----これも実話なんだって?
「そうだね。ヒトラー政権末期の1943年。
『打倒ヒトラー!』の文字を町中に書き、
郵便やビラで国民に自由を呼びかけた
“白バラ”と呼ばれた若者たちのグループ。
その紅一点、ミュンヘン大学の女学生
ゾフィー・ショルの最期の日々を描いたドイツ映画なんだ」
----ヒトラー関連のドイツ映画って今年、他にもあったよね。
「『ヒトラー~最期の12日間~』だね。
あの映画のラストで、
ヒトラーの元タイピストの女性が
自分と同じ年のゾフィーの存在を知って
初めて罪に目覚めたと語っているけど、
そのゾフィーこそがこの映画の主人公と言うわけだ」
----ふん。つまりレジスタンスの話ってことだよね。
「うん。映画はゾフィーと兄のハンスが
ミュンヘン大学構内でビラ撒きをして見つかり、
逮捕、ゲシュタポの尋問、
人民法廷での裁判、そして処刑されるまでを描く」
----確か、こういう実話ものって
描かれているものが事実と合っているかどうかに関心が集中して、
映画そのものの魅力への言及がされにくいって言っていた記憶が…。
「うん。そのことについて監督はこう答えている。
『幸運にも我々が得た事実は
我々を夢中にさせるものでした』と。
この<白バラ>の話は過去にも何度か映画化されているけど、
本作は90年代になって東ドイツで発見された
ゲシュタポの尋問記録が軸となっている。
そのため映画は、かつてのように
ゲシュタポをステロタイプには描いていない。
ゾフィー・ショルを尋問したゲシュタポのロベルト・ムーア。
アレクサンダー・ヘルトの好演もあり、
その屈折した心理描写がじっくり描き込まれている。
ゾフィーはどんなに詰問されても、
冷静に理路整然と自分の潔白を訴えていく。
そのため、ムーアは最初彼女が無実と信じ込むんだ」
----うわあ、それってスゴくない。
相手はゲシュタポなのに、よく一介の女子大生がそんなことできたね。
えいには無理でしょう?
「うん。自分に置き換えてみて、少し情けなくなったね。
果たして、このようなとき自分だったらどう反応するかってね…。
それはともかくとして映画の話に戻ろう。
釈放寸前でゾフィーはビラ撒きに関わっていた証拠が見つかる。
それでも無関係を主張していたゾフィーだが、
兄の自白と言う絶対的証拠を突きつけられてからは
一転して反撃に出る。
自分たちは信念を持って行動し、それを誇りに思っている。
しかもそれは自分と兄だけでやったのだと、すべてを引き受ける。
仲間にナチの手が及ばないようにと言うわけだね。
そんな彼女に、ムーアは他の仲間を密告すれば命を助けると持ちかける。
ところがゾフィーはこれを拒否」
----mmmmm……。
映画は、この尋問描写が一時間以上も続く。
法廷映画と言うのはよくあるけど、これは珍しい。
でもそれだけ見つかった資料が驚愕的だったと言うこと。
それがあればこそ、ゾフィーの思想はもとより、
彼女の人間像が深く描き込まれたと言うわけだ」
----法廷の方はどうニャの?
「これが悪名高い狂気の裁判長フライスラーによって執り行われる。
彼の判決は先入観が元となっていて、
被告には恫喝で接し、
最初から有罪との決めつけがなされれている。
彼には元共産党員であるという弱みがあり、
自己保身のためにパフォーマンスをやっていたというように、
映画では描かれているけど、
いやあ、それにしてもこのシーンは戦慄が走ったね。
演じるアンドレ・ヘンニックにフライスラーが乗り移ったかのようだった。
ゾフィーを演じるユリア・イェンチの抑えた演技との対比が見モノだ」
----彼女らは即日処刑されたと聞いているけど・・・。
「うん。本来は99日の余裕があるはずなんだけど、
判決後すぐ執行される。
それを聞かされたとき、初めて彼女は絶望から慟哭する」
----ふうむ。これは観る価値がありそうだ。
「ムーア尋問官との心理的駆け引きだけでなく、
ビラを構内に置いて回る冒頭のエピソードからしてサスペンスフル。
見つかるとは分かっていながらもハラハラドキドキ。
一度観たら絶対に忘れられない衝撃のラストまで
目がスクリーンに釘付けとなること間違いないよ」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「フォーン、固まったニャ」
※ドイツの傷もまた深い度
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
※画像はアメリカのオフィシャルのダウンロード・サイトより。
「そうだね。ヒトラー政権末期の1943年。
『打倒ヒトラー!』の文字を町中に書き、
郵便やビラで国民に自由を呼びかけた
“白バラ”と呼ばれた若者たちのグループ。
その紅一点、ミュンヘン大学の女学生
ゾフィー・ショルの最期の日々を描いたドイツ映画なんだ」
----ヒトラー関連のドイツ映画って今年、他にもあったよね。
「『ヒトラー~最期の12日間~』だね。
あの映画のラストで、
ヒトラーの元タイピストの女性が
自分と同じ年のゾフィーの存在を知って
初めて罪に目覚めたと語っているけど、
そのゾフィーこそがこの映画の主人公と言うわけだ」
----ふん。つまりレジスタンスの話ってことだよね。
「うん。映画はゾフィーと兄のハンスが
ミュンヘン大学構内でビラ撒きをして見つかり、
逮捕、ゲシュタポの尋問、
人民法廷での裁判、そして処刑されるまでを描く」
----確か、こういう実話ものって
描かれているものが事実と合っているかどうかに関心が集中して、
映画そのものの魅力への言及がされにくいって言っていた記憶が…。
「うん。そのことについて監督はこう答えている。
『幸運にも我々が得た事実は
我々を夢中にさせるものでした』と。
この<白バラ>の話は過去にも何度か映画化されているけど、
本作は90年代になって東ドイツで発見された
ゲシュタポの尋問記録が軸となっている。
そのため映画は、かつてのように
ゲシュタポをステロタイプには描いていない。
ゾフィー・ショルを尋問したゲシュタポのロベルト・ムーア。
アレクサンダー・ヘルトの好演もあり、
その屈折した心理描写がじっくり描き込まれている。
ゾフィーはどんなに詰問されても、
冷静に理路整然と自分の潔白を訴えていく。
そのため、ムーアは最初彼女が無実と信じ込むんだ」
----うわあ、それってスゴくない。
相手はゲシュタポなのに、よく一介の女子大生がそんなことできたね。
えいには無理でしょう?
「うん。自分に置き換えてみて、少し情けなくなったね。
果たして、このようなとき自分だったらどう反応するかってね…。
それはともかくとして映画の話に戻ろう。
釈放寸前でゾフィーはビラ撒きに関わっていた証拠が見つかる。
それでも無関係を主張していたゾフィーだが、
兄の自白と言う絶対的証拠を突きつけられてからは
一転して反撃に出る。
自分たちは信念を持って行動し、それを誇りに思っている。
しかもそれは自分と兄だけでやったのだと、すべてを引き受ける。
仲間にナチの手が及ばないようにと言うわけだね。
そんな彼女に、ムーアは他の仲間を密告すれば命を助けると持ちかける。
ところがゾフィーはこれを拒否」
----mmmmm……。
映画は、この尋問描写が一時間以上も続く。
法廷映画と言うのはよくあるけど、これは珍しい。
でもそれだけ見つかった資料が驚愕的だったと言うこと。
それがあればこそ、ゾフィーの思想はもとより、
彼女の人間像が深く描き込まれたと言うわけだ」
----法廷の方はどうニャの?
「これが悪名高い狂気の裁判長フライスラーによって執り行われる。
彼の判決は先入観が元となっていて、
被告には恫喝で接し、
最初から有罪との決めつけがなされれている。
彼には元共産党員であるという弱みがあり、
自己保身のためにパフォーマンスをやっていたというように、
映画では描かれているけど、
いやあ、それにしてもこのシーンは戦慄が走ったね。
演じるアンドレ・ヘンニックにフライスラーが乗り移ったかのようだった。
ゾフィーを演じるユリア・イェンチの抑えた演技との対比が見モノだ」
----彼女らは即日処刑されたと聞いているけど・・・。
「うん。本来は99日の余裕があるはずなんだけど、
判決後すぐ執行される。
それを聞かされたとき、初めて彼女は絶望から慟哭する」
----ふうむ。これは観る価値がありそうだ。
「ムーア尋問官との心理的駆け引きだけでなく、
ビラを構内に置いて回る冒頭のエピソードからしてサスペンスフル。
見つかるとは分かっていながらもハラハラドキドキ。
一度観たら絶対に忘れられない衝撃のラストまで
目がスクリーンに釘付けとなること間違いないよ」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「フォーン、固まったニャ」
※ドイツの傷もまた深い度
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
※画像はアメリカのオフィシャルのダウンロード・サイトより。
あの尋問官の存在はこの映画に
あるバランスをもたらしていたと思います。
先日観た『ブラックブック』では
戦後のオランダにおける
それまで虐げられていた人々の
解放以後の狂気が描かれるシーンがありましたが、
ふと、そのことを思い出してしまいました。
中学生の頃にこの白バラ事件の事は、読んだ記憶があったんですが、こうして映像にしてみると、また違った感じに見えてきますね。 尋問官の彼と当方は同じような年齢で、彼も家族がいてそれもゾフィーと同じような年齢。息子との確執が垣間見えてそこだけでも彼の苦悩が見えてきたような…抵抗運動の渦中にいる兄妹、それを裁く側の人間模様。ムーアの心中は、穏やかではなかったでしょうね…。
朱雀門さんが書かれていた
~「不思議の国のアリス」もびっくりのトランプ裁判である~
は言い得て妙ですね。
あのラストは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に繋がる衝撃でした。
そうか、「最期の12日間」とつながりがあるんですね。
この映画も、ナチスを一枚岩の「悪」として描くのではなく、各人の心の弱さや人間くささを表現していた所に感心致しました。
ラストは・・・思い出すだけでも凹んでしまいます。
あまりノレなかったようですね。
ユリア・イェンチの演技プランですが、
ぼくは感心しました。
ゾフィーのような女性って、
やはり普通の人とは違うと思うんです。
普通の人は捕まってびくびくしたり、
命が惜しくて怯えたり、泣き叫んだり…。
でも彼女はそこを超越している。
そういう選ばれた人ならではの
自信に満ちた<まなざし>がとても心に残りました。
あ~、こういう人なら
ここまでやるだろうなと納得させられました。
>ゾフィーを演じるユリア・イェンチの抑えた演技
という風に受け取れなかったみたいです、アタクシ。無意識に映画鑑賞のハードルがグーーーンと高い位置に上がってしまっているようですぅ。
いくら自分の主義に殉じていても
やはり、死に対する心の準備がもてないというのは残酷です。
それを知らされた瞬間の絶望の叫び。
心に重く響く作品でした。
どんなに強くてもやっぱ21歳でやっぱりまだ生きたいのかもしれないってことを見れたような気がします。
過去にこういう人がいて強い信念を持って生きたっていうことは自分にとっても刺激になりました。
ドイツでは自分の国の歴史を検証、
アメリカではさまざまな形で
ブッシュの政策を批判。
で、日本は……。
時代を射る映画が少ないのが寂しいです。
この映画も予想を遥かに上回る出来でした。
ゾフィーとモーアの火花散る演技合戦、特にモーア役のアレキサンダー・ヘルトの受けの芝居は見事でした。
本当はナチを信じていなくても
生きていくために自分を殺してしまう。
そしてその「ふり」を演じているうちに、
いつしかそれが「本心」であるかのように錯覚してしまう。
おそらくあの時代、ドイツの大半の人たちは、
そうやって自分をごまかしながら生き抜いていたのでしょう。
この尋問官もその一人。
ところが自分の心情に忠実なゾフィーの出現で
彼は、奥底に眠っていた良心を目覚めさせられる。
しかし、一方では
その状況に自分を委ねてしまうことで
権威、支配欲と言ったものまで得ようとする。
この裁判官の狂気は本当に怖かったです。
それにしても、この時代の死刑って、ナチだし銃殺刑かと思いきや、ギロチンなんですね…。
重量級の作品でしたね。
この映画、アカデミー外国語映画賞にノミネートされましたね。
ドイツからは去年の『ヒトラー~』に続いて、
あの時代を「今の視点」から見直す映画が
続いて認められたことになります。
翻って日本は……。
ぼくはこっちの方でも暗澹たる気持ちになります。
あの尋問、正直って集中力がとぎれそうになりました。(←いつも映像と音楽をいかに楽しんでいるかよくわかりましたわ…苦笑)
裁判のシーンは今でも思い出すとやり切れません~
実際もあんな感じだったのでしょうか?私なら何も言えないかもしれませんわ。
ラストといいかなり衝撃的。・・・やはりドンゾコ
ここ、実に読みにくい文字色になっていましたね。
しばらく前にテンプレートを変えたため、
背景との色が合わず、
こういうケースがいくつか生まれてしまい、
大変ご迷惑おかけしています。
>毎日のようにTBしてますが★
もしかしたら、私の見落としがあるかも。
gooは直近の10TBまでしか自分に分からないんです。
こまめにチェックして、
そこでお返事できない時は保存して
あとでTBさせていただいているのですが、
それでも追いつかないケースが多々あります。
ほんとうにご迷惑おかけしています。
なんか、あやまってばかりですね。
なんとも衝撃的なラストでした。。。
こういう作品は、知らずにいた
過去の事実を知るきっかけとなるので
興味深いです