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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

官僚と記者の関係について

2009年09月21日 00時07分25秒 | 思考試行
官僚が、勝手にマスコミと接触することは、自分達の思い通りに世論を形成するためであることは、今までの経過から明らかである。政治に責任を持つ政治が、正面に立つのは当然である。

政治が、官僚にマルナゲしてきたから、いつの間にか、政治は官僚に馬鹿にされる存在になってしまったのである。簡単なことを、複雑にし、容易に素人がクビを突っ込めないと思わせる舞台装置を作ってきたのである。

法律だけ作って、安心していたらとんでもないのである。政令、施行規則、通達、告示、などにも当然ながら、目を光らせなくてはならない。指針などにも、当然及ぶ。

官僚は、テクニックを弄して、新しい方向を政治家が出したとしても、それを潰してしまうのである。その中で、官僚が選挙による民意とは無関係に、行政の実権を握ってきた。

その意味では、今回の政権交代は、画期的な意味を持つ。そのためには、情報公開を充分行なう。官僚が独立して、世論操作をさせるなど言語道断である。官僚が、政治の方向をねじまげるのは、犯罪である。政治に従うのが、官僚である。政治は民意を反映しているのだから。

官僚が実質的に力をもってきたのは、日本独特の制度であって、歴史的な積み重ねの中で、支配機構を形成してきたのである。国民の暮らしや、動向には、目を向けることなく、その方向性は、ショウエキが中心であって、自らの権益をまもることのみに関心がある。

それによって、権力欲と金銭欲を満たし、さらに、名誉欲(勲章)を満足して、よき人生だった、などと思ってきたのである。事実上の支配者として、その知恵の限りをつくす、という姿である。

そのためには、国会でのすれ違い答弁をし、政治家を篭絡してきたのである。そこには、シモジモの国民など眼中にない、実に横柄な考え方をしてきたのである。

そこと、結びついたマスコミは、その機能を守る腰ぎんちゃくとなり、御用評論家を登場させて、官僚にとって、都合のいいコメントをさせる。自らも権力と結びついてオコボレを貰って来た。

記者も、真面目に、国民のためにという姿勢はない。まさに、人間失格の水準ではないか。