自主的であるということは、現状を肯定しないということではない。考えに考えた上で、肯定するのならそれでいい。だが、意図的に、支配者側の都合のいい考え方に、どっぷりと、はまっているだけなら、それは、利用されていることに、甘んじているだけにすぎない。
自主的ということは、おおむね、現状に疑いを抱き、これではイカンと思って、感じて、なにごとかを始めるというのが、自然である。世の中どんどん変化する。どういう方向へ変化していくか、その方向性をよくよくみておかないと、時の為政者の価値観にひっぱられて、気付けばとんでもないことになっている、ということになりかねない。
安倍政権は、明らかに、戦争のできる国を目指している。北朝鮮の動きや、中国、韓国、ロシアの動きに対しても、軍備は絶対に必要であり、そのための、国内治安対策も手を打ってきている。
戦争を絶対に起こさせないということではなく、戦争になってもかまわない、むしろ、戦争ビジネスそのものに、新たな儲けに可能性をみている。どんなに、悲惨な状況になろうと仕方がないと思っているのだろう。こういう方向性に抗して、絶対に戦争をさせないために、どう行動していくか、そこに最大の課題があるように思う。