ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

いざ伊賀上野4

2016年06月21日 21時18分13秒 | ウォーキング

これがその高虎の兜。



強そうに見えるのですが、
今の時代だったら子供に
「ロペ」と呼ばれそうですねえ。



庫内には、昔の火鉢や武具、





藤堂家の様子などが
展示されています。



それにしても刀なんかは
さびないようにと手入れが大変でしょうねえ。

そして急な階段を二つ上がって、
一番上に上がると、
もう人は誰もいませんでした。

これが天守閣の窓から見える景色です。







これから行こうとする「鍵屋ノ辻」や
「小田小学校」、「蓑虫庵」の方向も
眺めておきましょう。

しかしこのあたり大きな産業も
ないように思えるのに、
意外に人がたくさん住んでいて、
思ったよりもかなり都会ですねえ。

この城の最上階には誰もいなかったので、
ついでにこの都会の最上階に君臨する
doironの記念撮影もしておきました。



さあ、500円の元は取った気はしませんが、
階段を下りて城から出ていきましょう。



あ、この城の階段は急です。
女性の方はスカートはやめましょうね~。

さて外に出て庭を歩いていると、
こんな看板が目立ちました。





ああ、一度そんな高石垣を
眺めておきましょう。

はしっこのほうに行きますと・・・



うわー、これは高い。
これだけ高ければ
こっちから攻められはせんでしょうねえ。
これなら忍者も上るのに
ひと苦労でしょうよ。

さてこうして上野公園の中を
人込みを避けてうろうろと歩き、



街の中へと降りてきました。

あ、ここの飛び出し坊主は
JAのマーク付きです。



地域のためにこういうものを
提供したりしてるんですかねえ。
JAの力が強そうな感じがしますねえ。

白鳳門という門を出たら一般道です。
これを右折して鍵屋ノ辻の方へと
向かっていくことにしましょう。

古い木造校舎の
「三中」などもあります。





道をずっと西のほうへと歩いていきますと、
近鉄伊賀線の西大手駅先の
踏切を渡っていきます。



その先にあるこの鍵屋ノ辻という場所が
歴史上有名になったのが、仇討ちです。

備前の国岡山藩士の
「河合又五郎」が同僚の
「渡辺源太夫」を殺害して
行方をくらましたことが発端です。

源太夫の兄「渡辺数馬」は
藩主より上位討ちの免許を与えられ、
この鍵屋ノ辻で双方が出会ったわけです。

数馬は荒木又右エ門に
助太刀を頼み、
それぞれ武勇の達人同士を助っ人として、
争い、最後に又右エ門は数馬を叱咤し、
激闘の末についに数馬は大願を城主しました。

検視に立ち会った藤堂藩は
部門の作法にならい
二人の武勇をたたえるとともに
又五郎の霊を弔いました。

これが、この日本三大仇討ちのひとつ
と言われる

「伊賀越鍵屋辻の決闘」

と言われるものです。

坂道をおりてゆくと、



道路の片隅にこんな道標が立っています。



「ひだり ならみち」と書かれてありますし、
別の面には「みぎ いせみち」と
書かれてあります。

そう、この道標の立つ交差点が、
曽我兄弟の敵討ち、
赤穂浪士の討ち入りに並ぶ
日本三大仇討ちの一つ
「鍵屋ノ辻」なんです。



持っていたイメージは
昔っぽいイメージの場所だったのですが、
意外にさっぱりとした場所でしたね。

すぐ横に公園がありますし、
その公園の片隅に



「伊賀越資料館」が開いています。



さすがにここは有料のようですが、
受付に立ってくれたおじさんが
いかにも入って行き
という感じで案内してくれていたので、
またまた入館してしまいました。

え~さすがに忍者の国です。
キントンの術にうまく
はまってしまいましたな。



入り口で「ここはカメラはいいですかあ」と
きくと
「いやあ、そこに書いてあるけどな。
あかんのやで。
でもお宅やったら許してあげるわあ」
と許可してくれました。

たぶん写真を撮ってブログなんかに
乗せようとする変なおじさんには
みられなかたんですよね。

ラッキーと続く。