空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

人を動かす、動く

2019年06月10日 16時13分26秒 | 思考試行

 キチンと内容の説明をして「依頼」するというのが、本当だとは思う。依頼するとなると、なんらかの報酬が当然必要だろう。それができないのなら、「お願い」である。相手が承諾してくれれば、無報酬でしてもらえることができる。まあ、少し借りをした、ともいえる。

 ところが、窮状をエンエンと述べるのだが、いろいろこちらが、考えて対策を考えるように仕向けて来る人がいる。要は、こちらが、相手の依頼ということではなく、「勝手に」その仕事をやってやろうという形にしたいということである。

 こちらが、「やりましょうか」と言うのを待っているのである。それなら依頼はしていないし、お願いもしていないという考えのようである。

 いままで、何人か、そういう人々にあった経験がある。仕事が終わった時に、言葉丁寧にお礼をいえばよし、それすら不要と考えているひともいた。

 時間と費用がかかろうとも、こちらのことよりも、「自己都合」が優先しているので、こんな風の「依頼」があれば、すぐに解るので、できることは、もう、こちらから、すすんで言うことにしている。

 相手は、無報酬でやってほしいので、(無意識的にと思うが。)その要望には、気持ちよくそのように対処しることにしている。

 相手は、少々、筋を外れていても、これぐらいはやってくれて当然と思っているのだろうし、すくなくとも、人の役に立つことだから、こちらが、そうして悪いはずもない。

 だが、現実に、経費がはっきりかかり、現実にこちらの持ち出しになることは、内心、面白くないと考えていることは、自分自身には隠せない。

 ただ、相手には、そんな風を出しては、何のためにやったのか、すべては反対効果をうみ出してしまうから要注意である。やるなら、気持ちよく、損するときは、損を受け入れるのである。いつも得なことばかりを図っていては、世の中面白くない。

 この辺を世間の人たちは、うまく助け合い、譲り合っているのではないだろうか。気持ちよく生きるか、不足だらけで生きるかの分水嶺のような気もする。