しているようなものだ。まことに、程度が低い。こんなヤカラが、天下の経済新聞にいるのだと思うと、情けない限りである。

鳩山さんの何が悪いのか。悪くはない。

2010年06月01日 09時14分51秒 | 思考試行
今朝の朝刊をみると、何だか、彼のせいで民主党の支持率が下がったように書かれ、退陣が云々されている。小沢氏が、厳しい現状を告げたという。事実上の退陣勧告なのだろうか。

本当に、鳩山さんのせいだろうか。彼の言説が、ぶれているだの、親から金をもらっていただのと言われているが、それは、別の言い方をするならば、率直に、考えの変遷を述べているのであり、また、裕福な環境であることから、公的な政治に、寄付をして、政治活動をしているということである。そこには、善意こそあれ、自らの懐を肥やすいやしいたくらみがあるわけではない。

むしろ、政治のプロセスがみえて、わかりやすくなったし、なにを考えているのかが、見えるようになった。これは、明かに、政権交代の効果である。そして、政治家の姿勢が明らかとなってきた。

鳩山さんは、私腹を肥やすのに汲々とする世間一般の常識に反する、まことに得がたい人であるといえる。まさに、友愛の精神で行動しているのである。

民主のなかで、問題なのは、小沢氏だろう。かれが辞めるのは意味がある。個人的にも、政治と金の問題があり、簡単には会えないとか、何やら強権的である。鳩山氏とは対極の存在であるように見える。彼のおかげで、民主党の清新さは、相当に傷つけられた。

民主の組織が、一枚岩とはいえないのが、ある意味救いである。充分に、小沢強権政治と決別するならばやり直しも可能だと思う。

鳩山氏は、漢字も読めないような、ボッチャンではない。理系の学者でもある。頭は、良いのである。これを生かさなくてはならない。周囲に、相当足を引っ張られて、実力が充分に出せていない。このままでは、もったいない限りである。