昨日のNHKの医療崩壊をテーマにした特集番組は、圧巻であった。医師の偏在、必要なときに、医師がいない。たらいまわしの末に、犠牲者が続出してきている実態。田舎では、医療崩壊が特にすすんでおり、都会でも、救急現場の医師や、小児科、産科など、医師の偏在のために、非人道的な、過酷な実態があり、一方、生命に関係なく、医師の時間も自由にとれ、しかも報酬も高くとれるという分野には、医師が集中しているという。
誰がみても、ヘンな状態である。これをどうするのか。厚生労働省の医政局長、医師会、勤務医、開業医、患者、取材記者、そして、地方の行政官僚、などが、方策を話し合う番組である。
問題の所在や、各国の取り組み、医療現場の取材テープ、統計、奈良県のたらい回し事件で、県が真剣にこの対策に取り組んでいくプロセス。医療現場の実態そのものが、なんにもわかっていないことが明らかにされていく。
番組のなかで独善的な医師会、厚労省の無策、無能ぶりが目立ってくる。医師が、自分の都合ばかり考えて、行動し、役所もこれに迎合するなかで、今の事態がすすんできたことが明確になった。
これは、医師会、厚労省が仲良くなっていることに、問題がある。厚労省は、当然ながら、公共性の立場から施策を考えるべきであり、医師会は、会員の利益を追求するとなれば、ぶつかるのが言わば自然であるが、医師の独善的な要求を、受け入れているような厚労省では、対立するわけもなく、そのシワヨセは国民に押し付けられる。
この図式が、誰の目にも明らかになった。医師会の代表も、流石に、認識を変えるべきと発言していた。厚労省の役人は、国民の負担を増やさないと、のようなピントはずれの発言も飛び出し、いかに実態を把握しようともせずにきていることを暴露されて、その顔は、歪んでいた。
本当に、確信をもって、医療行政に取り組めていない実態が明らかになった。これも、小泉元首相が始めた、解りやすく毎年2000億の切捨てとか、きめ細かな配慮もなく、一言ですむような、政策ともいえない乱暴な仕儀が、事態の背景にある。
こういうヤクザのような政治家を産み出した国民の側にも責任があろうが、それは情報を持たない庶民にとっては、無理な相談であり、その意味では、NHKの今回の仕事は、画期的な素晴らしい仕事であったと思う。
きめ細かい取材、方向性が見えるまでの問題の所在の徹底、根拠薄弱な、言い訳、イイヌケを許さない準備が光っていた。
厚労省、医師会は猛省するほかないだろう。また、世の中全体として、金がすべてとか、弱者を踏みつけにして、設けるのが当然という低劣な考え方の蔓延が、この背景にあることも見えてきた。医師になる動機が、金オンリーであるならば、まことに寂しいことである。
公共性という言葉の重要性が、問われたことも印象的である。独善、功利、儲け主義がはびこるなかで、問題解決のためには、結局公共性について、考えるという至極当然な方向が明らかとなった。
誰がみても、ヘンな状態である。これをどうするのか。厚生労働省の医政局長、医師会、勤務医、開業医、患者、取材記者、そして、地方の行政官僚、などが、方策を話し合う番組である。
問題の所在や、各国の取り組み、医療現場の取材テープ、統計、奈良県のたらい回し事件で、県が真剣にこの対策に取り組んでいくプロセス。医療現場の実態そのものが、なんにもわかっていないことが明らかにされていく。
番組のなかで独善的な医師会、厚労省の無策、無能ぶりが目立ってくる。医師が、自分の都合ばかり考えて、行動し、役所もこれに迎合するなかで、今の事態がすすんできたことが明確になった。
これは、医師会、厚労省が仲良くなっていることに、問題がある。厚労省は、当然ながら、公共性の立場から施策を考えるべきであり、医師会は、会員の利益を追求するとなれば、ぶつかるのが言わば自然であるが、医師の独善的な要求を、受け入れているような厚労省では、対立するわけもなく、そのシワヨセは国民に押し付けられる。
この図式が、誰の目にも明らかになった。医師会の代表も、流石に、認識を変えるべきと発言していた。厚労省の役人は、国民の負担を増やさないと、のようなピントはずれの発言も飛び出し、いかに実態を把握しようともせずにきていることを暴露されて、その顔は、歪んでいた。
本当に、確信をもって、医療行政に取り組めていない実態が明らかになった。これも、小泉元首相が始めた、解りやすく毎年2000億の切捨てとか、きめ細かな配慮もなく、一言ですむような、政策ともいえない乱暴な仕儀が、事態の背景にある。
こういうヤクザのような政治家を産み出した国民の側にも責任があろうが、それは情報を持たない庶民にとっては、無理な相談であり、その意味では、NHKの今回の仕事は、画期的な素晴らしい仕事であったと思う。
きめ細かい取材、方向性が見えるまでの問題の所在の徹底、根拠薄弱な、言い訳、イイヌケを許さない準備が光っていた。
厚労省、医師会は猛省するほかないだろう。また、世の中全体として、金がすべてとか、弱者を踏みつけにして、設けるのが当然という低劣な考え方の蔓延が、この背景にあることも見えてきた。医師になる動機が、金オンリーであるならば、まことに寂しいことである。
公共性という言葉の重要性が、問われたことも印象的である。独善、功利、儲け主義がはびこるなかで、問題解決のためには、結局公共性について、考えるという至極当然な方向が明らかとなった。