戦後、日本人は始めて「民主主義」に触れた。教育者は価値観を転換しなければならなかったが、一部には、軍隊流のやり方も生き残っていた。
筆者が小学生の時、隊列をくまされて、「わかれ!あつまれ!」と90度ずつ変えて迅速に動くことを、運動会の練習で強制された。壇上で、その動きを見ていた教師は、後ろの動きに不満があるらしく、突然壇上からとびおりて、後ろの方へ、猛烈な勢いで走っていった。その間、目は、前のヤツの後頭部をみるように指導されている。気を付けの姿勢のまま、後ろの気配をさぐる。体罰があったように思うが、振り返って見ることはできない。
これが、「楽しい」運動会の練習の一コマである。
就職したときには、上司の課長が遠くから、新入りの筆者を呼ぶ。何か、そばへ行くと、件の課長席の後ろの窓を開けろという。自分で開けられるだろ、と一瞬思ったが、職場はまだそんな文句をいう雰囲気はなかった。
しかし、時代は少しずつ変わり始めた。「民主主義」が動き始めた。労働組合の活動がようやく動き始めたのである。(続)