(原題:Intouchables)
----この映画、
確か昨年の東京国際映画祭でグランプリを受賞したんだよね。
すでに観た人が絶賛していたのを覚えている。
「うん。
タイトルも不思議でね。
電動車椅子に乗っている白人と
それを介助している黒人。
このふたりに“最強”という修飾語がついている」
----車椅子ということは、
主人公のひとりは体が不自由ということ?
「そうだね。
では、まずはお話から…。
パリに住む大富豪のフィリップ。
ある事故により
首から下が麻痺してしまった彼は、
自分の介護者を選ぶ面接で
スラム街出身の無職の黒人青年ドリスと出会う。
生真面目な応募者たちの中にあって、
不採用の証明書でもらえる失業者手当が目当てだという
ふざけた態度のドリスに興味を抱いたフィリップは、
<試用>という形で彼を採用。
音楽からファッション、会話の内容と、
何から何まで正反対のふたりだが、
以後、フィリップの毎日は、
わくわくするような冒険の日々に変わってゆく…。
ドリスはフィリップにマリファナを回したり、
興味津々で彼の性欲について尋ねたり…。
一見、タブーと思えるようなことを
次々と言ったりやったりもする。
しかしそこには、
これまでフィリップが味わってきたような
他人からの<同情>の視線は皆無。
それがすごく嬉しかったワケだね。
ただ、この映画は、
以後、どのように物語が運ぶかがおおよそ想像できちゃう」
----どういう風に?
「違う世界に住むふたりが
ひょんなことから出会い、
友情が芽生える…。
このプロットを
映画として盛り上げるには、
以下のような流れが考えられる。
思いもよらぬ事件による<別離>。
だが運命は彼らに<再会>の時を用意。
それにより、さらに深まる友情の絆…」
----ニャんだか、身も蓋もないニャあ。
「まあまあ。
実際、この映画もこれを基軸として進んでいく。
特別な驚きもない予定調和の物語。
ところがそれでも、最後の最後で
ぼくはやられてしまった。
いつしか、瞼に熱い涙が浮かんでいたんだ」
----なぜ?
「この涙の理由を説明するのが実に難しい。
言葉で説明できない感動。
これがこの作品が<映画>であるゆえんかなと…
観た直後はそう思ったワケだけど…」
----その言い方だと、
今は分かるということかニャ?
「そう、少しはね。
この映画は、実に緻密な脚本で構成されている。
ポイントとなるのは、
フィリップの奥深い心理。
大富豪の彼は、
一方で紳士でもある。
人に弱音を吐くこともなく毅然としている。
しかし、やはりそれは表面的なもので、
実際には彼ならではの引け目がある。
それをよく表しているのが
文通のエピソード。
フィリップは
相手の女性を魅力的とは思いながらも、
会うことはおろか、電話一本かけたことがない。
そんな彼にドリスは
自信と勇気を取り戻させていた…
そのことが最後に分かる仕組みになっているんだ」
----奥歯にモノが挟まったような言い方だニャ。
「やはりストーリーを語ってしまうわけにはいかないからね。
でも、ここでぼくが話していることの意味、
それは
映画を観た人みんなに伝わると思う。
あのラストシーンで
なぜ涙が自分たちの頬を伝うか?
それがこの映画のポイントだよ」
※(追補)
ドリスのフィリップに対する接し方は仕事ではなく
むしろ恋人に対するそれのよう。
最初は、排泄関係はやらないと拒否したりなど、
その距離を自分なりに取っていた。
そこで素朴な疑問。
彼は、後年、排泄関係も介助したのだろうか?
プレスによるとモデルとなったアブデルが映画を観て、
「もっと深く掘り下げても良かったんだよ」と言ったという。
もしかしてそこにはこういうことも理由としてあるのかも?
フォーンの一言「主演のフランソワ・クリュゼ、オマール・シーは
東京国際映画祭で主演男優賞をW受賞なのニャ」
※リメイクされるという噂もあるけど、
たとえ感動したとしてもそれは別モノだ度
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☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
※画像はフランスのオリジナルポスター。
----この映画、
確か昨年の東京国際映画祭でグランプリを受賞したんだよね。
すでに観た人が絶賛していたのを覚えている。
「うん。
タイトルも不思議でね。
電動車椅子に乗っている白人と
それを介助している黒人。
このふたりに“最強”という修飾語がついている」
----車椅子ということは、
主人公のひとりは体が不自由ということ?
「そうだね。
では、まずはお話から…。
パリに住む大富豪のフィリップ。
ある事故により
首から下が麻痺してしまった彼は、
自分の介護者を選ぶ面接で
スラム街出身の無職の黒人青年ドリスと出会う。
生真面目な応募者たちの中にあって、
不採用の証明書でもらえる失業者手当が目当てだという
ふざけた態度のドリスに興味を抱いたフィリップは、
<試用>という形で彼を採用。
音楽からファッション、会話の内容と、
何から何まで正反対のふたりだが、
以後、フィリップの毎日は、
わくわくするような冒険の日々に変わってゆく…。
ドリスはフィリップにマリファナを回したり、
興味津々で彼の性欲について尋ねたり…。
一見、タブーと思えるようなことを
次々と言ったりやったりもする。
しかしそこには、
これまでフィリップが味わってきたような
他人からの<同情>の視線は皆無。
それがすごく嬉しかったワケだね。
ただ、この映画は、
以後、どのように物語が運ぶかがおおよそ想像できちゃう」
----どういう風に?
「違う世界に住むふたりが
ひょんなことから出会い、
友情が芽生える…。
このプロットを
映画として盛り上げるには、
以下のような流れが考えられる。
思いもよらぬ事件による<別離>。
だが運命は彼らに<再会>の時を用意。
それにより、さらに深まる友情の絆…」
----ニャんだか、身も蓋もないニャあ。
「まあまあ。
実際、この映画もこれを基軸として進んでいく。
特別な驚きもない予定調和の物語。
ところがそれでも、最後の最後で
ぼくはやられてしまった。
いつしか、瞼に熱い涙が浮かんでいたんだ」
----なぜ?
「この涙の理由を説明するのが実に難しい。
言葉で説明できない感動。
これがこの作品が<映画>であるゆえんかなと…
観た直後はそう思ったワケだけど…」
----その言い方だと、
今は分かるということかニャ?
「そう、少しはね。
この映画は、実に緻密な脚本で構成されている。
ポイントとなるのは、
フィリップの奥深い心理。
大富豪の彼は、
一方で紳士でもある。
人に弱音を吐くこともなく毅然としている。
しかし、やはりそれは表面的なもので、
実際には彼ならではの引け目がある。
それをよく表しているのが
文通のエピソード。
フィリップは
相手の女性を魅力的とは思いながらも、
会うことはおろか、電話一本かけたことがない。
そんな彼にドリスは
自信と勇気を取り戻させていた…
そのことが最後に分かる仕組みになっているんだ」
----奥歯にモノが挟まったような言い方だニャ。
「やはりストーリーを語ってしまうわけにはいかないからね。
でも、ここでぼくが話していることの意味、
それは
映画を観た人みんなに伝わると思う。
あのラストシーンで
なぜ涙が自分たちの頬を伝うか?
それがこの映画のポイントだよ」
※(追補)
ドリスのフィリップに対する接し方は仕事ではなく
むしろ恋人に対するそれのよう。
最初は、排泄関係はやらないと拒否したりなど、
その距離を自分なりに取っていた。
そこで素朴な疑問。
彼は、後年、排泄関係も介助したのだろうか?
プレスによるとモデルとなったアブデルが映画を観て、
「もっと深く掘り下げても良かったんだよ」と言ったという。
もしかしてそこにはこういうことも理由としてあるのかも?
フォーンの一言「主演のフランソワ・クリュゼ、オマール・シーは
東京国際映画祭で主演男優賞をW受賞なのニャ」
※リメイクされるという噂もあるけど、
たとえ感動したとしてもそれは別モノだ度
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※画像はフランスのオリジナルポスター。
>1+1が2にならず、それ以上の力を発揮
確かにどれは強いですね。
この邦題は、象徴的だと思います。
さいきんに、見たのが「1+1」ですからネ。
まさに、1+1が2にならず、それ以上の力を発揮するのは、ふたりが醸す妙でした。
あらら、観んがしていたんですね、そのシーン。
さらりと見せていたということでしょうか、
そういう、ドリスのr大きな変化のシーンを
期待していた自分は
ダメなヤツ、と、頭をポン。
こうであればいいのに、と思うことを綺麗に作品にして見せてくれたというか、
だから、大好評もあれば、何だかなぁ、な感想もアリということかもしれません。
排泄云々は、後半、台詞なしでゴム手袋を渋々ながら自分で手に取っているシーンがありました。
映像だけで「ああ、彼はそれも受け入れたんだな」と思わせる程度でしたが、
その時の彼の表情もよかったです。
ベタ褒めですね。
昔から僕の場合、
あまりにも周囲が褒めちぎると、
なんでそこあMで・・・と、
あまのじゃくになってしまい安す。
『E.T,』、タランティーノがそうでしたが、
そのときの感じを久しぶりに味わいました。
あらら、見逃してしまったかな(汗)。
最初、拒否しているところが
あまりにも強烈で
そのままいってしまいました。
すみませんでした。
この物語は、ある意味、ふたりだけの<歴史>なのですが、
でも、学ぶところが多い、巧くいっているカップルのお話のようにも思えました。
ディテールに映画の神が宿っておりました。
画面の隅々まで演出が行き届き、最初から俳優に当てて書いてるだけあってキャラクター造型も完璧。
ダメなところが一つもありませんでした。
誰もが知ってるレシピでも、作り手の技と心で出来栄えは全然違ってくるという証明みたいな映画でしたね。
ほんと恋人のような距離感とは的を得た表現だと思います。
この映画、
ツイッターでも、感動の嵐のようです。
ただ、ぼくとしては
この映画で障がい者とのつきあ方が分かったような論調に出会うと、
どうしても引っ掛かりを感じてしまいます。
これは、このふたりのケースのヒストリー。
おっしゃるように
確かに、素敵な出会いが作り上げた物語だと思います。
いやあ、自分のあまのじゃく根性が出てしまいました。
障害者の現場を知らないワケでもないこともあり、
この映画はあまりにも、
上澄みだけを描いたように見えてしまったのでした。
映画の中での出会いと別れを上手く使って、
感動させるようなつくりは上手さを感じました。
こんな適切な解説をみつけたのでします。
『出会うはずのなかった2人が、常識破りの人生に繰り出す !
車いす生活を送る富豪フィリップは、その気もないのに介護者面接にやってきた場違いな黒人男性ドリスを採用した。
全く違う世界で生きてきた、趣味も嗜好も相容れない2人だったが、不躾ながらも正直で、容赦がないながらも温かいドリスの言動に、少しづつフィリップの心は開かれていく。
2人は、介護用の車をスポーツカーに乗り換え、車椅子を加速させる修理をし、パラグライダーで空に飛び出し、風俗に繰り出し、オーケストラをバックに踊り・・・。
背負った障害はブラックジョークで笑い飛ばし、それまでは思いつきもしなかった、新しい挑戦に満ちた日々に繰り出していく。ところが、--。
人生は、こんなにも予想不可能で、こんなにも垣根がなく、こんなにも笑えて、こんなにも涙があふれる !』
つきっきりの介護をするのですから、その分野もせざるを得ないでしょう。まして、最後は信頼関係を深く結びついたわけです。
介護業界にちょっぴり身を置きましたが、介護に巡回する人たちは明るいですよ。ウンにあっちゃった、アハハハ・・・てな調子です。
日の当たり難い業界では暗く落ち込んだら、ますます暗くなります、明るくふるまうことが自噴も救われるに違いありません。
そう、予定調和的なお話なんです。
しかも、細かいところには目をつむっている。
だけど、なぜか感動してしまう。
そういうところに
映画という者の秘密がひそんでいるという気がしました。
この映画は、このキャストでこの空間だからこそ意味がある。
そう思います。
ぼくは、リメイクに否定的な方ではないですが、
この映画に関しては少し違うなと、
そう思いました。
確かに予定調和で、激しい盛り上がりを見せるわけでもないのに、暖かい涙が滲んでくる映画でした。
特に私はドリス役の彼がよかったです。
ですね。 何がどうとこまこまと説明する必要がないよさ。
観た後でHAPPYな気分になれれば、それでいいんじゃないかと改めて思うんですよ。
この作品、リメイクはありえないのに、何でリメイクしたがるんだろう?不思議です(笑)