広告が盛んに出ているし、テレビでもとりあげられてもいる。どうやら、本物の技術であるらしい。一定の練習、あるいは訓練が必須のようであるが。
これが、本当に可能ならば、コツコツと勉強しなくとも、速読技術を獲得したあとに、本に臨めば、情報蒐集能力は格段にあがる。しかし、疑問もある。時間をかけて、書いてある中味を租借しないと理解できないものもあると思うのだが、そんなものも、速読で可能なのだろうか。
世の中には、頭のいい人がいて、情報化されたものは、たちどころに理解し、次のステップにすすんでいるようにみえる。それなら、なにもかもが、もっと変化しそうなものだが、全体の動きとしては、左程の変化はなく、その歩みは遅々としたものに感じられる。世の中の矛盾や、困難なことがそう簡単には、とりはずされないでいる。
放送大学で、「日本美術史」に挑戦中であるが、縄文土器に始まり、人間の営みが語られていく。技術の進歩、新しい感性、・・・明らかに、そこには、洗練されて前進している姿が、みられるものの、何か本質的なもの、根底からの変化というものは、未だに起こってはいないのではないか、ともみえる。
しかし、この速読技術が本物とすれば、膨大な知識を要する分野があるとしても、それは、クリヤできるし、世の中をかえるインパクトになるに違いない。学校教育lにも取り込めばいいのではないか。一部人間の特殊な技術にしておくのは、もったいないと思うのだが、どうだろう。