母が亡くなったのが立春。
ということは、前日が節分でした。
その人の運勢が、
その日を境に新しくなるという日でもあります。
スーちゃんの運勢はなくなりましたが・・・
残ったdoironの今年の運勢は・・・
先日その方面での権威である
義母さんに観てもらったところ・・・ふふふ。
内緒で~す。
で、節分というと豆まきと恵方巻きですね。
イワシもあるけどdoiron家ではやりません。
これはイワシじゃなくてハタハタ
親父の分はいらなくなったので、今年は
用意する豆の数が一気に減りました。
スーちゃん、doiron、ミセス、グーちゃんあわせて224個でした。
ひと袋じゃ微妙ですが、
もし足りなければ、どうせスーちゃんは食べられないので、
先日の味噌作りの際に余った大豆を加えて
神社に奉納すればいいかなということで、
ひと袋だけ買うことにしました。
(結果少しあまったので正解でした)
今年買ったのは、これ。
何せ一人あたりの食べる数が多いので、
素のいり豆だとのどに詰まってしまうから、
何年か前より、豆は味付きのものを買うことにしています。
これだとビールのつまみ感覚でいただけるのです。
で、豆まきの方なのですが、
残った豆が8粒だったので、
これがもう史上最少の豆まきとなりました。
外に向かって「鬼は外」を3回、
内に向かって「福は内」を3回唱えるのも、
1回に2粒まけば足りなくなります。
なのですべて一粒ずつとしました。
静かにつつましく暮らしているからね。
これくらいが分相応でしょう。
それに、出ていってほしい鬼も、
入ってきてほしい福もこれといってないしね。
今思えば、
スーちゃんの病状回復を阻む鬼に向かって
盛大に「鬼は外」をすればよかったのかもしれんなあ。
ちゃんと氏神様にスーちゃんの分の豆を
お供えもしてきたんですけどね。
そして残った2粒は「福は内」で撒いた豆を
グーに食べられる前に集めたものと一緒に
仏壇にあげておきました。
そんな質素な豆まきが済むと、
次は恵方巻きです。
昨年は、義母さんが作った巻ずしをいただきましたが、
今年はまた頑張ってdoiron自身が製作しました。
病院から帰ってきてから
手をごしごし洗って
早速着手です。
炊きたてのご飯に、
砂糖と塩を溶かした酢をまぶしたものをかけ、
うちわであおぎながら混ぜていきます。
ご飯の冷め具合が海苔をまいた時の
パリパリ感に影響するので、
ここはしっかりやりましょう。
え?そんなん常識やて。
失礼巻きました。
そして広げた海苔の上に
飯を敷き詰めていきます。
おっと、このときはちゃんと巻けるように
のりしろともいうべき部分を
少し残しておくのが重要です。
海苔だけに海苔しろね。
え?これも常識。
むむむ。
そしてここに具を乗せていきます。
大好物のイカがあるのでノリノリです。
海苔だけに・・・もういいか。
あとは卵とマグロとエビです。
あ?青物を忘れてました。
ここにノビルでもあればいいのですが
まだちょっと季節ではありません。
ま、青物は別に摂るとして
この4種の具で撒いていきましょう。
具をおさえながら、慎重に巻いていきます。
の~りぃ、マキマキ。
の~りぃ、マキマキ。
そしてじゃーん。巻けました。
丸かぶり用の二本を残して、
一本を切ってみると・・・
おお~、見事に具が真ん中におさまっています。
具が一方に偏った
一昨年の失敗の教訓が活きましたね~。
来年はこの断面が鬼の顔になるように
チャレンジしてみますかね。
今年の恵方は西南西だそうですが、
今回は「病気を食いつぶせ~」と祈りながら、
スーちゃんが入院している
病院の方を向いて丸かぶりをしました。
これがスーちゃん存命中の最後の日となった
2015年のdoiron家の節分でした。
心の鬼は退治できましたか?
そしてみなさんに福がいっぱいありますように。
スーちゃんを送る儀式は滞りなく済みました。
開式に先だって、
親父の時に書いた「葬儀の心得」という
自分のブログを読み返し、
やらねばならないことをチェック。
あらかじめできる準備をテキパキ済まします。
こんな時のために書いたみたいなもんやからね。
納棺時に必要な物もブログ読みながら準備し、
買い物に行かねばならないものも確認します。
式の際の焼香順位などは
ほとんど親父の時のものの
使いまわしが可能でした。
また祭壇を組むために何を準備すればいいのか、
そして村の人に御詠歌を唱えてもらうためには
誰になんと頼むのかなど、
まだまだ記憶に新しいので
戸惑うこともありませんでした。
それに葬儀の担当者も司会の人も、
同じ人だったので、
こちらの家の葬式の進行の仕方もよくご存知ですし、
葬儀に関する村のしきたりも
十分理解してくれていたのも助かりました。
とまあ、何もかもスムーズに滞ることなくお通夜が終わり、
その夜はひとりで葬祭ホールに泊まって
スーちゃんと二人の時を過ごしました。
最後の親孝行のつもりです。
そして翌日の告別式も、
淡々とことが進み、
あれよあれよという間に流れていって
気がついたら小さなお骨を持って
家に帰ってきてました。
あまりにもあっけなく二日間が済んだ
というのが実感です。
親父の時の経験から言いますと、
これからしばらくの間に
徐々に実感が募ってくることでしょう。
でも苦しみも痛みもなく、
88歳の大往生を迎えたことを考えれば、
喜んであげてもいいくらいだと思っています。
そう考えることで、
心も少し軽くなる気がするしね。
今日はようやくいろいろ落ち着いて、
祭壇にぴったりとおさまったスーちゃんの
遺影と位牌と小さな骨壺に向かって、
「もう病院にも施設にもどこにも行かなくていいんやで。
そばで暮らそう」と言った時、
遺影の顔が少し笑ったようにも見えました。
スーちゃん、おかえりなさい。
どことなく春の気配が立ちはじめた日
母は大勢の人に見守られ
静かに旅立ちました。
生前、お世話になった方々に
この場を借りて厚く御礼申し上げます。
思えばこんな勝手気ままな息子に
文句ひとつ言わない人でした。
今度はあの世で、また父となかよく
勝手気ままに過ごしてほしいと思います。
ありがとう、母さん。
年末年始から体調を崩し、
病院に入院していたスーちゃんが
本日亡くなりました。
病名は「肺炎」。
レントゲンでは片方の肺の
半分くらいまで水がたまり、
肩で呼吸をしていました。
治療の甲斐あってか
水はひいていったものの、
肺炎に伴う低酸素で意識の方に障害が出たのか、
ずっと軽眠状態が続いていました。
起こそうとしても起きないので、
当然栄養は点滴での摂取のみとなっていました。
でもねえ人間はやはり口から
ものを食べないと
体は衰えていく一方です。
病床で米寿を迎えたことも、
多分本人は知らなかったでしょう。
毎日病院に行っては、
呼びかけており、
最初の頃は、無理やり指で開けた目を
ギョロッと動かしたり、
握った手を握り返したりしていたのですが、
それも近頃は反応がありませんでした。
あまり強く体を動かすのも、
内出血とかの恐れがあるので、
五感のうち、体感、視覚、味覚による刺激で
起こそうとすることはできません。
残るは聴覚と嗅覚です。
しかしそれも好きな演歌を聞かせたり、
我が家の裏庭にある
ローズマリーの葉っぱを持って行って
かがせたりもしたのですが、
やはり起きませんでした。
もし、かすかにでも聴覚が残っているならと、
最近はもっぱら呼びかけ続けていたのですが、
病室が相部屋なので、
周りの迷惑も考えると限度があります。
で、結局目覚めないまま医者にも
「今は天寿を全うしているところ」みたいに言われ、
本日、立春の日に
冬が終わって春になるように
夕日がそっと沈むように
静かに息を引き取りました。
親父が亡くなって5カ月余り。
享年88歳の大往生といってもいいでしょう。
スーちゃん、
いや
母さん、安らかに。
神戸空港は、埋め立て地にあって
すっきりとそしてこじんまりとまとまったいい空港だった。
小さな空港の割にはお店も多くあって、楽しそうだ。
神戸空港のマスコットキャラ
コウベアー君がお出迎えです。
デートで遊びに来ているような若いカップルや、
孫たちに飛行機を見せに来たのであろうと思われる
高齢の家族の姿もかなりあった。
ターミナルの4階部分には展望デッキがある。
ここもすっきりシンプルなデッキ。
そこから北を見ると、六甲の山並みが
西端の須磨から宝塚方面まで一望できる。
つまりは六甲全縦が見渡せるわけやね。
寒い時期ですので、
六甲は少し雪もかぶっていた。
そしてちょうど正面は、先日登った再度山の途中に寄った
ヴィーナスブリッジも見えているし、
その近くの山肌にしつらえられた市章も見えている。
この市章のある山は「市章山」という名前だそうだ。
青がブリッジ、赤が市章
これらを背景にして、
仲良く座れるベンチには、
こんなハート形の背もたれもあり、
なかなかのデートコースぶりを演出している。
そして南に目を転じると、
滑走路の向こうに大型タンカーの行き交う
瀬戸内海の海がキラキラ輝き、
海と空の交通も一望することができる。
では写真を撮ってみよう。
今日の目標アングルは、
キラキラ光る海を背に飛び立つ
飛行機のシルエットです。
一機が飛び立っていったので、
それを参考に展望デッキの西の端の方にカメラを据えた。
すると、そこにやはり大勢の
空男くんや空子さんがいるではないか。
話を聞いていると、
どうやらいつもここにきていて
知り合いになった者同士のようで、
一種の絆が出来上がっているようだ。
「あ、今大倉海岸の上あたりを飛んでいるから、
5分以内に降りてくるで」
「ああ~、OO便やな。風向きから考えたら
西から着陸やな」
「いや、でも◎◎便がもうすぐ飛び立つから、
旋回して東からやろ」
などと情報交換していた。
そうか先ずは飛び立つ飛行機やな、
とそんな会話を聞きながら待っていると、
滑走路に一機の飛行機が出てきた。
ジェットに点火し轟音と共に走り始める。
「そうそう、そこ!スロットル全開や」
などと叫んでいる。
あ、スロットルと言ったかどうかはわかりません。
もっと専門用語だったかもしれない。
結局、その飛行機は海のキラキラを
越えた所で離陸していった。
撮影失敗です。
一団に失望の色が広がった。
その直後、今度は西の明石海峡大橋を背に
一機の飛行機が近づいてきた。
当初言ってたように西から着陸するようだ。
この段階で、空男君たちはもう
猛然とシャッターを切っている。
超望遠なので、
橋をバックに見事な雄姿が捉えられているんだろう。
doironのレンズはたかだか150mmなので、
豆粒ほどにしか映りません。
思わず「福は内」と叫んでしまいそうなほどです。
着陸寸前にキラキラの前を通ってほしいのに、
ずいぶん手前でタッチダウンとなってしまった。
残念、と思いつつ周りを見ると、
さも当然という風に空男君たちは平然としている。
飛行機の大きさ、風向き、風の強さから見て
着陸地点を見切っているのだろうか。
このときもまた思うような写真が撮れなかった。
仕方がないので、神戸の街を背景に
フライトする鳥を撮っておいた。
doironがクリエイター登録をしている会社には、
写真クリエイターの部門もある。
いずれはこちらにも登録を
と思っているのですが、
あんなに真剣に撮影している写真家たちを見ていると、
写真に関して自分はまだまだ全然甘いな
と思ってしまう。
その後、スカイマークの時刻表や
神戸周辺散策地図
(これが充実していて10種類もあった)
をゲットして帰路についたdoiron。
ミセスもここから全国に飛び立つぞ
と決意を新たにしたようで、
今日はしっかりと
ミセス孝行できたようだから
これでdoironの1回分のお出かけポイントが
たまったように思われます。
最近ミセスはLCCで行く国内日帰りツアーにはまっている。
以前の職場の仲間達と
日帰りで仙台に行ったり、
鹿児島に行ったりと
日本全国を北へ南へと飛び回っている。
そんな日はスーちゃんのこともあるので、
doironは遠出をすることはない。
前回ミセス一行は鹿児島へ行った。
桜島を巡る定期観光バスに乗って
市内見学をしてきたそうだ。
このバスでこんなことがあったそうだ。
乗車して動き出す前に、
係の人がやってきて
パスポートもしくは身分証明書の
提示を求めたのだそうだ。
テロのこともあるし、
これからもこういったことは
頻繁に起こりうるだろう。
ミセスは免許証を持っていたので問題はなかったが、
高齢者の夫婦はパスポートはもちろん
免許証も持っておらず困ったと言っていたそうだ。
結局、山のように持っていた診察券で
ようやくスルー出来たそうだ。
では、
「何も持ってないけど、パンツに名前書いてあるねん」
といって見せれば許してくれるか試してみたいところだ。
まあ、今後はこれくらい厳重に
水際警戒は必要になるのかもしれない。
一行はその後一日鹿児島を観光して
深夜に帰宅となった。
そんなツアーをこれからも続けようと
みんなで話をしているそうで、
今度はピーチを利用するだけでなく、
今話題のスカイマークも利用しよう
と思ってるのだそうだ。
で、そのためには、神戸空港を利用することになるので、
ぜひ神戸空港に行ってみたい
とミセスからご要望があったので、
先日下見を兼ねて連れて行ってきた。
こうして行っとけば本番の時も
自分の車でビューンと行ってくれるだろう。
ピーチに乗るために行く関空第2ターミナルも
以前は送迎をしていたが、
慣れてきた近ごろは自分で行ってくれるので、
こちらは早起きもしなくてもいいし、
夜もビールが飲めるのでありがたい。
ナビをセットすると空港まで1時間15分の表示が出た。
関空に比べてかなり遠い。
先ずは家を出て阪神高速湾岸線に乗る。
浜寺の精油プラント?群を左にながめながら、
新浜寺大橋を渡ると
海が開けてくる。
ATCの高層ビルが見えると、
港大橋も近い。
そして先日歩いた大川の河口を越え、
神戸方面が見え始め、
右手前方にこれまた先日登った
甲山も視界に入ってくる。
とまあ、このあたりまでは、
道なりで写真を撮る余裕もあったのですが、
神戸ハーバーハイウェイに入った頃から、
分岐がいくつか現れ、
おまけにETCのない現金料金所もあったりして
そんな余裕もなくなった。
結局ナビに導かれるままに進んだので、
今も経路は頭に入らずじまい。
多分、これからもミセスは「送って」ということでしょう。
以前、開港時に一度マラソンで走ったことがある
空港島に着いたのは、家を出てから48分後だった。
さあ、カメラを持って空港見学をしましょう。
年末に、日本の写真家の活動を紹介するTV番組があった。
乗り物などの人工物や
野生動物等を撮影している写真家の話で、
結構見ごたえのある番組だった。
その内の一人で、
飛行機の写真を専門に撮影している写真家の話もあった。
なんでも世界中の空港を回った数で
ギネスにも載るのではないか、
あるいはもう載っているのではないかという写真家です。
超望遠で沈みゆく夕日の中に
飛行機のシルエットを写しこむためには、
飛行経路、飛行時間、
夕日のタイミング、方向など運航条件と
気象条件が整わないと
思った絵が撮れないのだそうだ。
そのために事前に調べることができることは
全部調べて行くという周到さが必要だと、
番組では言っていた。
だから、飛行機撮影とはどんなものか
という興味もあったので、
そういう面からも大きなデジイチカメラを持って
ここへやってきたわけです。
続く
親戚の四十九日の法事に行ってきました。
近頃は、doiron世代には
慶弔ごとのうち、弔事が頻繁にあります。
亡くなったのは祖父の兄弟の息子、
つまりおふくろのいとこにあたる人です。
享年は85歳でした。
近所に住んでおられたので、
息子も幼馴染でありました。
でも、その一人息子は家を出て、
晩年は高齢の御夫婦二人で住んでおられ、
あまり出歩くこともされなかったので、
付き合いは疎遠になっていました。
しかし年末に亡くなられた時には、
いろいろと頼られ、
四十九日の法事にいたるまでは、
なにかと相談され、
あれもやらないといけないし、
これもしないといけない
とアドバイスもしていたのですが、
奥さんも高齢のため、
結局まわりの人間が
種々手配をすることになり、
ようやく四十九日を迎えたのでした。
その家は浄土宗でした。
と書けば、宗派別の法事のことを
よく御存じの方なら
「それは大変」と思われることと思います。
浄土宗にはしきたりやお金のいることが多く、
「浄土宗の家に嫁ぐときには覚悟しときや」
と言われるほどだからです。
まず、お坊さんの手配に結構お金がかかります。
しきたり事なのでそれは仕方がないのですが、
例えば戒名にもランクがあり、
大枚はたいて生前に授戒、五重を受けた人には
高級な戒名が授けられるといったこともあります。
受けていなければ、
没後お金を出せばランクを上げられる
といった制度もあります。
法事の際の手順にもしきたりが多々あります。
祭壇に並べるものも並べ方も決まっていて、
仏さんの食べ物はこう、
供物はこう並べ、
49個の餅も用意しておかないといけません。
法事の時には一時間みっちりとお経を唱え、
最後に49個の餅の上に
かぶせるように置く大きな
「笠餅」を「人型」に坊さんが切ってくれます。
これ。
こうして杖を突いた人の形に切った餅を、
腰の悪い人は腰の部分、
足の悪い人には足の部分と、
希望に応じて法事参列者に分けられます。
doironも心臓部分が欲しかったのですが、
人気が高くゲットできませんでした。
人型餅は歳の順で持って行かれます。
結局、doironは右手をいただきました。
筆を持つ手ということで、
故人のお力で右手を守っていただくことになりました。
法事の後は、送迎バスに乗って
料理屋へ行き会食をします。
そんな手配も親戚で手分けして手配しました。
2時間余り、
故人を偲んで会食するということなのですが、
だいたいこういう場は、
普段めったに会うことのない親戚との
交流の場となります。
夕方にはジムに行きたかったので、
doironはノンアルコールで我慢しました。
そうして、一日のうちの大半を費やして
法事は無事終わりました。
喪主である奥さんもさぞやホッとしていることでしょう。
これからは、一人暮らしとなるわけで、
たまには仏壇に線香でもあげに行って、
安否確認してあげようと思っています。
一人の人間が亡くなることで
周りの暮らしは大きく変わっていきます。
人生平穏無事に暮らすには、
早く亡くなる他はないのですね。
そんなことを考えた、四十九日の法事参席でした。
あ~、暗くなった。