昨日深夜から、今朝まで、午前2時になろうかという新政権の閣僚記者会見はミモノであった。
これほど質が高く、熱があって、準備をしてきたのだな、とよく解る記者会見をみるのは、まさに始めてである。
それぞれ閣僚は、自分の言葉で語る。マニフェストにこれだけの意味があったとは、みんな気付いていなかったかもしれない。
公約を破っても、平気な顔をしていた小泉クンとは、大違いである。筋を語り、歴史を語り、道を語る政治家たちの姿に、感銘を受けた。
この国は捨てたものではない。そう感じた。官僚政治の弊害を語り、官僚との正しい関係を、それぞれの閣僚が語る。
記者と官僚が結びつき、運営されてきた実態、政治家をないがしろにして、世論を誘導する、そんな構図が、垣間見える。
記者達の冷ややかさは、官僚への応援と思われるトンチンカンな質問と相まって、彼らの実態を知らしめる。ただし、もちろん、全員ではない。事務次官会議をやめることや、官僚の記者会見をやめることに、取材制限ではないかと食らいつく、記者がいた。このヘンが怪しい連中のホンマルである。
まさに、これが官僚への応援質問である。そこには、国民に対する姿勢、思いがない。官僚支配は、単純に業界とのつながりだけではない。マスコミ対策も当然あったはずだ。
情報のリーク、政治家の追い落とし、スキャンダル、さまざまに手法は考えられる。しかし、ホンネが、自分達の権益を守るだけであって、国民のために、という姿勢がない。それは、口実の材料にすぎない。
それにしても、記者達の無礼ぶりには驚く。これが、伝統だろうか。人間としての反応がない。やりとりが、事務的、機械的である。拍手とか、笑いとか、人間同士のやりとりがない。犯罪者に対する記者会見のようである。
挨拶をする閣僚に対して、全然挨拶を返さない。失礼な対応である。個別の取材のときは、恐らくそうではあるまい。集団となると、どうして、これほど、ブザマといえるほど、非常識な、見苦しい態度となるのか。
これこそ、記者側が、自分達の居心地のもっともいい状態なのだろう。聞きたいこと、というより、困らせようというような意図も感じられる。
しかし、各閣僚には、準備ができている。動じる気配がない。情報公開がこれからされてくると、いろんな仕組みが明らかになるかもしれない。
日本的な、業界の特権が、ヘンテコな慣習が、国民の目を欺くような手法が、アチコチに隠れている気配である。いろんなことが見える記者会見であった。
これほど質が高く、熱があって、準備をしてきたのだな、とよく解る記者会見をみるのは、まさに始めてである。
それぞれ閣僚は、自分の言葉で語る。マニフェストにこれだけの意味があったとは、みんな気付いていなかったかもしれない。
公約を破っても、平気な顔をしていた小泉クンとは、大違いである。筋を語り、歴史を語り、道を語る政治家たちの姿に、感銘を受けた。
この国は捨てたものではない。そう感じた。官僚政治の弊害を語り、官僚との正しい関係を、それぞれの閣僚が語る。
記者と官僚が結びつき、運営されてきた実態、政治家をないがしろにして、世論を誘導する、そんな構図が、垣間見える。
記者達の冷ややかさは、官僚への応援と思われるトンチンカンな質問と相まって、彼らの実態を知らしめる。ただし、もちろん、全員ではない。事務次官会議をやめることや、官僚の記者会見をやめることに、取材制限ではないかと食らいつく、記者がいた。このヘンが怪しい連中のホンマルである。
まさに、これが官僚への応援質問である。そこには、国民に対する姿勢、思いがない。官僚支配は、単純に業界とのつながりだけではない。マスコミ対策も当然あったはずだ。
情報のリーク、政治家の追い落とし、スキャンダル、さまざまに手法は考えられる。しかし、ホンネが、自分達の権益を守るだけであって、国民のために、という姿勢がない。それは、口実の材料にすぎない。
それにしても、記者達の無礼ぶりには驚く。これが、伝統だろうか。人間としての反応がない。やりとりが、事務的、機械的である。拍手とか、笑いとか、人間同士のやりとりがない。犯罪者に対する記者会見のようである。
挨拶をする閣僚に対して、全然挨拶を返さない。失礼な対応である。個別の取材のときは、恐らくそうではあるまい。集団となると、どうして、これほど、ブザマといえるほど、非常識な、見苦しい態度となるのか。
これこそ、記者側が、自分達の居心地のもっともいい状態なのだろう。聞きたいこと、というより、困らせようというような意図も感じられる。
しかし、各閣僚には、準備ができている。動じる気配がない。情報公開がこれからされてくると、いろんな仕組みが明らかになるかもしれない。
日本的な、業界の特権が、ヘンテコな慣習が、国民の目を欺くような手法が、アチコチに隠れている気配である。いろんなことが見える記者会見であった。