うまくいかないのではないか、と思っていると、その通りになった。とか、これは、うまくいくと思っていたら、その通りであった。とか、そういう場合に、予感があたった、ということになる。
予測ともいえるが、この確率はどんなものだろうか。ほとんど、正解ではないだろうか。経験から、そんなに勘がくるうことはなく、そのとおりになっているような気がする。
とすれば、その条件への見方が、こうなればこうなる、という予測について、けっこう正確であることを意味する。したがって、勘が働いて、この人と付き合うのは、あまりよくないな、と思うのは、なにか具合の悪い兆候を感じていることを意味する。
それが、どこか、はっきりと指摘できる場合と、そうでない場合もある。初対面の印象が悪く、相手の欠点を見つけていたような気がしていたのだが、付き合ううちに、その欠点というのは、欠点ではなく、長所であったという場合や、その欠点を補って余りある長所があって、その欠点は長所とウラハラとなっていて、分かちがたいことになっているという場合である。
そして、その長所、短所を何をもって、判断しているかである。自己利益、相互の利益、自己犠牲、共感、・・・価値意識、価値観が問題となる。
そして、政治家の場合は、どの政治家もおおむね、多数の人の支持を得て、その議席を獲得することになるのだが、その価値観がどこにあるのか、どういうものなのか、これを明確にする仕事こそ、個々人が磨くべき能力だと思う。