意識的にしないと、楽しみは見つからない。意欲的に、探しながら、挑戦してみる。それが、楽しみとなれば、しめたものである。それが、他人のためになることならば、最高である。その人の人生は成功といえる。
他者とのかかわりで、その成否が決まるわけではない。まずは、主体の問題である。自分を騙しても、楽しみはできない。自分自身が、本気になれるかどうかが、最大の問題である。
小生の場合は、継続していくなかで、趣味らしいものが形成されてきた。もはや、習慣であり、楽しみともいえないかもしれないけれども、それでも、生き方とも関わっている。なにごとか、お役にたつ発言をしたいし、ノウハウの提供をしていきたいと思う。
金がすべてではないし、名誉もそうだ。生まれも学歴も、本質的な成功要因とはならない。学歴がなくとも、本人が努力をすれば、充分に実力を蓄えることも可能である。
今や、個人にとって、可能性を広げる手段は、たくさんある。そこから、楽しみを見つけるならば、そして、それが、他者のためになるとすれば、それこそが、人生の成功者といえる。
だが、この楽しみを奪う連中がいる。他者を踏み台にして、犠牲にして、自らの財力をため込もうとするヤカラである。こういう連中は、人間社会の形が形成される最初から存在し、もちろん、今もいる。しかも、中心的な力を今ももっているのである。
これを何とかしないといけない。こういう連中を駆逐したい。くさしたい。それこそが、「楽しみ」である。