もちろん強くならなければならない。とても食べることができないような報酬であったり、売れるか売れないかは、本人しだいであって、売れたとしても、なかなか報酬をあげない芸能事務所のように、好き放題にやられっぱなしではいけない。
そんな芸能事務所では、タレントの生活をどのように考えているのだろうか。芸人のことなど、そんな心配はしていないのだろう。売れなければ、淘汰されて、消えゆくのみとして、なんの心配もする必要はないと考えているのではないか。
それで、お笑い芸人が真っ当に育つことができるだろうか。先輩が後輩の面倒をみてやる、といっても、それは先輩芸人の気の向くままであって、系統的なものではないだろう。
そうしたなかで、反社会的集団の催しに参加したからと、芸能事務所から、無期限謹慎などの処分をうけている。彼らの生活をどのように考えているのだろうか。問題になったから、切り捨てでいいとしているのだろうか。
芸能人は、個別に、収入に相当の格差があるのだろう。収入のある連中は、その財力を提供して、たとえば、互助会を作って、売れない芸人の援助活動をしたらどうだろうか。
芸能事務所を上回るような理念をもって、芸能人の養成から、タレントの仕事の差配、営業活動もすべきである。既存の芸能事務所に対抗できる組織を作って、芸能人による芸能人のための組織が必要である。
人々を感動させたり、生きがいを見出す機会をあたえたり、お笑いの世界には、大きな可能性がある。収入の確保と、現実の世界の分析、改革、政治的信条も磨くべきである。人前にたちパフォーマンスをするということは、単純に一時の慰めや、気晴らしだけではない。
そこには、人間が人間にはたらきかける直接的な芸術であり、明らかに、普通の人びとにとって、リーダーたるべき人である。
卓越した技をもって、人を慰め、高め、笑わせ、カタルシスを与え、もって、世の中に貢献し、変革していく強力な戦力を持つ人々である。
そのために、芸能人は、哲学者であり、科学者であり、政治家であり。経済の専門家でなければならない。お笑いはすべての分野に関連する。徹底的な勉強が必要である。