官僚との付き合い方について、考える。日本の法律全体を見ると、恐らく、この全貌を実際に見た人は、一人では絶対にできないと思うはずである。本自体は、弁護士事務所であったり、大学図書館などにおいてあって、加除式の、黒に金文字でズラッと並んでいる。
さらに、行政は、この法律、政令、施行規則、通達、告示などで、実際に運営されていく。これらに、精通しているのが、官僚である。素人が、権力を与えられて、どうぞご自由に、ご指導ください、と官僚に言われて、いっさいの協力を得られないとすれば、おそらく、なにも立ち行かないだろう。
単なる、総括的な指示をしたとしても、法律間の相関関係や、整合性をとるとなると、完全にお手上げである。官僚を動かすためには、命令に従わせる道具が必須である。それができるかどうか、歴代の自民党政権も結局は、官僚に予算をつけてもらうための、お願い機関となっていた。
財界は、官僚には弱く、政界には強い。そして、政界は一応官僚には強いとなっているが、実際は、手が出せない。結局は、官僚が裏にあって、この国全体を支配していたことになる。彼らの、描く方向に沿って、全体が動くのである。
その力に源泉が金だから、予算を抑え、その割り振りを決める、大蔵主計局がエリート中のエリートとして君臨してきたのである。
いま、民主党政権は、この構造にメスを入れようとしている。全体の理念は、「友愛」である。いいではないか。そして、この方向で、実際に、仕組みを変えていかなくてはならない。そのためには、先に述べた実情から、どうやって、官僚にその仕事をさせるかにある。民主党はどうやら、それに自信をもっているようだ。
官僚出身の議員、外部の人脈、それらがチームとなって、その仕組みを構築していかなければならない。ドラマが始まろうとしている。
しかし、忘れてならないことは、いろいろ出来てきたら、今度は憲法9条が焦点になるに違いない。自分の国は自分で守らなければ誰が守るである。地球の上で、戦争をのぞむ庶民は、一人もいないと思う。
ところが、国を持ち出すと、戦争に対処することが必至となる。国をなくさないと戦争はなくせないのだろうか。であれば、そうしなければならない。でなければ、人類は生存できないのだから、そうするほか無いのである。
それには、「友愛」というワードは、効果的である。その方向でいいではないか。
さらに、行政は、この法律、政令、施行規則、通達、告示などで、実際に運営されていく。これらに、精通しているのが、官僚である。素人が、権力を与えられて、どうぞご自由に、ご指導ください、と官僚に言われて、いっさいの協力を得られないとすれば、おそらく、なにも立ち行かないだろう。
単なる、総括的な指示をしたとしても、法律間の相関関係や、整合性をとるとなると、完全にお手上げである。官僚を動かすためには、命令に従わせる道具が必須である。それができるかどうか、歴代の自民党政権も結局は、官僚に予算をつけてもらうための、お願い機関となっていた。
財界は、官僚には弱く、政界には強い。そして、政界は一応官僚には強いとなっているが、実際は、手が出せない。結局は、官僚が裏にあって、この国全体を支配していたことになる。彼らの、描く方向に沿って、全体が動くのである。
その力に源泉が金だから、予算を抑え、その割り振りを決める、大蔵主計局がエリート中のエリートとして君臨してきたのである。
いま、民主党政権は、この構造にメスを入れようとしている。全体の理念は、「友愛」である。いいではないか。そして、この方向で、実際に、仕組みを変えていかなくてはならない。そのためには、先に述べた実情から、どうやって、官僚にその仕事をさせるかにある。民主党はどうやら、それに自信をもっているようだ。
官僚出身の議員、外部の人脈、それらがチームとなって、その仕組みを構築していかなければならない。ドラマが始まろうとしている。
しかし、忘れてならないことは、いろいろ出来てきたら、今度は憲法9条が焦点になるに違いない。自分の国は自分で守らなければ誰が守るである。地球の上で、戦争をのぞむ庶民は、一人もいないと思う。
ところが、国を持ち出すと、戦争に対処することが必至となる。国をなくさないと戦争はなくせないのだろうか。であれば、そうしなければならない。でなければ、人類は生存できないのだから、そうするほか無いのである。
それには、「友愛」というワードは、効果的である。その方向でいいではないか。