論理の通らない、無茶苦茶なことをしていると、ゴリ押しが利く間は、なんの問題はないのだが、政治の場合は、結局は人心が離れて、その支配体制は終焉を迎えることとなる、また、そうあって欲しいものだが、ところがそれは、簡単にいきそうではない。
北朝鮮は、アメリカとの交渉がうまくいかなかったということで、交渉の第一線に立っていた部下が処刑され、また、重労働の罰を受けたという。これは無茶苦茶だ。妹も謹慎中だという。
こんなことをしていて、北朝鮮は、国家の体をなしているといえるのだろうか。監視体制が整っていて、おかしな動きがあれば、直ちに弾圧できるようになっているのだろう。
ところで、このような状況は、アメリカの軍需産業資本にとっては、困ったことではないのではないかと思ってしまう。
むしろビジネスチャンスが広がる可能性があり、歓迎すべき事態とも考えられる。日本も高い高い戦闘機を買う約束をさせられたようだ。戦争しないということなら、こんな戦闘機はまったくいらないということになるが、北のようなニュースが流れると、とても安心できないとして、購入することの、立派な理由付けとなったりする。
そのために、社会の貧困、悲劇がいくらあろうと、少しばかりの、手配をして、抑制的に救済をすること、そうするという、フリさえ忘れなければなんとかなるとでも思っている可能性もある。
地球上は、まだまだ大変である。課題が山ほどあって、少しずつ改善してきているのだろうが、人間は生きている限りは、苦しみから逃げることはできず、完全に逃げることは、叶わぬ願いである。
異常気象の原因が人間の活動の結果なのか、それとも関係がないのか、最近は、環境問題を言う人がいなくなっているようにみえる。
かつては、ゴア副大統領の不都合な真実という題名の映画だったか、あって、環境問題にいよいよ取り組むのかという雰囲気もあったのだが、最近はあまり話題にもなっていないようにみえる。
日本でも、台風の勢力がいままでと違ってきて、大きな被害が出た。それでも環境問題をとりあげる雰囲気は見られない。
政治問題でのひどいこと、環境問題を放置しているひどいこと、人間の活動が、どこかおかしくなってきていて、終わりの始まり、の現象が出てきているのではないかと、いささか不安である。
人類は、大丈夫か。