-----この映画、もう公開されているよね。
巷で話題になっているみたいだけど、どうだった?
「ぼくの個人的なこの映画への興味としては、
監督があの阪本順治だということ。
『顔』『KT』の彼が、
今年相次いで映画化された福井晴敏の原作に取り組むんだから、
それだけでもセンセーショナルだ」
-----でも原作読んでないでしょう?
「映画は原作に縛られてはいけないと思うし、
小説と比べてどうのというのは、あまり意味をなさないと思う。
ただ、原作がどうであれ、この中で
阪本監督が最も力を入れて描いていたのは
真田広之演じる仙石になっていた」
-----いきなりだニャあ。物語を少し説明してよ。
「この映画は、某国の工作員に乗っ取られたイージス艦を舞台に、
首都・東京攻撃を阻止しようとする仙石と如月ふたりの鑑内での動く戦い、
そしてイージス艦を沈めようという決断をめぐる官邸内での動かない戦い、
このふたつの<戦い>を軸に進んでゆく。
その中で、工作員の首謀者ヨンファの取る言動が
いまの日本の防衛的問題を浮き彫りにしていく」
-----そんな簡単にまとめられる話なの?
「いや、そんなことないよ。
第一、某国の工作員がそんなに簡単に乗っ取りができるはずはなく、
そこに、彼に協力した自衛隊員それぞれの思いや葛藤が絡み合っていく」
-----そうか、ポリティカルサスペンスにして
一種の群像劇でもあるわけだ。で、どうだったの映画は?
「どう言ったらいいんだろうな。
退屈はしないし、ある意味よくできた映画ではある。
最初から最後まで、ある一定のテンションを保って映画は進んでいくし…。
すっかり巨匠になったという感じだったね。
でも、手に汗握ることもなかった。
おそらくその破綻のなさが、ぼく的には逆にもの足りなさとなっている」
-----よくできているけど、もの足りない?
それってどういうこと?
「映画って、後で同じくその映画を観た人と話すとき、
それぞれが心に残ったワンシーンを話すことが多いよね。
この映画には、そう言う突出したシーンがない。
晩年の黒澤映画みたいなんだ。
悪くはないけど、印象に残る“これ”といったワンシーンがない」
------うん。それって分かる気がする。
『猿の惑星』だったら自由の女神、『卒業』だったら教会ってヤツでしょ。
「(笑)例が古いな。でもそういうことだね。
ただ、ぼくとしては冒頭のシーンには目を瞠ったね。
雨の中をヨンファが副長の家へ向かう。
よくハリウッド映画なんかであるように、
一見、本筋とは関係なく見えるエピソードを冒頭に置く。
しかもなんの説明もなく、それは唐突に終わる。
映画が進むにつれて、あのシーンの意味が分かってくるんだけど、
そのフィルムの質感といい、色調といい、いまの映画には見えない。
昔のベテラン監督が撮ったのかと錯覚してしまいそうな感じだ。
そして、続けて描かれるのが仙石が鑑に向かうため家を出るシーン。
ここは一転して穏やかな映像に変わる。
実はこのシーンに、すでにここに阪本監督のこの映画への姿勢
「個」「家族」の優位性が描かれている。
冒頭の大時代的な映像は、
それを強調するためにも必要な手法だったのでは…
と、いまはそう思えてならないんだ」
(byえいwithフォーン)
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巷で話題になっているみたいだけど、どうだった?
「ぼくの個人的なこの映画への興味としては、
監督があの阪本順治だということ。
『顔』『KT』の彼が、
今年相次いで映画化された福井晴敏の原作に取り組むんだから、
それだけでもセンセーショナルだ」
-----でも原作読んでないでしょう?
「映画は原作に縛られてはいけないと思うし、
小説と比べてどうのというのは、あまり意味をなさないと思う。
ただ、原作がどうであれ、この中で
阪本監督が最も力を入れて描いていたのは
真田広之演じる仙石になっていた」
-----いきなりだニャあ。物語を少し説明してよ。
「この映画は、某国の工作員に乗っ取られたイージス艦を舞台に、
首都・東京攻撃を阻止しようとする仙石と如月ふたりの鑑内での動く戦い、
そしてイージス艦を沈めようという決断をめぐる官邸内での動かない戦い、
このふたつの<戦い>を軸に進んでゆく。
その中で、工作員の首謀者ヨンファの取る言動が
いまの日本の防衛的問題を浮き彫りにしていく」
-----そんな簡単にまとめられる話なの?
「いや、そんなことないよ。
第一、某国の工作員がそんなに簡単に乗っ取りができるはずはなく、
そこに、彼に協力した自衛隊員それぞれの思いや葛藤が絡み合っていく」
-----そうか、ポリティカルサスペンスにして
一種の群像劇でもあるわけだ。で、どうだったの映画は?
「どう言ったらいいんだろうな。
退屈はしないし、ある意味よくできた映画ではある。
最初から最後まで、ある一定のテンションを保って映画は進んでいくし…。
すっかり巨匠になったという感じだったね。
でも、手に汗握ることもなかった。
おそらくその破綻のなさが、ぼく的には逆にもの足りなさとなっている」
-----よくできているけど、もの足りない?
それってどういうこと?
「映画って、後で同じくその映画を観た人と話すとき、
それぞれが心に残ったワンシーンを話すことが多いよね。
この映画には、そう言う突出したシーンがない。
晩年の黒澤映画みたいなんだ。
悪くはないけど、印象に残る“これ”といったワンシーンがない」
------うん。それって分かる気がする。
『猿の惑星』だったら自由の女神、『卒業』だったら教会ってヤツでしょ。
「(笑)例が古いな。でもそういうことだね。
ただ、ぼくとしては冒頭のシーンには目を瞠ったね。
雨の中をヨンファが副長の家へ向かう。
よくハリウッド映画なんかであるように、
一見、本筋とは関係なく見えるエピソードを冒頭に置く。
しかもなんの説明もなく、それは唐突に終わる。
映画が進むにつれて、あのシーンの意味が分かってくるんだけど、
そのフィルムの質感といい、色調といい、いまの映画には見えない。
昔のベテラン監督が撮ったのかと錯覚してしまいそうな感じだ。
そして、続けて描かれるのが仙石が鑑に向かうため家を出るシーン。
ここは一転して穏やかな映像に変わる。
実はこのシーンに、すでにここに阪本監督のこの映画への姿勢
「個」「家族」の優位性が描かれている。
冒頭の大時代的な映像は、
それを強調するためにも必要な手法だったのでは…
と、いまはそう思えてならないんだ」
(byえいwithフォーン)
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