パソコンと付き合うようになって、もう何年になるだろう。高校生時代にトランジスタが登場して、真空管時代が終わろうとしていた。それから、50年と少し経過して、世の中すっかり変わった。
もはや、人間の手で電子回路をいじることもない。大型コンピュータよりすごい機能をもったパソコンを、いまこうして操っている。夢のような世界となった。
文章を手書きではなく、あこがれの活字のスタイルで表現できるようになった。そればかりでなく、広く自分の意見を発表できるようになっているのだ。
ただ、書き手の水準が、これに応じて高まっているわけではなく、人類の健全な発展のために、資することができる情報を表現したくとも、能力は追い付かず、思うようにはなっていない。
人類そのものは、こうした機械の進歩にふさわしい進歩を遂げているだろうか。
うかうかしていると、機械の進歩が、人類の進歩を追い越し、ために人類の絶滅につながりはしないかと危ぶまれる。
それでも、若い人々の活躍ぶりをみていて、しっかりしたふるまいをみることも多い。人類は、着実に進歩のプロセスを歩んでいるようにも見える。
世界は狭くなり、情報は一瞬にして世界を駆け巡る。その中で、人為的に情報を遮断する国もあり、人民にその事実を知らせず、為政者の都合のいい操作もなされている。
こうしたなかで、低レベルの対立があり、戦争をするためだけに作られた船や、航空機や、戦争専門の人間、つまり兵士が移動している。
何か問題を作り出し、いつでも、火花を立ち上がらせるかもしれないような状況を作っている。どこで、どのような接触が生ずるか、わからない状況である。
戦争が起こるかどうか。これを避けようとしている人間の姿よりも、非難の応酬をしている人間の表情や、ふるまいは、実際に権力をもっており、彼らの姿の方が、はるかに大きくみえる。
本当に、彼らが、決断しさえすれば、戦争ができる状態になっている。いつでも、なにかやらかすことができそうな雰囲気である。これだけ歴史を重ねてきても、人類社会の状況は、この程度である。暗澹たる思いを拭い去ることができない。