映画館でみたときは、衝撃的だった。うすうす感じていたが、意識していないから、リングがコロコロとなったときに、「やはりそうか」と初めて、「真相」を知るのである。
はっきりするまでは、もやもやとさせられた。それが、今回は、こまかい演技、表情、筋立てなど、落ち着いて鑑賞するから、見方が当然ながら、全然違うし、深いのである。
少年がすばらしい。母親との関係が修復される場面では、泣かされた。理解しあうことのすばらしさ。共感できることの意味。亡くなった母との関係。実際にある、いきちがいの典型例である。このことで、少年は強くなる。そして、ラストへ。
映画は、二度はみないと、アカン。これは、我が家の合言葉である。この映画も二度目は、さすがに、よくわかる。作者の意図、俳優の演技、精度が初めてみるのと大違いである。
俳優は、せりふを覚え、演技を幾度となく、繰り返しているはずだし、これらの努力の成果を、観客として享受するためには、最低二度はみないと、肝腎要のところを見逃す可能性がある。
いつものブルースウイルスでないから、調子がくるうが、彼もすばらしい俳優なのだと思いしらされた。